写真でたどる マリア・モンテッソーリの歴史|第1回|1870–1900年 医師から教育者へ – マリア・モンテッソーリの出発点
写真と歴史から、マリア・モンテッソーリの生涯をたどる
マリア・モンテッソーリは、最初から教育者だったわけではありません。
少女時代には科学と技術に惹かれ、やがて医学を学び、女性医師となりました。働く女性の権利について声を上げ、精神医学の現場で子どもたちと出会い、医学と教育を結ぶ仕事へと進んでいきます。
私たちがよく知る「モンテッソーリ教育」が形になっていくのは、その先のことです。
「写真でたどる マリア・モンテッソーリの歴史」では、各地のアーカイブに残された写真を手がかりに、その時代のマリア・モンテッソーリを見ていきます。
どこに暮らし、何を学び、誰と出会い、どのような問題に向き合っていたのか。
写真だけでは見えない出来事もたどりながら、その生涯を一枚ずつつないでいきます。
第1回は、1870年の誕生から1900年まで。
まだ「子どもの家」が開かれる前、科学を学ぶ少女が医師となり、子どもの教育に取り組み始めるまでの30年です。
1870年|父アレッサンドロと母レニルデ
父アレッサンドロ・モンテッソーリと母レニルデ・ストッパーニの肖像。各肖像の撮影年不詳。出典:AMI Archives。
マリア・モンテッソーリは1870年8月31日、イタリア中部マルケ州のキアラヴァッレに生まれました。
父アレッサンドロ・モンテッソーリは公務員として働き、母レニルデ・ストッパーニは教育を受け、読書を好む女性だったと伝えられています。
幼い頃、一家はローマへ移り、1876年にマリアは公立学校へ入学しました。彼女が学び、自分の進路を切り開いていく舞台は、このローマでした。
1880年頃|10歳頃のマリア・モンテッソーリ
1880年頃、10歳頃のマリア・モンテッソーリとされる写真。撮影者不詳。出典:Wikimedia Commons(Public Domain表記)。
後に世界中で知られる教育者になることを知っている私たちは、この少女の写真を特別なものとして見てしまいます。
けれども、ここから教育者へと一直線に進んだわけではありません。成長するにつれてマリアが関心を向けていったのは、数学や自然科学、技術の世界でした。
後の姿をいったん脇に置いて見ると、この一枚は、まださまざまな可能性を前にした少女の肖像でもあります。
1886年|科学と技術の道へ
1886年、技術学校在学時のマリア・モンテッソーリとして紹介されている肖像。出典:Università di Bologna「Scienza a due voci」。参照文献:Babini, 2003, p.40。
16歳を迎える1886年、マリアはローマのレオナルド・ダ・ヴィンチ技術学校(Regio Istituto Tecnico Leonardo da Vinci)へ進学しました。
当時、中等教育に進む女子の多くが古典を学ぶ中で、マリアは科学と技術の道を選びました。当初は技術者になることも考えていたとされています。
数学や自然科学を学び、物事の仕組みを考える。
教育者になる以前のマリアには、まず、科学を学ぶ学生としての時間がありました。
後に子どもの姿を観察し、教育の方法を実際に試しながら考えていく姿勢も、こうした科学の学びと切り離しては捉えられません。
若き日の肖像|自分の進路を選ぶ
若き日のマリア・モンテッソーリ。出典:Association Montessori Internationale「Montessori 150」。
少女の肖像に続いて、若いマリアの姿を見てみます。
科学と技術を学んだ彼女は、その後、医師になる道を選びます。女性が進める職業や学問の分野に制約が多かった時代、その選択は周囲から当然のこととして受け入れられたわけではありません。
後に教育者として知られるマリアの歩みは、自分自身が学びたいことを選び、その道を進もうとするところから始まっていました。
1890年代|医学を選んだマリア
若き日のマリア・モンテッソーリ。撮影年不詳。出典:Università di Bologna「Scienza a due voci」。参照文献:Babini, 2003, p.47。
1890年、マリアはローマ大学で自然科学を学び始め、その後、医学へ進みます。
当時の医学教育は、圧倒的に男性が多い世界でした。女性が医学を学ぶことへの偏見や制約に直面しながらも、マリアは学びを続けました。
