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写真でたどる マリア・モンテッソーリの歴史|第2回|1900–1910年 「子どもの家」の誕生 -モンテッソーリ教育が形になった10年

1900年。30歳を迎えるマリア・モンテッソーリは、医師としての研究を土台に、すでに子どもの教育と教師の養成に取り組んでいました。

しかし、後に世界へ広がるモンテッソーリ教育は、まだ形づくられている途中でした。

障害のある子どもたちと向き合い、教育学、心理学、人類学へと研究を広げ、学校へ足を運び、子どもたちの身体と行動を観察する。

その積み重ねの先に、1907年1月6日、ローマのサン・ロレンツォ地区に一つの小さな場所が開かれます。

Casa dei Bambini ―「子どもの家」。

それまでの医学や教育の研究を土台に、目の前の子どもを観察し、環境や教材を見直していく。子どもたちの姿は、マリアがそれまで抱いていた考えをも変えていきました。

第2回は1900年から1910年まで。
「子どもの家」が生まれ、モンテッソーリ教育が形になっていく10年間を、当時の写真とともにたどります。

1900年|障害のある子どもたちとの仕事から

1900年頃、マリアは、当時、知的な発達に障害があるとみなされていた子どもたちの教育に深く関わっていました。

その仕事の支えとなったのが、フランスの医師ジャン=マルク=ガスパール・イタールと、その研究を受け継いだエドゥアール・セガンの仕事です。

手で触れる。
物を動かす。
形や大きさ、重さを感じる。

言葉だけで教えるのではなく、感覚と運動を通して子どもの知性に働きかける方法でした。

マリアは教材を自らつくり直しながら子どもたちに用い、観察を続けました。教育を受けた子どもたちの一部は、一般の学校の子どもたちが受ける試験にも合格するようになります。

しかし、彼女がそこから考えたのは、単に「障害のある子どもにも教育が可能だった」ということではありませんでした。

それなら、一般の学校に通っている子どもたちは、本来どれほどの力を持っているのだろう。

マリアの関心は、次第にすべての子どもの教育へと向かっていきます。

1901〜1906年|子どもの発達を研究する科学者として

1901年以降、マリアは教育学、実験心理学、人類学などの研究をさらに深めました。

1904年からはローマ大学で人類学などを教え、ローマの小学校に通う子どもたちを観察しながら、身体の発達と教育との関係を研究していきます。

1906年|ローマ大学のScuola pedagogicaで人類学を講義するマリア・モンテッソーリ。出典:『L’Illustrazione Italiana』1907年7月21日号、p.55。所蔵:Biblioteca ONM。

写真に写っているのは、大学で講義をするマリアです。子どもの教育に関わる一方で、人間の発達を科学的に研究し、その知見を伝える仕事も続けていました。

見る。
測る。
記録する。
比較する。
そして、もう一度観察する。

後のモンテッソーリ教育における「観察」の重視も、こうした医師・研究者としての歩みとつながっています。

1906年|ローマ大学の人類学講義で実演を行うマリア・モンテッソーリ。出典:『L’Illustrazione Italiana』1907年7月21日号、p.55。所蔵:Biblioteca ONM。

この時点では、まだ「子どもの家」は開かれていません。

けれども、子どもの発達を調べ、観察した事実から教育を考えるという土台は、すでに育まれていました。

1907年1月6日|最初の「子どもの家」が開く

転機は1907年に訪れます。

場所はローマのサン・ロレンツォ地区。労働者家庭が多く暮らす地域で、集合住宅の再生事業を進めていたIstituto Romano di Beni Stabiliが、住民の幼い子どもたちのための場所を住宅の中につくることになりました。

その教育を任されたのが、マリア・モンテッソーリでした。

そして1907年1月6日、Via dei Marsiに最初のCasa dei Bambini(子どもの家)が開かれます。

サン・ロレンツォの集合住宅内に設けられた「子どもの家」。1910年刊行の資料に掲載。出典:E. Talamo, La Casa Moderna nell’opera dell’Istituto Romano di Beni Stabili, 1910, Tav. XL。

