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地球の長い歴史の中に、自分がいる – 作家アンソニー・ドーアに残ったモンテッソーリの学び

第二次世界大戦末期のフランス。

目の見えない少女マリー=ロールと、ドイツ軍に入ることになる少年ヴェルナー。

交わるはずのなかった二人の人生が、フランス北西部の海辺の町サン・マロで近づいていきます。

2014年に発表された小説『すべての見えない光(All the Light We Cannot See)』は世界的なベストセラーとなり、翌2015年、ピュリッツァー賞フィクション部門を受賞しました。

この小説を書いたのが、アメリカの作家アンソニー・ドーア(Anthony Doerr)です。

日本では、作品を知っていても、作家本人についてはあまり知られていないかもしれません。

けれど彼の作品をいくつか読んでみると、そこには繰り返し現れるものがあります。

貝。
樹木。
昆虫。
海。
電波。
地球の歴史。
そして、何百年、何千年という時間。

途方もなく大きな自然と時間の中に、一人の人間の短い人生を置いてみる。

それは、アンソニー・ドーアという作家を特徴づける世界の見方のひとつです。

そして大人になったドーア自身が、その感覚の原点のひとつとして振り返っているものがあります。

9年間にわたって受けた、モンテッソーリ教育です。

世界的ベストセラー『すべての見えない光』

『すべての見えない光』の舞台は、第二次世界大戦下のヨーロッパです。

パリで父と暮らしていた盲目の少女マリー=ロール。

そして、ラジオの技術に才能を持ち、その能力によってナチス・ドイツの軍事学校へ進むことになる孤児の少年ヴェルナー。

戦争によって遠く離れた場所にいた二人の人生が、やがてフランスの城塞都市サン・マロで交差していきます。

1944年、戦災を受けたフランス・サン・マロ。『すべての見えない光』の主要な舞台となった町である。撮影者不詳。出典:Wikimedia Commons/Public Domain(France)。

サン・マロは実際に1944年の戦闘で大きな被害を受けました。

ドーアは、この古い城壁都市が戦後に再建され、かつて街が焼失したことを感じさせないほど美しい姿を取り戻していることに強く惹かれました。

そこに、ラジオという「目には見えないもの」を通して結ばれる二人の物語を重ねていきます。

作品は2015年のピュリッツァー賞フィクション部門を受賞。

2023年にはNetflixによって全4話のリミテッドシリーズとして映像化されました。

Netflix『すべての見えない光』公式予告編。アンソニー・ドーアのピュリッツァー賞受賞作を原作に、2023年に全4話のリミテッドシリーズとして映像化された。出典:Netflix公式YouTube

小さな貝から、世界へ

ドーアのデビュー短篇集『シェル・コレクター』の表題作には、ケニア沖の島で暮らす盲目の貝類学者が登場します。

この作品の背景には、ドーア自身の子ども時代の記憶がありました。

大人になって実家を訪れたとき、彼は古い缶の中に、子どもの頃に集めた何百もの貝殻が残されているのを見つけます。

その小さな貝殻から、忘れていた記憶や世界が広がっていきました。

自然を、ただ物語の背景として見るのではありません。

ひとつの貝。
ひとつの生き物。
ひとつの石。

小さなものを入口に、その背後にある大きな世界へと視野を広げていく。

この感覚は、その後のドーアの作品にも何度も現れます。

この表題作『シェル・コレクター』は、日本でも映画化されています。

2016年公開の映画『シェル・コレクター』では、舞台を沖縄の離島へと移し、リリー・フランキーが孤独に暮らす盲目の貝類学者を演じました。監督は坪田義史。寺島しのぶ、池松壮亮、橋本愛らが出演しています。

原作そのものを忠実に再現するというより、ドーアの物語にある「人間と自然」「孤独」「生命の不思議」といった世界を、日本の海と島の風景の中に置き換えて描いた作品です。

アンソニー・ドーアの短篇「シェル・コレクター」を原作にした映画『シェル・コレクター』(2016年)。リリー・フランキー主演、坪田義史監督。出典:映画会社ビターズ・エンド公式YouTube

科学と文学を分けない作家

ドーアの小説には、自然科学が頻繁に登場します。

貝類学、生物学、水文学、地質学、電波、天文学。

しかし、それらは物語に専門知識を飾りとして加えるためのものではありません。

ドーアにとって科学も文学も、「まだ知らない世界について問いを持ち、それを探っていく」ための方法です。

『すべての見えない光』が生まれた背景について語る映像では、現代の通信技術への関心、サン・マロを訪れた経験、第二次世界大戦についての調査など、いくつもの好奇心が一つの小説へと結びついていった過程を本人が話しています。

