写真でたどる マリア・モンテッソーリの歴史|第7回|1950年以降 晩年、そして世界に受け継がれた教育
1950年、マリア・モンテッソーリは80歳を迎えました。
けれども、その歩みが止まることはありませんでした。
ヨーロッパ各地を訪れ、講演を行い、教師を養成する。そして、戦争を経験した世界に向けて、教育と平和について語り続ける。
1951年には、自身が出席する最後の国際モンテッソーリ大会に参加し、オーストリアでは最後の養成コースを行いました。
その翌年、1952年5月6日。
マリア・モンテッソーリは、オランダのノールトウェイク・アーン・ゼー(Noordwijk aan Zee)で生涯を閉じます。
しかし、モンテッソーリ教育の歴史は、そこで終わりませんでした。
最初の「子どもの家」から50年を迎えた1957年。写真の中には、マリアとともに歩んだ人々、息子マリオ、そして新しい世代の子どもたちの姿があります。
シリーズ最終回は、マリア・モンテッソーリの晩年から、その死後へ。
彼女が残した教育が、次の世代へ受け継がれていくところまでを、写真でたどります。
1950年|80歳を迎える年も、歩みは止まらなかった
1950年2月、マリアはスウェーデンを訪れました。
こちらは、ストックホルムのGrand Hôtelで開かれた記者会見での一枚です。
1950年2月24日|スウェーデン・ストックホルム、Grand Hôtelでの記者会見。撮影:Gunnar Lantz/Svenska Dagbladet。所蔵:Stockholms stadsmuseum。掲載:Stockholmskällan。資料番号:SvD 21235。利用条件:CC BY(提供元表記)。
このとき、マリアは79歳。80歳の誕生日を迎えるのは、同じ年の8月31日です。
各国から招かれ、教育について語り、教師たちと出会う。晩年の写真にも、過去の功績を振り返るだけではなく、仕事を続けるマリアの姿が残されています。
1950年|アムステルダムへ
同年3月1日、マリアはアムステルダムを訪れます。
車を降りるマリアを、子どもたちが迎えました。
1950年3月1日|オランダ・アムステルダム。到着したマリア・モンテッソーリを子どもたちが迎える。撮影:Jac. de Nijs/Anefo。所蔵:Nationaal Archief。資料番号:903-8467。利用条件:CC0。
この日のBach Auditoriumでの講演は、前回の記事で紹介した映像にも残されています。
80歳を迎えるこの年も、マリアが向かった先には、教師と子どもたちがいました。
演壇で語る姿と、子どもたちに迎えられる姿。その両方が、晩年のマリアの仕事を伝えています。
1950年|ペルージャで、教師たちへ語り続ける
1950年、イタリア・ペルージャでは国際養成コースが開かれました。
写真には、黒板の前で文法記号について説明するマリアの姿が写っています。
1950年|イタリア・ペルージャ。養成コースで文法記号について説明するマリア・モンテッソーリ。出典:AMI Montessori Archives/Association Montessori Internationale。
1909年に最初の教師養成コースを行ってから、すでに40年以上が経っていました。
マリアが教師たちに伝えようとしてきたのは、教具の扱い方だけではありません。
子どもを観察すること。
必要な援助を見極めること。
子ども自身が取り組んでいるときには、必要以上に介入しないこと。
そして、子どもの中で進んでいる発達を理解し、その働きを支えること。
子どものための環境を整えるには、そこにいる大人も学ぶ必要があります。マリアは晩年まで、その学びを次の世代へ伝え続けました。
1950年|アムステルダム大学から名誉博士号
1950年9月18日、マリアはアムステルダム市立大学から名誉博士号を授与されました。
80歳の誕生日を迎えて、まもない頃のことです。
1950年9月18日|アムステルダム市立大学から名誉博士号を授与されるマリア・モンテッソーリ。学位記を手渡しているのはW.G. Vegting教授。撮影:Daan Noske/Anefo。所蔵:Nationaal Archief。資料番号:904-1942。利用条件:CC0。
女性が大学で医学を学ぶことさえ、容易ではなかった19世紀末。
その時代に大学へ進み、医師となったマリアが、今度は教育者として大学から顕彰されました。
第1回でたどった若い医師の姿と重ねると、この一枚には、その間に積み重ねられた長い仕事の時間が感じられます。
1951年|UNESCOで語った、人間の発達と教育
1951年6月19日、マリアはドイツのヴィースバーデンで開かれた、UNESCO教育研究所(UNESCO Institute for Education)の設立に向けた最初の理事会で演説しました。
この理事会では、研究所の規約や初代所長などが決められています。研究所が設立されるのは、翌1952年です。
1951年|UNESCOでのマリア・モンテッソーリ。撮影:Publifoto。出典:AMI Montessori Archives。
二度の世界大戦を経験した80歳の教育者が、なお問い続けていたのは、人間の発達を教育がどのように支えられるのかという問題でした。