ここでマリアが始めたのは、完成した教育法をそのまま実施することではありませんでした。

これまで障害のある子どもたちとの仕事で使ってきた教材などを持ち込み、子どもたちがどのように関わるのかを観察しました。

何に手を伸ばすのか。
何を繰り返すのか。
どのような場面で、援助が必要になるのか。

子どもが使わないものを見直し、繰り返し手に取るものを残し、子どもの身体や活動に合わせて環境を変える。

それまでの研究を土台にしながら、子どもの行動を手がかりに環境をつくり直していったのです。

子どもたちは、自分から選び、繰り返した

「子どもの家」でマリアが注目したのは、子どもたちが自分から活動へ向かう姿でした。

活動を自分で選ぶ。
一つのことを何度も繰り返す。
深く集中する。
そして、十分に取り組むと、自分から活動を終える。

大人に褒められることや、ごほうびを受け取ることだけでは説明できない、活動そのものへ向かう力が見えてきました。

1907〜1909年|平面幾何学のはめ込みに取り組む子ども。サン・ロレンツォのCasa dei Bambini。出典:M. Montessori, Il metodo della pedagogia scientifica applicato all’educazione infantile nelle Case dei Bambini, Città di Castello, S. Lapi, 1909。

1907〜1909年|着衣枠に取り組む子どもたち。サン・ロレンツォのCasa dei Bambini。出典:M. Montessori, Il metodo della pedagogia scientifica applicato all’educazione infantile nelle Case dei Bambini, 1909。

現在の「子どもの家」にも通じる、子どもがそれぞれの活動に向かう姿が、この時期の写真に残されています。

全員がいつも同じことをするのではなく、一人ひとりが環境の中から活動を選び、自分の手で取り組む。

子どもが何に関心を示し、どのように活動を続けるのか。その姿が、マリアの教育への理解を深めていきました。

子どもたちが、文字に手を伸ばす

サン・ロレンツォでの実践の中でも、とりわけ印象的なのが言語の活動です。

文字の形と音に出会い、手で触れ、言葉を組み立てる。そうした過程も、写真に残されています。

1907〜1909年|砂文字に触れる子どもたち。サン・ロレンツォのCasa dei Bambini。出典:M. Montessori, Il metodo della pedagogia scientifica applicato all’educazione infantile nelle Case dei Bambini, 1909。

文字との出会いは、最初から鉛筆で何度も書くことだけではありませんでした。

指で文字の形をたどる。
その文字に対応する音を聞く。

見ること、触れること、手を動かすこと、音を聞くことが結びついていきます。

1907〜1909年|左の子どもは砂文字に触れ、右の子どもは目隠しをして重さを感じ分けています。サン・ロレンツォのCasa dei Bambini。出典:M. Montessori, Il metodo della pedagogia scientifica applicato all’educazione infantile nelle Case dei Bambini, 1909。

そして、文字を知った子どもたちは、可動文字を使って言葉をつくり始めます。

1907〜1909年|可動文字を使って言葉をつくる子どもたち。サン・ロレンツォのCasa dei Bambini。出典:M. Montessori, Il metodo della pedagogia scientifica applicato all’educazione infantile nelle Case dei Bambini, 1909。

さらに、自分の手で文字を書く姿も見られるようになりました。

1907〜1909年|「5歳の女の子が口述された言葉を黒板に書く」と紹介された写真。サン・ロレンツォのCasa dei Bambini。出典:M. Montessori, Il metodo della pedagogia scientifica applicato all’educazione infantile nelle Case dei Bambini, 1909。

活動の場は、室内だけではありませんでした。

「子どもの家」では、テラスや屋外も、子どもたちが活動する環境の一部として使われています。

1907〜1909年|テラスの床に文字を書く子どもたち。サン・ロレンツォのCasa dei Bambini。出典:M. Montessori, Il metodo della pedagogia scientifica applicato all’educazione infantile nelle Case dei Bambini, 1909。

テラスの床に身体を近づけ、文字を書く子どもたち。

1909年版の写真説明には、3歳の女の子が試行錯誤の末に初めて「mano(手)」と書き、その声に別の女の子が振り返ったことが記されています。

文字を覚えるだけでなく、自分の手で言葉を書き表す。
子どもたちが書く力を獲得していく場面が、当時の写真と説明に残されています。

1908〜1909年|ローマからミラノへ

サン・ロレンツォでの実践は、ローマの外へも伝わっていきます。

1908年10月18日、ミラノのSocietà Umanitaria(人道協会)が運営する労働者住宅地区Via Solariに、ミラノで最初のCasa dei Bambiniが開設されました。

責任者となったのは、後にマリアの重要な協力者となるアンナ・マリア・マッケローニでした。

さらに1909年11月には、同協会の第二の労働者住宅地区、RottoleにもCasa dei Bambiniが開かれます。

1910年代初頭|ミラノ・RottoleのSocietà Umanitaria労働者住宅に設けられたCasa dei Bambini。窓や中庭から家族が、屋外で活動する子どもたちを見ています。出典:M. Montessori, Il metodo della pedagogia scientifica applicato all’educazione infantile nelle Case dei Bambini, Roma, Ermanno Loescher & C., 1913。