アンソニー・ドーア本人が『すべての見えない光』の着想について語る映像。出典:Simon & Schuster

その視線は、人間だけに向けられているわけではありません。

木も、鳥も、昆虫も、海も、地球も、人間と同じ世界の中にあります。

2021年に発表した『Cloud Cuckoo Land』、日本語版『天空の都の物語』でも、15世紀のコンスタンティノープル、現代のアメリカ、未来の宇宙船という、まったく異なる時代を生きる人々が、一つの古い物語によって結びついていきます。

University of California Televisionのインタビューでは、ドーア自身が自然への愛着と、それが創作にどのようにつながっているのかを語っています。

アンソニー・ドーアが自然への関心と創作について語る。出典:University of California Television(UCTV)公式YouTube

9年間を過ごしたRuffing Montessori School

アンソニー・ドーアが育ったのは、アメリカ・オハイオ州クリーブランドです。

そこにRuffing Montessori Schoolという学校があります。

そのルーツは1959年に設立されたCleveland Montessori Associationにあり、アメリカで比較的早い時期からモンテッソーリ教育を実践してきた学校です。

ドーアはここで、9年間モンテッソーリ教育を受けました。

これは「幼児期に少しモンテッソーリ園へ通った」という経験ではありません。

幼児期からエレメンタリー期へと続く長い時間を、モンテッソーリ環境の中で過ごしたことになります。

そして何十年も後、作家となったドーアはRuffing Montessori Schoolに、自分の中に何が残っているのかを書き残しています。

「最も長く残ったのは、地質学的な時間の中に自分を置く感覚」

ドーアは、9年間のモンテッソーリ教育から得たものとして、批判的に考える力、人と関わる力、そしてユーモアを交えて「キックボールの技術」まで挙げています。

そのうえで、最も長く自分の中に残っているものについて、こう語っています。

“the most lasting has been a sense of my place in deep geologic time.”

「最も長く残ったのは、深い地質学的時間の中に、自分がどこにいるのかを感じる感覚だった。」

そして、その感覚は自分の執筆、天然資源への考え方、さらに息子たちとの関係にまで浸透していると続けています。

これは、アンソニー・ドーアの作品を知っている人なら、思わず立ち止まりたくなる言葉です。

なぜなら、まさにそれこそが、彼が作品の中で何度も描いてきた世界だからです。

地球の長い歴史の中に、自分がいる

モンテッソーリ教育の6〜12歳では、宇宙教育(Cosmic Education)が大きな柱になります。

宇宙の始まり。
地球の形成。
生命の誕生。
さまざまな生物の出現。
そして、ずっと後になって登場する人類。

子どもは、まず大きな全体像に出会います。

そしてそこから、地質学、生物学、歴史、言語、数学など、興味を持った方向へ自分の探究を広げていきます。

6〜12歳では、生命や人類、文明、宇宙の展開を視覚的・年代的に捉えるため、さまざまなタイムラインも使われます。

生命の長い歴史をたどるモンテッソーリのタイムライン活動をイメージしたイラスト。

自分の一生だけを見るのではありません。

人類の歴史だけでもありません。

生命の歴史。
地球の歴史。
さらにその向こうにある宇宙の歴史。

その途方もない時間の中に、自分自身を置いてみる。

約46億年という地球の歴史から見れば、人間がここにいる時間はほんの一瞬です。

けれど、それは人間の存在を小さくするための学びではありません。

こんな途方もない世界の中に、いま自分がいる。

その驚きから、問いが始まります。

地球はどうやってできたのだろう。
生命はどこから来たのだろう。
なぜこれほど多くの生き物がいるのだろう。
人間はこの地球で何をしてきたのだろう。
そして、自分はこれから何をするのだろう。

ドーアが大人になっても持ち続けていた「deep geologic time」の感覚と、宇宙教育の世界観が重なって見えます。

小説の中にも残っている「長い時間」

そう考えてドーアの作品を振り返ると、興味深いつながりが見えてきます。

『シェル・コレクター』では、小さな貝や生き物から世界が広がっていきます。

『すべての見えない光』では、目には見えない電波が人と人をつなぎます。

『メモリー・ウォール』では、人間の記憶という短い時間と、それよりはるかに長い自然の時間が重なります。

そして『天空の都の物語』では、一つの物語が何百年という時間を越え、過去から現在へ、現在から未来へと手渡されていきます。

もちろん、これらをすべて「モンテッソーリ教育によって生まれた」と説明することはできません。

一人の作家の世界観は、家族、読書、旅、科学への興味、出会った人々、経験してきた出来事など、無数のものから形づくられます。

けれど今回興味深いのは、私たちが後から作品を読んで、

「これはモンテッソーリの影響なのではないか」

と推測しているだけではないことです。

ドーア本人が、自分の人生を振り返って、こう書いているからです。

“I believe Montessori was one of the strongest influences in my life nudging me toward this kind of curiosity.”

