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赤ちゃんにも「今からおむつを替えるね」と伝えるのはなぜ? ― ケアされるだけの存在にしないモンテッソーリの関わり

まだ言葉を話せない赤ちゃんのおむつを替えるとき、どんなふうに始めていますか。

汚れていることに気づいたら、抱き上げて、おむつ替えの場所へ連れていき、そのまま服を脱がせて交換する。

大人にとっては、ごく普通のことです。

でも、赤ちゃんの側から考えてみるとどうでしょう。

突然抱き上げられる。
寝かされる。
服を脱がされる。
身体を拭かれる。
新しいおむつをつけられる。

そのすべてが、自分の身体に起きていることです。

AMI 0–3トレーナーのSara Brady(サラ・ブレイディ)先生は、AMI公式「Voices of AMI Training」の「A Creed To Consent」で、まだ言葉を話せない赤ちゃんへの身体的なケアについて、とても興味深い問いを投げかけています。

赤ちゃんを、ただ「ケアされる人」にしてしまっていないでしょうか。

今回お話を紹介するAMIトレーナー

Sara Brady(サラ・ブレイディ)

AMI 0–3 Trainer

Sara Brady(サラ・ブレイディ)

AMI 0–3(Assistants to Infancy)トレーナー。0–3レベルの教師養成に国際的に携わり、AMI試験官も務めています。AMI 0–3および3–6のディプロマを持ち、乳幼児コミュニティや親子クラスなど、0〜3歳の子どもと大人に関わる幅広い経験を持っています。現在、AMI公式では日本のMontessori Training Centre of Akirunoの0–3コースでもDirector of Trainingを務めています。

出典:Association Montessori Internationale(AMI)/Maria Montessori Institute
※人物イラストはAMI公式および公開されている本人写真を参考に制作したイメージです。