この写真は、開設後の1910年代初頭の姿を伝えるものです。子どもたちが活動する場所と、家族が暮らす住宅が近接している様子も分かります。

ローマの実践がミラノへ広がることで、マリアの仕事は、一つの施設での試みから、別の地域でも実践される教育へと変わり始めました。

Società Umanitariaでは、モンテッソーリ教材の製作も進められていきます。教育を伝える人だけでなく、活動を支える教材を用意する仕組みも育っていきました。

1909年|Via Giustiの「子どもの家」

1908年12月、メッシーナとレッジョ・カラブリアを大地震が襲いました。

翌1909年、ローマのVia Giustiにあるマリアの宣教者フランシスコ修道会の施設にもCasa dei Bambiniが開かれ、震災で家族や生活の場を失った子どもたちが受け入れられます。

ここに残された写真には、子どもたちの暮らしと活動が写っています。掃除や洗濯、食事など、生活そのものが教育の場になっている様子を見ることができます。

1910年代初頭|ローマ・Via GiustiのCasa dei Bambiniの庭にいる、マリア・モンテッソーリとマリア・マライーニ・ゲリエーリ・ゴンザーガ。出典:M. Montessori, Il metodo della pedagogia scientifica applicato all’educazione infantile nelle Case dei Bambini, Roma, Ermanno Loescher & C., 1913。

生活することそのものが、子どもの活動になる

「子どもの家」で行われていたのは、いわゆる「教材」を使う活動だけではありませんでした。

掃除する。
洗濯する。
食事をする。
自分たちが使う場所を自分たちで整える。

生活することそのものが、子どもの活動になっていきます。

以下の写真は、1909年に開かれたVia GiustiのCasa dei Bambiniを、その後の1910年代に撮影したものです。開設後の暮らしの様子を伝える資料として紹介します。

1910年代|ほうきで床や敷物を掃除する子どもたち。ローマ・Via GiustiのCasa dei Bambini。出典:G. Alatri, “Le prime Case dei bambini a Roma tra il 1907 e il 1914 da San Lorenzo al Pincio, passando per via Giusti”, 『Vita dell’infanzia』, 2007。

写真には、ほうきを手にして掃除に取り組む子どもたちが写っています。

自分たちが使う環境を、自分たちの身体を使って整える。その活動に、子ども自身が参加しています。

1910年代|たらいを使って洗濯に取り組む子どもたち。ローマ・Via GiustiのCasa dei Bambini。出典:G. Alatri, “Le prime Case dei bambini a Roma tra il 1907 e il 1914 da San Lorenzo al Pincio, passando per via Giusti”, 『Vita dell’infanzia』, 2007。

水を使う。
布を洗う。
絞る。
使った道具を整える。

洗濯には、いくつもの動作が順序をもってつながっています。自分の手で一つずつ進める経験は、身体の動きを調整し、生活の中で自分にできることを増やしていく機会にもなります。

1910年代|食事の準備に参加する子ども。ローマ・Via GiustiのCasa dei Bambini。出典:G. Alatri, “Le prime Case dei bambini a Roma tra il 1907 e il 1914 da San Lorenzo al Pincio, passando per via Giusti”, 『Vita dell’infanzia』, 2007。

1910年代|食卓を囲む子どもたち。ローマ・Via GiustiのCasa dei Bambini。出典:G. Alatri, “Le prime Case dei bambini a Roma tra il 1907 e il 1914 da San Lorenzo al Pincio, passando per via Giusti”, 『Vita dell’infanzia』, 2007。

食事も、子どもたちが共同生活に参加する時間です。

席に着き、食器を扱い、周囲の人と食卓を囲む。

子どものために大人がすべてを代わって行うのではなく、子ども自身が生活の一員として参加できるように環境を整える。

現在のモンテッソーリ教育で「日常生活の練習」と呼ばれている活動に通じる姿が、100年以上前の写真に残されています。

1910年代|ローマ・Via GiustiのCasa dei Bambiniで過ごす子どもたち。出典:G. Alatri, “Le prime Case dei bambini a Roma tra il 1907 e il 1914 da San Lorenzo al Pincio, passando per via Giusti”, 『Vita dell’infanzia』, 2007。

1909年|「教える人」を育てる

1909年、もう一つ大きな転換が起こります。

ウンブリア州チッタ・ディ・カステッロのVilla Montescaで、マリアによる「科学的教育学」の講座が開かれました。

開催を支えたのは、アリーチェ・ハルガルテン・フランケッティとレオポルド・フランケッティ夫妻です。

それまでマリア自身が観察し、試し、改良してきたものを、今度は他の教師へ伝えていく。そのための講座が始まりました。

1909年|チッタ・ディ・カステッロのVilla Montescaで行われた科学的教育学講座。マリア・モンテッソーリは下から2列目の右端。出典:M. Montessori, Corso di pedagogia scientifica, Città di Castello, Società Tip. Editrice, 1909。所蔵:Biblioteca ONM。