「振り返ってみると、こうした好奇心へと私を導いたものの中で、モンテッソーリは私の人生に最も強い影響を与えたものの一つだったと思います。」

モンテッソーリが残したのは「答え」ではなかった

ドーアがモンテッソーリ教育の影響として語っているのは、特定の知識を覚えていたという話ではありません。

「こう考えなさい」という価値観を教えられたという話でもありません。

残っていたのは、世界に対する好奇心でした。

自分が生きている時間よりも、はるかに長い時間を想像すること。

目の前にある小さなものから、その背後にある大きな世界へ思いを広げること。

人間だけを切り離して考えず、自然やほかの生命とのつながりの中で世界を見ること。

そして、分からないものに出会ったとき、もっと知りたいと思うこと。

モンテッソーリが子どもに渡そうとしたものも、おそらく完成した「答え」ではありません。

世界を探究するための入口です。

6歳や7歳の子どもが初めて、地球の長い歴史のタイムラインを目の前に広げたとき。

そこから何十年が過ぎても、そのときに生まれた問いが、心のどこかで生き続けることがある。

アンソニー・ドーアの言葉は、そんな教育の可能性を教えてくれているように思います。

アンソニー・ドーアとは

アンソニー・ドーア、PopTech 2009にて。撮影:Kris Krüg for PopTech。出典:Wikimedia Commons/CC BY-SA 2.0。

Anthony Doerr(アンソニー・ドーア)

1973年、アメリカ・オハイオ州クリーブランド生まれの作家。

2002年に短篇集『The Shell Collector』を発表。その後、『About Grace』『Memory Wall』『Four Seasons in Rome』などを刊行しました。

2014年発表の長篇『All the Light We Cannot See(すべての見えない光)』で2015年ピュリッツァー賞フィクション部門を受賞。作品は世界的なベストセラーとなり、2023年にはNetflixで映像化されました。

2021年には『Cloud Cuckoo Land』を発表。全米図書賞最終候補となり、日本では2025年に藤井光訳『天空の都の物語』として早川書房から刊行されています。

幼少期から9年間、オハイオ州のRuffing Montessori Schoolでモンテッソーリ教育を受けました。

同校に寄せた言葉の中で、モンテッソーリ教育が自分を「世界についてもっと知りたい」という好奇心へと導いた、人生で最も強い影響の一つだったと振り返っています。

この記事で紹介した書籍

アンソニー・ドーアの作品世界に触れるなら、まずはこの記事の中心となった『すべての見えない光』から。そして、自然、人間、過去と未来をさらに大きな時間の中で結びつけた『天空の都の物語』へと読み進めると、ドーアが世界をどのように見ているのかが、よりはっきりと感じられます。

まず紹介したいのは、ドーアを世界的な作家へと押し上げたピュリッツァー賞受賞作です。

『すべての見えない光』
著者:アンソニー・ドーア
訳者:藤井 光
出版社:早川書房
レーベル:ハヤカワepi文庫
刊行年:2023年

目の見えないフランス人の少女マリー=ロールと、ドイツ軍に加わる少年ヴェルナー。第二次世界大戦下のサン・マロを舞台に、二人の人生が「見えない光」によって近づいていきます。2015年ピュリッツァー賞フィクション部門受賞作。自然科学、電波、戦争、そして人と人とのつながりという、アンソニー・ドーアの作品世界を知るための中心となる一冊です。

次は、この記事で触れた「長い時間」と「世界のつながり」というテーマを、さらに大きなスケールで描いた作品です。

『天空の都の物語』
著者:アンソニー・ドーア
訳者:藤井 光
出版社:早川書房
刊行年:2025年

15世紀のコンスタンティノープル、現代のアメリカ、そして未来の宇宙船。遠く離れた時代と場所を生きる人々が、一つの古い物語によって結びついていきます。人間と自然、過去と未来、そしてこれから生まれてくる人々までを一つの長い時間の中で見つめる作品で、ドーアが語った「deep geologic time」という感覚とも重ねて読みたくなる長篇です。

参考資料

Ruffing Montessori School公式サイト:Anthony Doerr Alumni Testimonial
Ruffing Montessori School:Annual Report 2021–2022
Association Montessori Internationale:Cosmic Education
AMI Digital:Timelines
The Pulitzer Prizes:Anthony Doerr, All the Light We Cannot See
Anthony Doerr公式サイト
早川書房:『すべての見えない光』
早川書房:『天空の都の物語』
Netflix:All the Light We Cannot See
University of California Television:A Conversation with Anthony Doerr
Wikimedia Commons:Saint-Malo 1944
Wikimedia Commons:Anthony Doerr PopTech 2009 (3)

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