社会の問題だけに目を向けるのではなく、その社会をつくる人間に目を向けること。
そして、人間の形成は、大人になってから始まるのではなく、誕生から始まっていること。
マリアは、学校という制度だけでなく、誕生から続く人間の発達全体を、教育の課題として考える必要性を伝えようとしていました。
1930年代から訴え続けてきた「教育と平和」という考えは、晩年にも、人間を理解し、その育ちを支える仕事として語られていたのです。
1951年|最後の英国訪問、子どものいる教室へ
1951年、マリアはロンドンを訪れました。
この年に開かれた第9回国際モンテッソーリ大会は、マリア自身が出席した最後の国際大会となります。
同じ年、ロンドンのGatehouse Schoolを訪れた写真も残されています。
1951年|ロンドン・Gatehouse Schoolを訪れたマリア・モンテッソーリ。子どもたちが活動する教室での一枚。
1907年、サン・ロレンツォに最初の「子どもの家」が開かれてから44年。
世界各地で講演や教師養成を行うようになっても、マリアの仕事には、子どものいる場所を訪れ、その活動を見る時間がありました。
子どもの活動を見守る晩年のマリア・モンテッソーリ。出典:Montessori 150/Association Montessori Internationale。
晩年まで、マリアは教育について語るだけでなく、目の前で活動する子どもを見ることを大切にしていました。
長く積み重ねてきた研究と、いま目の前にいる子どもの姿。その二つを結びながら、教育を考え続けていたのです。
1951年|最後の養成コース、インスブルック
同じ1951年、オーストリア・インスブルックでは養成コースが行われました。
これは、マリア本人が行った最後の養成コースとなります。
晩年のマリア・モンテッソーリと息子マリオ。出典:Montessori 150/Association Montessori Internationale。
並んで写るマリアとマリオ。
マリオは長年、母とともに旅をし、養成コースを支え、教育を発展させてきました。インドでは、初等教育や宇宙教育(コズミック教育)の発展にも深く関わっています。
マリアの仕事は、この頃にはすでに、一人の教育者だけのものではなくなっていました。
ともに考え、実践し、伝える人々が、その仕事を支えていたのです。
1951年|3年連続でノーベル平和賞候補に推薦
マリアは1949年、1950年、1951年と、3年連続でノーベル平和賞の候補に推薦されました。
ノーベル賞の公式推薦記録にも、この3年間の推薦が残されています。
受賞には至りませんでしたが、推薦した人々が、彼女の教育への取り組みを、平和に関わる仕事として評価していたことがうかがえます。
子どもを理解し、その発達を支えることは、どのような社会をつくるのかという問いにもつながる。マリアが語ってきた教育には、そのような広がりがありました。
1952年5月6日|オランダの海辺の町で
1952年春、マリアはオランダの海辺の町、ノールトウェイク・アーン・ゼーに滞在していました。
そして1952年5月6日、ピアソン家の別荘で亡くなります。
81歳でした。
1870年、イタリアのキアラヴァッレに生まれた少女は、医学を学び、子どもたちと出会い、教育を研究し、世界各地で教師を育てる人になりました。
その生涯はここで閉じます。けれども、最後の日まで、マリアは次の仕事について考えていたと、息子マリオは後に振り返っています。
その日の会話については、この記事の最後に戻ることにします。
1952年|ともに歩んだ人たち
マリアの死によって、ともに仕事をしてきた人々の活動まで終わったわけではありませんでした。
同じ1952年、ナポリで開かれた全国モンテッソーリ大会には、マリアの古くからの協力者、アンナ・マリア・マッケローニ(Anna Maria Maccheroni)の姿があります。
写真では、音楽教育で使うベルの扱いを示しています。
1952年|ナポリの全国モンテッソーリ大会。中央に文部大臣Antonio Segni、右にOpera Nazionale Montessori会長Maria de Unterrichter Jervolino。手前でAnna Maria Maccheroniが音楽教育のベルの使用を示している。所蔵:Archivio ONM。掲載:Atlante Montessori。
マッケローニは、初期の「子どもの家」からマリアとともに歩んできた人の一人です。
その人が教具を手にし、別の人へ伝えている。
この写真に写っているのは、過去を記念する場面だけではありません。長く育まれてきた実践を、次へ渡していく仕事でもあります。
ノールトウェイクに残された墓
マリアは、ノールトウェイク・アーン・ゼーのカトリック墓地に葬られました。
1952年、その墓を訪れる子どもたちの姿が写真に残されています。
1952年|オランダ・Noordwijk aan Zee。マリア・モンテッソーリの墓を訪れる子どもたち。出典:AMI Montessori Archives。
子どもたちが墓を囲む一枚です。
教室で子どもの隣に座っていたマリア。養成コースで教師たちに語っていたマリア。
その本人の姿は、もう写真の中にありません。
けれども、子どもたちのための教室も、教師を育てる仕事も、その後へと続いていきました。
