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レニルデ・モンテッソーリ – 祖母から受け継いだ教育を、国境の向こうへ

レニルデ・モンテッソーリ(1929–2012)/参考写真をもとにAIで生成したイラスト

マリア・モンテッソーリの孫として生まれ、のちにAMI(国際モンテッソーリ協会)の事務総長、会長を務めたレニルデ・モンテッソーリ。日本では、著書『国境のない教育者』を通して、その名前を知った人もいるでしょう。
祖母の教育を学び、次の教師を育てる。そして、教育の機会が十分に届いていない場所にも目を向ける。レニルデは、モンテッソーリ教育をより多くの子どもたちへ届けようとした人でした。

その人生は、幼いころから教育の仕事一筋だったわけではありません。航空会社や映画の現場で働き、二人の息子を育てた時期もありました。祖母のそばで過ごした少女が、どのように教育者となり、国境を越えた活動へと歩みを進めたのか。その生涯をたどります。

バルセロナに生まれ、戦争の時代を育つ

レニルデは1929年、スペインのバルセロナで生まれました。父はマリアの息子マリオ・モンテッソーリ、母はアメリカ人のヘレン・クリスティです。
幼いころはバルセロナのモンテッソーリ学校に通っていましたが、1936年にスペイン内戦が始まり、一家は街を離れます。その後、オランダが生活の拠点となりました。

第二次世界大戦も、家族の暮らしを変えました。教師養成のためにインドへ渡った祖母マリアと父マリオは、戦争によって長くヨーロッパへ戻れなくなります。その間、レニルデは占領下のオランダで過ごしました。
戦後には、再びインドへ向かう二人に同行し、アディヤールで祖母の教師養成コースを聴講しています。身近な祖母が教育者として人々に語りかける姿に、学ぶ側からも触れる機会となりました。

仕事と子育てを経験してから、教育の道へ

若いレニルデは、教育以外の仕事にも取り組みました。客室乗務員として働き、ヨーロッパの映画撮影の現場では記録の仕事を経験しています。結婚し、二人の息子の母にもなりました。

モンテッソーリ教育の仕事に本格的に加わったのは、1968年。父マリオの個人秘書として働き始めます。さらに1971年には、アメリカのワシントン・モンテッソーリ・インスティテュートで、幼児教育のディプロマを取得しました。
祖母のそばで育ったレニルデは、さまざまな仕事や子育てを経験したのち、自ら教師養成コースで学び、教育者としての歩みを始めたのです。

学んだことを、次の教師へ伝える

資格取得後は、講師、教師養成者、試験官として活動しました。カナダのトロントにあるFoundation for Montessori Educationでは、1989年から1995年まで教師養成の責任者を務めています。

そこでレニルデに学んだ一人が、サンドラ・ジルラートです。幼児教育の教師養成と、その教師を育てるトレーナーになるための研修を、レニルデの指導のもとで受けました。のちにサンドラ自身も、同じ養成機関で教師を育てる立場になります。
一人の教師に伝えたことが、その教師の出会う子どもたちへ届く。さらに、その人が次の教師を育てていく。レニルデの仕事は、こうした人から人へのつながりを通して広がりました。

1995年にはAMIの事務総長に就任し、2000年には会長となります。教師養成に加え、国際的な組織を支える立場からも、モンテッソーリ教育に関わっていきました。

戦争を経験した少女が、「国境なき教育者」へ

幼いころにスペイン内戦で暮らしていた街を離れ、第二次世界大戦中には、祖母や父と離れて占領下のオランダで過ごしたレニルデ。戦争によって家族の暮らしが変わることを、自身も経験していました。
その人生をたどるとき、のちに彼女が力を注いだ「国境なき教育者」という活動にも、あらためて目が向きます。