教育を伝えるために必要なのは、教材の形や使い方を共有することだけではありません。子どもをどのように観察し、どのように援助するのかという、教師の関わり方も重要になります。

子どもの何を見るのか。
いつ示すのか。
いつ助けるのか。
そして、いつ手を出さずに待つのか。

子ども自身の活動が始まり、続いていく条件を整える。

この講座は、そうした教育を他の教師へ伝え、実践の場を広げていく歩みの出発点となりました。

1909年|子どもたちとの実践が、一冊の本になる

同じ1909年、マリアは
『Il metodo della pedagogia scientifica applicato all’educazione infantile nelle Case dei Bambini』
を出版しました。

1909年|マリア・モンテッソーリ『Il metodo della pedagogia scientifica applicato all’educazione infantile nelle Case dei Bambini』。チッタ・ディ・カステッロ、S. Lapi刊。出典:Bibliothèque nationale de France。

この本は後に各国語へ翻訳され、モンテッソーリ教育が世界へ広がる大きなきっかけとなりました。1912年には、英語版が『The Montessori Method』という書名で刊行されます。

本にまとめられたのは、完成した理論をそのまま子どもに当てはめた記録ではありません。

それまでの医学や教育の研究を土台に、目の前の子どもを観察する。
環境や教材を見直す。
そして、もう一度、子どもの姿から考える。

研究と実践を往復する中で、モンテッソーリの教育は形になっていきました。

この一冊によって、教室での実践が、遠く離れた場所にいる人々にも伝わるようになります。

1910年|世界へ広がる教育の土台が整う

1910年までに、サン・ロレンツォの一室で始まった実践は、ローマの別の場所へ、そしてミラノへと広がっていました。

マリアは同年、それまでの研究をまとめた『Antropologia pedagogica(教育人類学)』も刊行します。

1900年には、医師としての研究を土台に、障害のある子どもたちの教育と教師の養成に取り組んでいたマリア・モンテッソーリ。

それから10年。

大学で子どもの発達を研究し、
「子どもの家」が生まれ、
子どもたちの集中や繰り返しに目を向け、
文字や生活の活動を通して、その力を知っていく。

実践は別の都市へ広がり、教師を育てる講座が始まり、その記録は一冊の本になりました。

1910年頃〜1915年頃とされるマリア・モンテッソーリの肖像。Bain News Service資料。所蔵:Library of Congress, George Grantham Bain Collection。

子どもを見る目が変わっていった10年

1900年から1910年までをたどると、モンテッソーリ教育が、ある一日に突然生まれたわけではないことが分かります。

障害のある子どもたちとの仕事。
医学や人類学の研究。
学校での観察。
1907年の「子どもの家」。
子どもたちの集中と繰り返し。
文字への関心。
日々の生活への参加。
ミラノへの広がり。
教師養成。
そして1909年の『Il metodo』。

それぞれの経験がつながり、教育の形を変えていきました。

この時期の写真を見ていると、マリア本人の肖像だけでなく、活動する子どもたちや、その子どもを取り巻く環境が主役になっていくことにも気づきます。

子どもが自分で取り組める環境を用意したとき、どのような姿が現れるのか。

その姿を観察し、必要な援助を考える。現在の「子どもの家」にもつながる問いが、この10年間の実践にあります。

1907年、ローマのサン・ロレンツォに生まれた小さなCasa dei Bambini。そこでの実践は、次の10年間でイタリアの国境を越え、世界へ広がっていくことになります。

次回は1910–1920年。
モンテッソーリ教育がヨーロッパ各地、そしてアメリカへと急速に広がっていく時代を、当時の写真とともにたどります。

「写真でたどる マリア・モンテッソーリの歴史」

第1回|1870–1900年 医師から教育者へ – マリア・モンテッソーリの出発点
第2回|1900–1910年「子どもの家」の誕生 – モンテッソーリ教育が形になった10年
第3回|1910–1920年 ローマから世界へ – 広がり始めたモンテッソーリ教育
第4回|1920–1930年 国際運動へ – 世界への広がりとAMIの誕生
第5回|1930–1940年 ファシズムとの決別 – ヨーロッパを離れ、インドへ 
第6回|1940–1950年 インドで深まった「宇宙教育」と平和への思想 
第7回|1950年以降 晩年、そして世界に受け継がれた教育 

主な参考資料

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