1957年|最初の「子どもの家」から50年
1957年は、ローマのサン・ロレンツォに最初の「子どもの家」(Casa dei Bambini)が誕生してから50年にあたりました。
マリア本人の姿は、もうありません。
けれども、新しい「子どもの家」には、再び子どもたちがいます。
1957年|ローマ・Tuscolano地区のCasa dei Bambini。子どもの活動を見守るOpera Nazionale Montessori関係者。中央にMaria de Unterrichter Jervolino。所蔵:Archivio ONM。掲載:Atlante Montessori。
1957年|ローマ・Tuscolano地区のCasa dei Bambini。Maria de Unterrichter Jervolinoらが子どもたちの教室を訪問する。所蔵:Archivio ONM。掲載:Atlante Montessori。
1907年のサン・ロレンツォから50年。
「子どもの家」は、創設者の死後も新しい地域へ広がり、新しい子どもたちを迎えていました。
教育が受け継がれるということは、同じ名前が残ることだけではありません。新たな場所で環境が用意され、そこに子どもたちがやって来て、日々の活動が始まることでもあります。
1957年|第11回国際モンテッソーリ大会
同年9月、ローマで第11回国際モンテッソーリ大会が開催されました。
開会式の会場は、カンピドリオのSala della Protomotecaでした。
1957年9月|ローマ・Campidoglio、Sala della Protomoteca。第11回国際モンテッソーリ大会の開会式。左にMaria de Unterrichter Jervolino、中央にローマ市長Umberto Tupini。所蔵:Archivio ONM。掲載:Atlante Montessori。
マリアが出席した最後の国際大会から6年。
国際大会そのものは、その後も続いていました。
会場には、息子マリオの姿もあります。
1957年9月|第11回国際モンテッソーリ大会。ローマ市長Umberto Tupiniが、後ろ姿のMario Montessoriに挨拶する。右はOpera Nazionale Montessori会長Maria de Unterrichter Jervolino。所蔵:Archivio ONM。掲載:Atlante Montessori。
長年、母とともに教育を発展させてきたマリオは、マリアの死後、その仕事を次の世代へつなぐ中心人物となりました。
かつて母と並んで写っていた人が、今度は教育運動を担う人として、写真の中に立っています。
1957年|クイリナーレ宮殿へ
第11回国際モンテッソーリ大会の代表団は、イタリア大統領ジョヴァンニ・グロンキ(Giovanni Gronchi)のもとを訪れました。
1957年|ローマ・Quirinale。Giovanni Gronchi大統領が、Maria de Unterrichter Jervolinoと第11回国際モンテッソーリ大会の代表団を迎える。所蔵:Archivio ONM。掲載:Atlante Montessori。
1907年、ローマの一つの集合住宅で始まった「子どもの家」。
50年後、その実践から広がった教育は、創設者がいなくなっても続く、国際的な教育運動となっていました。
1870年から、そしてその先へ
1870年8月31日、キアラヴァッレに生まれたマリア・モンテッソーリ。
女性が大学で医学を学ぶことさえ容易ではなかった時代に医師となり、精神医学、教育学、心理学、人類学へと研究を広げました。
子どもたちへの教育と教師養成に取り組み、1907年にはサン・ロレンツォの「子どもの家」で、新たな実践を始めます。
そして、ローマから世界へ。
アメリカへ、スペインへ、オランダへ、インドへ。
二度の世界大戦を経験しながらも、研究と実践を続け、教師を育ててきました。
彼女が残したのは、教具や教育技法だけではありません。
子どもには、自ら成長していく力があること。
大人の役割は、その発達を代わりに行うのではなく、子どもが自分で取り組める環境を整え、必要な援助をすること。
そして、子どもの育ちを尊重することが、人間と社会の未来につながるという考えです。
7回にわたって写真を見ていくと、若い医師から教育者へ、さらに国際的な教育運動を担う人へと、マリアの姿は変わっていきます。
その一方で、繰り返し現れるのは、子どものそばにいて、その活動を見る姿でした。
1952年のニュース映像に残されたマリア・モンテッソーリ
マリアが亡くなった11日後の1952年5月17日、イタリアのニュース映画「La Settimana Incom」は、彼女を追悼する短い映像を公開しました。
タイトルは「Vivente commemorazione di Maria Montessori」。
生前のマリアの姿を交えながら、その仕事を振り返る、1分23秒の記録です。
写真でたどってきた生涯を、ここでは当時のニュース映像から見てみます。
1952年5月17日公開「Vivente commemorazione di Maria Montessori」。マリア・モンテッソーリの死去後に制作された追悼ニュース映画。La Settimana Incom / 00777、1分23秒、白黒・音声。映像:Archivio Storico Istituto Luce。