Educateurs sans Frontières(エデュカトゥール・サン・フロンティエール/EsF)は、モンテッソーリ教育を通して、国や人種、宗教、政治的・社会的な立場にかかわらず、子どもの権利を支えようとする活動です。レニルデは、祖母の教育が持っていた、社会のなかで困難な状況にある子どもたちへ手を差し伸べる役割を、あらためて大切にしようとしました。

戦争や暴力によって住む場所を追われると、子どもは家だけでなく、友だちや学びの場、いつもの生活も失います。それでも、成長は続いています。手を動かしたい、自分でやってみたい、誰かと関わりたいという願いもあります。
避難生活のなかにいる子どもにも、安心して過ごし、自分の力を使いながら育っていく時間が必要です。
EsFが向けたまなざしは、モンテッソーリ学校の教室を越え、そうした子どもたちの暮らしにも広がっていきました。

祖母が教師養成を始めた場所で、教育と社会を考える

1999年、レニルデはヒラ・パテル、カミロ・グラッツィーニとともに、最初のEsFの集まりを企画しました。会場は、イタリアのヴィラ・モンテスカ。1909年に、祖母マリアが最初の教師養成コースを行った場所です。
そこで学びと話し合いを重ねたことが、EsFをAMIの活動の一部として正式に位置づけることにつながりました。

祖母が教師を育てた場所で、その教育を社会のどこへ、どのように届けていくのかを考える。大切なのは、異なる文化や暮らしのなかで、子どもと地域の人々に必要な支えを見つけることでした。
レニルデが目指したのは、外から一方的に教えを持ち込む関わりではありません。そこに暮らす人々の学びと成長を助け、その人たち自身の力を支える教育者のあり方でした。

避難生活のなかに、子どもが学べる場所をつくる

この方向性を具体的な活動として知ることができるのが、EsFが紹介するケニアの「コーナー・オブ・ホープ」です。
2007年の選挙後の暴力によって、多くの人々が住まいを追われました。ナクル近郊のニュー・カナーンには、国内で避難生活を送る人々が集まり、子どもたちが十分な教育を受けられない状況がありました。そこで始まったのが、モンテッソーリの教師養成と学校づくりを通した取り組みです。

活動が目指したのは、地域の人々が、自分たちで子どもの育ちを支えられるようになることでした。教師を育て、学ぶ場所をつくり、地域の人々がその運営に関わる。学校づくりを通して、地域の暮らしを立て直す力も育てようとしたのです。
EsFの紹介では、自立、自分たちで決めること、尊厳、自分自身の価値を感じることが大切にされています。

これは、レニルデ本人が現地で指導したというエピソードではありません。彼女が始めたEsFの理念につながる実践です。
「国境なき教育者」という言葉が、避難生活を送る子どもたちの学びの場として形になっていることが分かります。

地域で教師を育てる取り組みは、今も続いている

EsFが紹介している実践の一つに、エチオピアのモンテッソーリ教師養成があります。1986年に設立されたBiruh Tesfaの養成機関は、農村部などで働く教師を育て、現地で手に入る材料を使った教具づくりにも取り組んできました。

2026年8月には、この場所でエチオピア初のAMI 0〜3歳ディプロマコースが開講し、エチオピア、ケニア、タンザニアから35名が参加しています。バンビーノでも紹介した、この教師養成のニュースです。

その地域で暮らす人が教師となり、身近な材料で環境を整え、学びを子どもたちへ届けていく。こうした取り組みにも、レニルデがEsFを通して広げようとした、教育の届く範囲を広げるという願いを重ねることができます。

平和を、子どもが毎日経験できるものに

ここで、モンテッソーリ教育と平和のつながりが見えてきます。
AMIは、平和教育を、特別な授業として付け加えるものではなく、モンテッソーリ教育の日々の経験に含まれるものとして説明しています。自分で選び、集中して取り組むこと。ほかの人と協力すること。意見がぶつかったときに、暴力によらず解決すること。そのための環境を、大人が整えていきます。