1896年7月10日、医学の学位を取得。25歳でした。
マリアは、イタリアで医学の道を切り開いた初期の女性医師の一人です。
同じ年の9月には、ベルリンで開かれた国際女性会議にイタリア代表として参加しました。そこで働く女性の権利を取り上げ、同じ仕事には男女に同じ賃金が支払われるべきだと訴えています。
幼児教育の改革者として知られるより前から、マリアは、社会の中で十分な機会を与えられていない人々の問題について、公に発言していたのです。
医師として出会った子どもたち
医学の学位を取得した後、マリアはローマのサント・スピリト病院で働き、ローマ大学の精神科クリニックでも研究に携わります。そこで、ともに仕事をした医師の一人がジュゼッペ・モンテサーノでした。
この仕事を通して、マリアは精神医学の施設で暮らす子どもたちと出会います。
AMIの伝記には、施設を訪れた際の逸話が紹介されています。食後、床に落ちたパンくずを拾う子どもたちの話を聞いたマリアは、部屋に、手を使って活動できるものがないことに目を向けたといいます。
子どもたちには、触れたり、持ったり、動かしたりして、感覚と手を使う機会が必要なのではないか。
この逸話が伝えているのは、子どもの行動だけでなく、その子が置かれている環境を見る視点です。
医学的な診断や治療に加えて、子どもにどのような経験や教育を用意できるのか。マリアの関心は、そこへと広がっていきました。
1898年|医学と教育を結ぶ
若き日のマリア・モンテッソーリ。ボローニャ大学「Scienza a due voci」では1898年として紹介されている。出典:同大学の写真資料。参照文献:Babini, 2003, p.42。
1890年代後半、マリアは、フランスの医師ジャン=マルク=ガスパール・イタールと、その弟子エドゥアール・セガンの研究を深く学んでいきます。
イタールとセガンは、障害のある子どもたちの教育に取り組み、感覚や運動への働きかけを通して発達を支える方法を探究した人たちです。
1897年から1898年には、マリア自身もローマ大学で教育学の講義を聴講しました。1898年9月にはトリノで開かれた教育学会議に登壇し、障害のある子どもたちへの専門的な教育と、それを担う教師の養成の必要性を訴えています。
医学的な対応だけでなく、教育によってできることがある。
子どもが学び、育つためには、どのような援助が必要なのか。
マリアは医学から離れるというよりも、医学と教育を結びながら、この問いに向き合い始めていました。
また、同じ1898年には、ジュゼッペ・モンテサーノとの間に息子マリオが誕生しました。マリオ・モンテッソーリは後に母マリアの重要な協働者となり、このシリーズの写真にも、たびたび登場することになります。
1899年|社会に向けて語る女性医師
1899年の『L’Illustrazione popolare』(ミラノ、Fratelli Treves Editori)掲載とされるマリア・モンテッソーリの肖像。撮影年不詳。出典:Wikimedia Commons。
この肖像は、Wikimedia Commonsで「La conferenziera medichessa Montessori」――「講演する女性医師モンテッソーリ」という資料名で紹介されています。
1899年、マリアはロンドンで開かれた国際女性会議にも参加しました。
最初の「子どもの家」が開かれるのは1907年。それよりも前に、マリアはすでに、医師であり、研究者であり、女性や子どもの置かれた状況について社会に語りかける人でもありました。
一方で、イタールやセガンの著作を読み、子どもの教育に用いられてきた器具や方法への理解も深めていきます。後のモンテッソーリ教具には、こうした先人たちの研究を源流とするものがあります。
その研究を学ぶことと、目の前の子どもに働きかけること。
この二つが、やがてマリア自身の教育実践の中で結びついていきます。
1900年|教師と学生とともに
1900年|ローマのScuola Magistrale Ortofrenica。教師と学生の集合写真。マリア・モンテッソーリは下から2列目の中央。所蔵:Archivio Opera Nazionale Montessori(ONM)。出典:Atlante Montessori。
30歳を迎える1900年。教師や学生たちとともに写る、マリア・モンテッソーリの姿があります。