「赤ちゃんはまだ分からないから」ではなく

赤ちゃんはまだ、「おむつを替えてもいい?」と聞かれて言葉で「はい」と答えることはできません。

もちろん、おむつが汚れているのに、赤ちゃんが言葉で同意できるようになるまで交換しない、という話ではありません。

原文でも、そこははっきりと説明されています。

必要な身体的ケアは、大人が責任をもって行います。

でも、言葉で返事ができないからといって、赤ちゃんには何も伝わらないのでしょうか。

赤ちゃんは言葉を話す前から、表情や身体の動き、手の動きなど、さまざまな方法で大人に何かを伝えています。

だから大人の側にも、その小さな合図を見ようとする姿勢が必要だと述べられています。

おむつを替える前に、これからすることを伝える

記事で挙げられている最初の例は、とてもシンプルです。

おむつを替えるとき、いきなり身体を動かすのではなく、これから何をするのかを子どもに説明する。

そして少し待ちます。

子どもが今、自分の身体に何が起ころうとしているのかに気づく時間をつくります。

表情を見る。
身体の動きを見る。
こちらの言葉に対する反応を見る。

これは「おむつを替えていいですか?」と形式的に許可を取るためではありません。

あなたの身体に、これからこういうことをしますよ。

そう伝えながらケアをすることです。

大人にとっては毎日何度も繰り返す作業でも、赤ちゃんにとっては自分の身体に関わる出来事です。

おむつ替えは「大人が全部やってあげる時間」ではない

そして、この記事の面白いところはここからです。

身体的なケアの中でも、子どもを「active participant(能動的な参加者)」にすることが大切にされています。

たとえば成長して、自分で下着を引き上げることができるようになってきた子どもがいるとします。

昨日は自分でできた。

ところが今日は、なかなかやろうとしない。

そんなとき大人は、つい、

「昨日できたでしょう」
「自分でできるんだからやって」

と言いたくなります。

しかし、乳幼児の能力はいつも同じように発揮されるわけではないことにも、目を向ける必要があります。

昨日できたことが、今日はうまくできない。

そんなとき、大人と子どもの間を力比べにする必要はありません。

必要なら大人が少し前に出て助ける。

ただし、全部を大人がやってしまうのではなく、子どもが参加したままでいられる最小限の援助にする。

原文では、大人と子どものこの関係が「ダンス」にたとえられています。

子どもが一歩前へ出たら、大人は一歩下がる。
今日は子どもが難しそうなら、大人が一歩前へ出る。

そしてまた子どもができるようになれば、大人は退く。

大人がいつも主導するのではなく、子どもの変化を見ながら距離を変えていく。

これは、とてもモンテッソーリらしい関わりです。

「自分でやって」は、自立ではない

モンテッソーリ教育では「自立」という言葉をよく使います。

そのため、大人はつい「自分でできることは自分でやらせる」ことがモンテッソーリだと思ってしまうことがあります。

でも、昨日できたからといって、今日も必ず同じようにできるとは限りません。

できない子どもに「自分でやりなさい」と迫ることも、反対に全部大人がやってしまうことも、ここで示されている関わりとは違います。

大切なのは、その瞬間の子どもを見ることです。

今、どこまで自分でできるのか。
どこに少し援助が必要なのか。
どこから先は大人が退けるのか。

自立とは、大人が手を引いて突き放すことではありません。

必要な援助を受けながら、自分でできる部分を少しずつ増やしていく。

その過程を大人がよく見ていることが必要です。

「今から拭くね」という一言が変えるもの

おむつ替えだけではありません。

顔を拭く。
鼻を拭く。
服を着替える。
髪をとかす。
手を洗う。

乳幼児の生活には、大人が子どもの身体に触れる場面がたくさんあります。

急いでいると、大人はそれらを「済ませるべき作業」として扱ってしまいがちです。

でも、ほんの少し立ち止まって、

「今から顔を拭くね」
「袖から手を出すよ」
「鼻を拭こうね」

と伝える。

そして、子どもがこちらの言葉や動きに気づくのを待つ。

それだけでも、ケアの時間は「大人が子どもに何かをする時間」から、「大人と子どもが一緒に行う時間」へ変わっていきます。

自分の身体は、自分のもの

この話は、おむつ替えや着替えだけにとどまりません。

赤ちゃんは、自分の身体についても学んでいる途中です。

手を伸ばしたら届いた。
足を動かしたら身体が動いた。
お腹が空いた。
喉が渇いた。
眠くなった。
排泄したくなった。

外の世界に触れながら、自分の身体の内側から届く感覚にも少しずつ気づいていきます。

原文では、こうした身体内部の状態を感じ取る感覚として「interoception(内受容感覚)」にも触れられています。

考えてみれば、赤ちゃんの生活は、大人に身体を扱われる場面の連続です。

抱き上げられる。
服を脱がされる。
顔を拭かれる。
おむつを替えられる。
食べ物を口へ運んでもらう。

必要なケアだからこそ、大人がすることになります。

でも、そのときに何も伝えず、何も待たず、すべてを大人のペースで進めてしまったら、赤ちゃんはいつも「身体を扱われる側」になってしまいます。

反対に、これからすることを伝える。
反応を待つ。
自分でできる動きがあれば、その時間を残す。

それは小さなことですが、そこには、

「これはあなたの身体です」

という、とても大切なメッセージがあるのではないでしょうか。

赤ちゃんは「何もできない人」ではない

まだ歩けない。
まだ話せない。
まだ着替えられない。
まだ自分でおむつを替えられない。

赤ちゃんを見ていると、大人はどうしても「できないこと」に目が向きます。

だから、やってあげる。

もちろん、それは必要です。

でもモンテッソーリが見ているのは、「まだできないことの多い人」だけではありません。

こちらの声を聞いている。
表情を見ている。
身体を動かしている。
嫌なときには身体をそらす。
興味があれば手を伸ばす。
そして、自分なりの方法で大人に何かを伝えています。

言葉で「はい」「いいえ」と言えなくても、赤ちゃんはその場にちゃんと参加しています。

だから、ここで問いかけられているのは、単に「おむつ替えの前に声をかけましょう」という育児のテクニックではないのだと思います。

もっと根本にあるのは、

私たちは赤ちゃんを、一人の人として見ているだろうか。

という問いです。

できることが少ないことと、主体がないことは同じではありません。

「今からおむつを替えるね」の奥にあるもの

「今からおむつを替えるね」

たったそれだけの言葉です。

でも、この一言をかける大人と、何も言わずに赤ちゃんを抱き上げておむつを替える大人とでは、赤ちゃんに対する見方が少し違います。

「あなたの身体だから、あなたにも伝えます」

という姿勢が、そこにあるからです。

伝える。
少し待つ。
反応を見る。
できるところは任せる。
難しいところだけ助ける。
そして、できるようになったら大人はまた一歩退く。

おむつ替えも、着替えも、顔を拭くことも、毎日の生活の中ではほんの数分の出来事です。

でも0〜3歳の子どもにとって、それは毎日何度も繰り返される、大人との関係そのものでもあります。

赤ちゃんだから、分からないだろう。
ではなく、伝える。

赤ちゃんだから、全部やってあげよう。
ではなく、一緒にする。

そして少しずつ、大人がしていたことを子ども自身に返していく。

Sara Brady先生の「A Creed To Consent」を読んでいると、「consent」という言葉の先に見えてくるのは、そんな日々の関わりです。

自立は、ある日突然「自分でやって」と手を離すことから始まるのではありません。
まだ何もできないように見える赤ちゃんの頃から、その子を一人の人として扱うことから、すでに始まっているのです。

参考資料・出典

Association Montessori Internationale(AMI)/Voices of AMI Training
Sara Brady「A Creed To Consent」
AMI公式記事を見る
AMI公式PDFを見る

Association Montessori Internationale(AMI)
Montessori Training Centre of Akiruno/AMI 0–3 Diploma Course
AMI公式コース情報を見る

※本記事は、AMI 0–3トレーナーSara Brady先生による「A Creed To Consent」をもとに、乳幼児の身体的なケアと子どもの主体性について紹介したものです。原文の「consent」は、乳幼児が必要な衛生・身体的ケアを拒否できるという意味ではなく、大人が子どもの身体を尊重し、これから行うことを伝え、子どもの合図を読み取りながら、可能な範囲で能動的に参加できるようにする関わりとして紹介されています。

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