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同じモンテッソーリから、なぜ二つの道が生まれたのか – AMSとAMI、アメリカで分かれた継承の歴史

ナンシー・マコーミック・ランブッシュとマリオ・モンテッソーリ。ともにモンテッソーリ教育の普及を願いながら、やがてその未来について異なる道を選ぶことになります。写真をもとにしたイラスト。

同じモンテッソーリ教育を広めようとしていた二人が、なぜ別々の道を歩くことになったのでしょうか。

一人は、マリア・モンテッソーリの息子であり、国際モンテッソーリ協会(AMI)を率いていたマリオ・モンテッソーリ。

もう一人は、1950年代のアメリカでモンテッソーリ教育を復活させた教育者、ナンシー・マコーミック・ランブッシュです。

ランブッシュは、のちにアメリカ・モンテッソーリ協会(American Montessori Society=AMS)を設立します。現在のアメリカでは、AMSと、AMIにつながるAMI/USAという二つの大きな流れが存在しています。

しかし、この二つは最初から別々だったわけではありません。

むしろAMSは、AMIとともにアメリカへモンテッソーリ教育を広げようとした運動の中から生まれた組織でした。

その関係は、わずか数年のうちに大きく変わります。

背景にあったのは、単なる人間関係の対立ではありません。アメリカで予想を超える勢いでモンテッソーリ教育が広がったこと。そして、「この教育をどこまで変えてよいのか」という問いでした。

1950年代、アメリカではモンテッソーリがほとんど忘れられていた

モンテッソーリ教育は、1910年代にはすでにアメリカへ紹介されていました。ところが、その後急速に勢いを失い、1920年代以降はアメリカの主流教育からほとんど姿を消していきます。

再びモンテッソーリ教育への関心が高まり始めるのは、1950年代になってからでした。

その中心にいたのが、ナンシー・マコーミック・ランブッシュです。

ランブッシュは学生時代にマリア・モンテッソーリの著作と出会い、その後ヨーロッパでモンテッソーリ学校を訪問しました。1950年代初めには国際モンテッソーリ会議に参加し、そこでマリオ・モンテッソーリと出会います。

マリオから正式な教師養成を受ける必要があると助言されたランブッシュは、1954年にロンドンへ渡りました。翌1955年には3〜6歳のモンテッソーリ教師養成を修了し、さらに6〜12歳のコースへ進みます。

アメリカへ戻った彼女は、自宅で小さなモンテッソーリのグループを始めました。

そして1958年、コネチカット州グリニッジにWhitby Schoolを開校します。最初の子どもは17人でした。

マリオは、ランブッシュをAMIのアメリカ代表に任命した

Whitby Schoolは急速に成長します。

1959年12月には63人、1961年には150人規模の新しい校舎へ移りました。さらに『TIME』や『Saturday Evening Post』などの全国誌が学校を紹介したことで、モンテッソーリ教育への関心はアメリカ各地へ広がっていきます。

この動きを評価したマリオは、1959年6月、ランブッシュをAMIのアメリカ代表に任命しました。

彼女に託されたのは、アメリカでモンテッソーリ学校を増やし、教師養成の仕組みをつくり、AMIとつながるモンテッソーリ組織を設立することでした。

その翌年、1960年にランブッシュが設立したのが、American Montessori Society(AMS)です。

つまり、この時点のAMSは、AMIに対抗するためにつくられた組織ではありません。

AMIのアメリカでの普及を担う組織として出発したのです。

1962年には、AMSがAMIのアメリカにおける代表組織として、モンテッソーリ教育の普及やAMI認定教師養成の整備を担う正式な関係まで結ばれました。UConnのアーカイブには、このときのAMIとAMSの署名入り協定書も残っています。

AMIとAMSの協定書・当時の書簡を見る(UConn Library)

ところが、広がる速度が速すぎた

アメリカでの復活は成功しました。

しかし、その成功そのものが、新たな問題を生みます。

モンテッソーリ学校をつくりたい。
教師を紹介してほしい。
教師養成を受けたい。
自分たちの地域にも学校を開きたい。

全米から、問い合わせが一気に押し寄せるようになります。

ところが、モンテッソーリ教師は圧倒的に足りませんでした。AMSもまだできたばかりの小さな組織です。全国規模の急成長に対応できるだけの人員も資金もありません。

後にマリオ自身が、1963年の書簡の中で、この状況を振り返っています。

ランブッシュが講演や執筆を重ね、人々が実際のモンテッソーリ教育を見るようになった結果、モンテッソーリはアメリカで「exploded(爆発した)」と表現しました。

そしてその一方で、学校を始めたい人々が殺到し、訓練を受けた教師だけでなく、十分な養成を受けていない人までヨーロッパやアジアから呼び寄せられるような混乱が起きていたことも記しています。