幼い子どもにとっては、自分の話を聞いてもらうこと、取り組んでいることを尊重されることも、その土台になるでしょう。相手にも思いや願いがあると知り、一緒に暮らす方法を少しずつ学んでいく。平和は、日々の人との関わりのなかでも経験されるものです。

戦争や暴力によって生活を壊された地域で、こうした時間と場所を取り戻していく。その仕事を教育者が担うことにも、EsFの意味があります。
一人の子どもが尊重され、自分の力を発揮し、ほかの人とともに生きる経験を重ねられるようにする。
祖母から受け継いだ教育を、国境の向こうへ届けようとしたレニルデの活動は、平和を支える人間の育ちに関わる仕事でもありました。

映像に残る、レニルデ自身の姿

2004年のEsF開会講演は、二つの動画として公開されています。英語の映像ですが、レニルデが自ら語る姿を見ることができます。

2004年、EsFの開会講演を行うレニルデ・モンテッソーリ(前半)。公開:AMIESFMEDIA/英語

2004年、EsFの開会講演を行うレニルデ・モンテッソーリ(後半)。公開:AMIESFMEDIA/英語

教育を語るとき、子どもを見失っていないか

レニルデの考え方を伝える記録は、講演映像のほかにも残されています。アメリカのコロンビア大学ティーチャーズ・カレッジが紹介した講演では、大人が教育について議論するなかで、肝心の子どもを置き去りにしてしまう問題を取り上げています。
教育の制度や大人の考えを優先するあまり、子ども自身がどのように学ぶのかを見失っていないか。レニルデは、そこに目を向けるよう促しました。

この問いは、家庭や教室での日々の関わりにも重ねられます。
たとえば、大人が次の活動を勧めたいと思っているとき、子どもはまだ同じ動きを繰り返しているかもしれません。大人には十分に見えても、子どもは何かを確かめている途中なのかもしれない。そこで一度立ち止まり、何をしているのかを見ることができます。

何を教えるかを考えるときにも、その前に、目の前の子どもが何に取り組んでいるのかを知ろうとする。レニルデの問題提起は、教育について語る大人自身の姿勢を問い直すものでもあります。

日本語になった『国境のない教育者』

レニルデの著書は、日本語でも読むことができます。2000年に学苑社から刊行された『国境のない教育者――モンテッソーリ教育』です。翻訳を担当したのは、クラウス・ルーメルと江島正子でした。

ルーメルは、本連載の第1回でも紹介した、日本でモンテッソーリ教育の普及に携わった人物です。レニルデの言葉が日本の読者へ届くまでにも、教育を伝えようとする人たちの仕事がありました。
その生涯やEsFの活動を知ったうえで本を開くと、「国境のない教育者」という題名も、一人の教育者が取り組んできた仕事と結びついて見えてきます。

祖母から受け継いだ教育を、その先へ

レニルデ・モンテッソーリは、2012年9月14日、スペインで亡くなりました。
祖母の教育を自ら学び、教師を育て、AMIを支え、教育の機会を広げる活動へと進んだ生涯でした。

一人の子どもが、自分で取り組める環境を整える。その一方で、そうした環境に出会う機会そのものが少ない子どもたちにも目を向ける。レニルデの歩みをたどると、モンテッソーリ教育に携わる大人の仕事が、教室の内外に広がっていることに気づきます。
目の前の子どもを支えることから、まだ教育が十分に届いていない場所へ。そのつながりを考える手がかりが、レニルデの残した活動と言葉にあります。

この記事で紹介した書籍

レニルデ・モンテッソーリの著書から、日本語で刊行されている一冊を紹介します。リンク先では中古本が表示される場合があります。入手が難しい場合は、図書館の所蔵情報もご活用ください。

『国境のない教育者――モンテッソーリ教育』
著:レニルデ・モンテッソーリ
訳:クラウス・ルーメル、江島 正子
出版社:学苑社
刊行年:2000年

レニルデの言葉に日本語で触れられる一冊です。教師養成や国際的な活動に携わった著者について、さらに知りたい方へ。

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