最期の日にも、次の子どもたちのことを
最後に、マリアが亡くなった日のことへ戻ります。
息子マリオが1965年に『Reader’s Digest』で発表した母の回想「My Most Unforgettable Character」には、その日の出来事が記されています。
昼食の席で二人が話していたのは、アフリカで教師を育てる仕事についてでした。
81歳になっていたマリアは、それでも自分が出かけるつもりでいたと、マリオは振り返っています。
マリオが地図帳でアフリカの地図を探すために部屋を離れ、戻ったときには、母は亡くなっていました。
1952年5月6日のことです。
その回想に残されているのは、これまでの仕事を振り返るだけでなく、これからの仕事へ心を向けているマリアの姿です。
まだ出会っていない子どもたちのために、次に何ができるのか。
最期の日の会話にも、その問いがありました。
母の死後、マリオは国際モンテッソーリ協会(Association Montessori Internationale/AMI)のGeneral Directorに就任し、妻アダとともに活動を担いました。
AMI教師養成の歴史には、マリオの指揮のもと、各地に常設の養成センターが設けられ、教師を養成する人を育てる仕組みも整えられていったことが記されています。
マリアが思い描いた、このアフリカへの旅は実現しませんでした。
けれども、子どもを理解し、その発達を支える教師を育てる仕事は、そこで終わりませんでした。
マリアが最期の日まで考えていた仕事は、彼女から学んだ人たちによって、その先へと続いていきました。
「写真でたどる マリア・モンテッソーリの歴史」
第1回|1870–1900年 医師から教育者へ – マリア・モンテッソーリの出発点
第2回|1900–1910年「子どもの家」の誕生 – モンテッソーリ教育が形になった10年
第3回|1910–1920年 ローマから世界へ – 広がり始めたモンテッソーリ教育
第4回|1920–1930年 国際運動へ – 世界への広がりとAMIの誕生
第5回|1930–1940年 ファシズムとの決別 – ヨーロッパを離れ、インドへ
第6回|1940–1950年 インドで深まった「宇宙教育」と平和への思想
第7回|1950年以降 晩年、そして世界に受け継がれた教育
主な参考資料
- Association Montessori Internationale「Timeline of Maria Montessori’s Life」
- Association Montessori Internationale「Biography of Maria Montessori」
- Association Montessori Internationale「An Enduring Passion for Montessori Teaching」
- Association Montessori Internationale「Maria Montessori’s Speech at the Governing Board of the new UNESCO Institute of Education」
- UNESCO Institute for Lifelong Learning「70 years of UIL publications」― UNESCO教育研究所の最初の理事会について
- NobelPrize.org「Nomination Archive|Maria Montessori」
- AMI Montessori Archives
- Montessori 150「Montessori Photo Galleries」
- Stockholmskällan|1950年2月24日、Grand Hôtelでのマリア・モンテッソーリの記者会見
- Nationaal Archief/Wikimedia Commons|1950年3月1日、アムステルダムでのマリア・モンテッソーリ
- Nationaal Archief/Wikimedia Commons|1950年9月18日、アムステルダム市立大学からの名誉博士号授与
- Association Montessori Internationale「Remembering Maria Montessori」
- Atlante Montessori
- Archivio Storico Istituto Luce「Vivente commemorazione di Maria Montessori」1952年5月17日
- Mario Montessori「My Most Unforgettable Character」1965年、『Reader’s Digest』掲載/Montessori 150再録
- Mario Montessori 75 Fund「History」
- Montessori Australia「Brief History of AMI Training」
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