Mario Montessori「A Long Letter to Montessorians in America」(1963)について見る

ランブッシュが起こしたアメリカでの復興は、成功しすぎたともいえます。

モンテッソーリ教育を広げることと、その質をどう守るか。

二人は、この難しい問題に直面することになります。

ランブッシュは「アメリカに根づくモンテッソーリ」を考えた

ランブッシュは、モンテッソーリ教育がアメリカ社会の中で本当に広がるためには、ヨーロッパで行われてきた形をそのまま持ち込むだけでは不十分だと考えるようになります。

例えば、モンテッソーリ教師養成をアメリカの大学や教員養成制度と結びつけること。

当時発展していた発達心理学やアメリカの教育研究とも対話すること。

使用する教材や、特定の技能を学ぶ年齢についても、ある程度柔軟に考えること。

そして、モンテッソーリ教育を一部の私立学校や特定の宗教的背景を持つ学校だけにとどめず、公教育を含むアメリカ社会全体へ広げることでした。

ランブッシュにとって重要だったのは、モンテッソーリ教育を「アメリカでも生きる教育」にすることでした。

マリオは「変えすぎれば、モンテッソーリではなくなる」と考えた

一方のAMIには、別の懸念がありました。

マリア・モンテッソーリが長い観察と実践から築いた教育原理には、国や文化を超えて通用する普遍性がある。

それを、それぞれの国の教育制度や流行する理論に合わせて変えていけば、やがて本来のモンテッソーリ教育が失われてしまうのではないか。

この考え方の違いは、教師養成を誰が管理するのか、どのような資格を認めるのか、組織を誰が運営するのかという現実的な問題にもつながっていきました。

資金や組織の管理をめぐる問題も重なり、ランブッシュとマリオは何度も衝突することになります。

1959年から1963年までのアメリカ・モンテッソーリ運動を研究したキース・ホワイトスカーバーとジャクリーン・コセンティーノは、この時期を、急成長と混乱が同時に起きた時代として分析しています。

二人は、ランブッシュとマリオを、同じモンテッソーリの理想に深く関わりながら、その理想をどう実現するかをめぐって繰り返し衝突した二人として描いています。

Keith Whitescarver & Jacqueline Cossentino(2006)“Establishing an American Montessori Movement: Another Look at the Early Years”

1963年、二つの道へ

やがて、その違いを一つの組織の中で調整することが難しくなります。

1963年、AMIはAMSをモンテッソーリ協会として正式に認める関係を終了しました。

ここからAMSは、AMIとは独立した組織として歩み始めます。

同じ年、ランブッシュ自身もAMS会長を退任しました。

こうして、アメリカのモンテッソーリ教育には二つの継承の道が生まれました。

一つは、アメリカの教育制度や文化との接続を重視しながら発展していくAMS。

もう一つは、AMIが定める教育原理と教師養成の基準を受け継いでいく流れです。

それでもマリオは、ランブッシュの功績を否定しなかった

ここで、この歴史を単純な「決裂」で終わらせてはいけない理由があります。

関係が分かれた1963年、マリオはアメリカのモンテッソーリアンへ長い書簡を書いています。

その中で彼は、ランブッシュとの考え方の違いを抱えながらも、彼女がアメリカで果たした仕事そのものは高く評価しました。

長く忘れられていたモンテッソーリ教育を再びアメリカへ紹介し、人々にその実践を見せ、全国へ広げた。

そして先ほど触れたように、その広がりを「Montessori ‘exploded’ in the United States」と表現しています。

袂を分かった相手について、それでも「彼女がアメリカでモンテッソーリを復活させた」という事実は認めていたのです。

この点は、AMSとAMIの分裂を考えるうえで、とても重要だと思います。

二人が違う未来を見たからといって、どちらかがモンテッソーリ教育を大切にしていなかったわけではありません。

むしろ、二人ともこの教育を未来へ残そうとしていたからこそ、「何を守り、何を変えてよいのか」という問題で衝突したのでしょう。

AMIの流れも、アメリカから消えたわけではない

AMSとAMIが分かれたからといって、AMIの活動がアメリカからなくなったわけではありません。

マリオの要請を受け、AMIトレーナーのマーガレット・E・ステファンソンは1960年にアメリカへ渡り、教師養成や学校支援を続けました。

彼女はWashington Montessori Instituteを設立し、アメリカでAMI教師養成を発展させていきます。

そして1972年、AMIの米国支部としてAMI/USAが設立されました。現在は、アムステルダムに本部を置くAMIの米国における主要な運営組織となっています。

AMI/USA「Our Story」

ランブッシュ本人の講演映像も残されている

ナンシー・マコーミック・ランブッシュ本人が語る映像も、コネチカット大学のデジタルアーカイブに残されています。

1982年3月2日にテキサス州フォートワースで行われた講演で、全5部に分けて保存されています。

1982年 ナンシー・マコーミック・ランブッシュ講演映像を見る(UConn Archives)