Scuola Magistrale Ortofrenicaは、障害のある子どもたちの教育に携わる教師を養成する学校でした。子どもたちが学ぶ場も併設され、教師の養成と教育実践が結びついていました。
マリアはジュゼッペ・モンテサーノとともに学校を指導し、子どもたちへの教育に取り組みます。イタールやセガンの考案した器具を使い、子どもの反応を観察しながら、改良を重ねていきました。
本から学ぶだけでなく、実際の子どもと過ごし、試し、記録し、考える。
ここではすでに、医師として身につけた科学的な姿勢が、教育の実践へと向けられていました。
少女時代の肖像から、若い学生の姿へ。そして、医師の肖像から、教師と学生に囲まれた集合写真へ。
写真と出来事を重ねていくと、マリアが突然「教育者」になったわけではないことが見えてきます。
「子どもの家」が生まれる前に
1900年、マリアはすでに子どもの教育と教師の養成に取り組んでいました。けれども、後に世界へ広がる教育法は、まだ形成の途上にありました。
科学を学んだこと。
医学を学び、子どもたちの発達に向き合ったこと。
十分な機会を与えられていない人々のために声を上げたこと。
子どもの行動と、その子が暮らす環境に目を向けたこと。
イタールやセガンの研究を学び、実際の教育の中で試したこと。
後の仕事につながる経験は、こうして積み重なっていました。
この時期のマリアをたどると、教育の出発点にあったのは、完成した方法を子どもに当てはめることではなく、目の前の子どもに何が必要なのかを考え、確かめていく仕事だったと捉えることができます。
次の10年間で、その仕事はさらに大きく動き始めます。
1901年、マリアはScuola Magistrale Ortofrenicaを離れ、教育学や人類学の研究を深めます。1904年にはローマ大学で教えるようになりました。
そして1907年1月6日、ローマのサン・ロレンツォに、最初の「子どもの家」(Casa dei Bambini)が開かれます。
次回は1900年から1910年。
マリアの肖像に加えて、子どもたちが活動する教室や、その暮らしを写した写真を見ていきます。
このシリーズで紹介する写真について
このシリーズでは、古い写真を単なる装飾ではなく、歴史を伝える資料として扱います。
写真の年代、場所、人物、原典や所蔵先をできる限り確認し、キャプションに記載します。撮影年と刊行物への掲載年は区別し、年代が確定できないものについては、「頃」「撮影年不詳」などの表現や、掲載元の説明によることが分かる書き方を用います。
画像の再利用については、各資料の提供元に示された利用条件をご確認ください。
「写真でたどる マリア・モンテッソーリの歴史」
第1回|1870–1900年 医師から教育者へ – マリア・モンテッソーリの出発点
第2回|1900–1910年「子どもの家」の誕生 – モンテッソーリ教育が形になった10年
第3回|1910–1920年 ローマから世界へ – 広がり始めたモンテッソーリ教育
第4回|1920–1930年 国際運動へ – 世界への広がりとAMIの誕生
第5回|1930–1940年 ファシズムとの決別 – ヨーロッパを離れ、インドへ
第6回|1940–1950年 インドで深まった「宇宙教育」と平和への思想
第7回|1950年以降 晩年、そして世界に受け継がれた教育
主な参考資料
- Association Montessori Internationale「Biography of Maria Montessori」
- Association Montessori Internationale「Timeline of Maria Montessori’s Life」
- Università di Bologna「Scienza a due voci|Montessori Maria」
同サイトの写真資料が参照する文献:V. P. Babini, “Una vita contro corrente”, Millenovecento, n.7, 2003, pp.40–49。 - Atlante Montessori「Scuola Magistrale Ortofrenica, 1900」
- Treccani「MONTESSORI, Maria」Dizionario Biografico degli Italiani
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