※UConn Archivesの動画はストリーミング再生がかなり重く、再生が途中で止まったり、操作に時間がかかる場合があります。

二つに分かれたことで、二つのモンテッソーリが残った

その後、AMSは独自の教師養成、学校認定、研究、政策活動を発展させていきました。現在AMSは、アメリカだけでなく世界各地に会員を持つ大きなモンテッソーリ組織になっています。

一方、AMI/USAも、AMIの教師養成や学校支援をアメリカで担い続けています。

現在のアメリカには、AMSの学校もあれば、AMIの学校もあります。

そして興味深いことに、かつて別々の道を選んだ両組織は、現在では協力する場面もあります。

2013年にはAMSとAMI/USAが共同でMontessori Public Policy Initiative(MPPI)を設立し、モンテッソーリ教育を公教育制度や教育政策の中で支えるための活動を始めました。

Montessori Public Policy Initiative(MPPI)

1960年代、ランブッシュとマリオは、同じ教育を見ながら、その未来について違う方向を見ました。

一方は、アメリカの社会や教育制度に根づくために、変化することを選んだ。

もう一方は、国や文化が変わっても失ってはいけないものを守ろうとした。

どちらの道も、その後のアメリカで途絶えることはありませんでした。

一つのモンテッソーリから生まれた二つの継承は、それぞれの方法で教育を広げ、現在もアメリカのモンテッソーリ教育を支えています。

そして二つの組織が再び協力する現在を見ると、1963年の分裂は、どちらかが残り、どちらかが消えるための別れではなかったことがわかります。

「守ること」と「広げること」。

モンテッソーリ教育を次の時代へ伝えるとき、この二つをどう両立させるのか。

ランブッシュとマリオが向き合った問いは、60年以上たった今も、モンテッソーリ教育の継承を考える私たちに残されています。

追記:2026年、AMIとAMSが共同で新たなカリキュラムを策定

かつてモンテッソーリ教育の継承と普及をめぐって袂を分かったAMIとAMSですが、2026年、新たな共同プロジェクトが進んでいます。

AMI、AMS、AMI/USA、MPPIの4組織が協力し、アメリカ全体で共通して参照できる「US National Montessori Curriculum(米国モンテッソーリ全国カリキュラム)」を策定しているのです。

最初の0〜6歳版は、2026年後半に公開される予定です。

1963年の分裂から60年以上。異なる道を歩んできた組織が、今度は「モンテッソーリ教育として共通して大切にするものは何か」を、一緒に示そうとしています。

もちろん、二つの組織が統合されるわけではありません。しかし、ランブッシュとマリオが向き合った問いが、時代を超えて新しい協力へとつながっていることは、とても興味深い出来事です。

関連記事:
AMIとAMSが米国共通カリキュラムを共同策定 ― 0〜6歳版を2026年末に公開予定

参考資料

University of Connecticut Library
Nancy McCormick Rambusch and the American Montessori Movement
ランブッシュとマリオ・モンテッソーリの書簡、AMIとAMSの協定書、1963年の「A Long Letter to Montessorians in America」などを紹介。

University of Connecticut Digital Archives
Nancy McCormick Rambusch Talk, Fort Worth, TX, Part I
1982年3月2日。ランブッシュ本人による講演映像。全5部。

Keith Whitescarver & Jacqueline Cossentino(2006)
“Establishing an American Montessori Movement: Another Look at the Early Years”
Montessori Life, Vol.18, No.2, pp.44–49.
1959〜1963年のアメリカ・モンテッソーリ運動の急成長と混乱、マリオ・モンテッソーリとランブッシュの関係を検討した研究。

American Montessori Society
History of Montessori Education

AMI/USA
Our Story
マーガレット・E・ステファンソンの活動と、1972年のAMI/USA設立について。

Montessori Public Policy Initiative
About MPPI
AMSとAMI/USAが2013年に共同設立した政策連携組織。

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