二つの言語の中で育つ赤ちゃん – 「これは英語、これは日本語」より先にあるもの

日本語で話しかけるママと、英語で話しかけるパパ。
家庭では外国語、園では日本語。反対に、家庭では日本語だけれど、幼い頃から英語で生活するインターナショナルスクールに通っている子もいます。
そんな環境で育つ赤ちゃんを見ていると、ふと心配になることがあります。
「二つの言葉を同時に聞いて、混乱しないの?」
「日本語を覚えてから、英語を始めた方がいい?」
「二つの言葉が混ざってしまわない?」
でも実際に多言語の環境で育つ子どもたちを見ていると、その姿は驚くほどさまざまです。
家庭では外国語だけで育ち、日本語の環境に入ってもしばらくほとんど日本語を話さない子。でも、いつの間にか大人の日本語を理解して動けるようになっている。
家庭では日本語、園では英語という環境で、話し始める頃から英語がたくさん出てくる子。日本語と英語を行き来しながら話す子もいれば、相手によって驚くほど自然に使い分ける子もいます。
家庭では英語を使っているのに、日本語で生活する時間が長くなるにつれて、日本語の方がどんどん達者になっていく子もいます。
同じ「バイリンガル」「多言語環境」といっても、言葉の現れ方は一人ひとり違うのです。
では、子どもの中では何が起きているのでしょう。
AMI 0–3歳トレーナーのGabriela Velázquez(ガブリエラ・ベラスケス)先生は、AMI公式「Voices of AMI Training」の中で、生まれてから3歳までのバイリンガルの子どもの言語発達について紹介しています。
赤ちゃんは「これは日本語」と思って聞いていない
大人が英語を学ぶときには、単語を覚え、文法を学び、発音を練習します。
だから赤ちゃんについても、
「まず日本語を覚えて、そこへ英語を加える」
と考えてしまいます。
でも、幼い子どもの言葉の獲得は、そんな順番ではありません。
Gabriela先生は、人生の最初の発達段階では、大人が子どもに言語を教えるのではなく、子ども自身が周囲にある言語を吸収し、獲得していくと説明しています。
マリア・モンテッソーリが「吸収する精神」と呼んだ、乳幼児期ならではの力です。
抱き上げてもらう。
おむつを替えてもらう。
食事をする。
一緒に遊ぶ。
泣いたら誰かが応えてくれる。
その生活の中には、いつも人の声があります。
赤ちゃんは言葉だけを取り出して勉強しているのではありません。
人と一緒に生きている、その生活ごと吸収しているのです。
「この人は、こういう音で私に語りかけてくる」
日本語で話すママと、英語で話すパパがいたとします。
大人には「日本語」と「英語」という二つの言語がはっきり見えています。
でも、生まれたばかりの赤ちゃんは、その言語の名前を知りません。
最初から、
「これは日本語」
「これは英語」
と分類して聞いているわけではないでしょう。
むしろ最初にあるのは、
「この人は、こういう音で私に語りかけてくる」
という経験なのではないでしょうか。
ママといると、この声が聞こえる。
パパとは、この音でやり取りする。
この先生といると、この言葉が聞こえる。
この場所では、みんながこの言葉で話している。
言葉は、人の表情や声、動き、物、場所、出来事から切り離されて存在しているわけではありません。
人との関係や毎日の生活と一緒に、言葉が子どもの中へ入っていく。
そう考えると、多言語の子どもたちに見られるさまざまな姿も、少し違って見えてきます。
話していなくても、言葉はもう入っている
家庭では外国語だけだった子が、日本語の環境に入ったとします。
最初は日本語が分からない。
そして、しばらく経っても自分からはあまり日本語を話さない。
でも、
「持ってきて」
「ここに置いてね」
「手を洗おう」
と言われると、その通りに動くようになってくる。
もちろん、それだけで「日本語を完全に理解している」と断定することはできません。
でも、聞いた言葉に応じた行動が増えているなら、日本語の音と意味との結びつきが、その子の中で育っていることが見えてきます。
理解している言葉と、自分から話せる言葉は同じではありません。
だから、
「日本語を何語しゃべれる?」
「英語はどれくらい言える?」
だけでは、その子の言葉の世界全部を見ることはできません。
口からはまだ出てこない。でも、その子の中では言葉が育っている。
そんな時期があります。
二つの言葉が混ざったら、混乱している?
一方で、日本語と英語を行き来しながら話す子もいます。
たとえば、
「ママ、Daddyきた!」
のように、一つの文の中に日本語と英語が自然に入ることがあります。
Gabriela先生は、バイリンガルの発達について説明する中で、こうした「Code Mixing(コード・ミキシング)」についても紹介しています。
大人には、
「二つの言葉がごちゃごちゃになっている」
ように見えるかもしれません。
でも、言葉が混ざっているという事実だけで、「二つの言語を聞かせたから混乱した」と判断することはできません。
その子は、日本語と英語を正しく分類するテストを受けているわけではありません。
目の前の人に、今持っている言葉を使って何かを伝えようとしている。
その一方で、「バイリンガルだから混ざっていて当然」と、すべてを説明してしまうのも違います。
二つの言語を行き来しているだけなのか。
それとも、どちらの言語でも相手の話を理解したり、自分の意思を伝えたりすること自体に難しさがあるのか。
そこは一人ひとりの子どもを丁寧に見ていく必要があります。
「混ざる=混乱」ではない。
でも「二言語だから何でも心配ない」でもない。
大切なのは、目の前の子どもの姿を見ることです。
だったら、英語の動画をたくさん見せればいい?
ここで、もう一つ疑問が出てきます。
幼い子どもには言葉を吸収する力がある。
それなら、
英語の動画をたくさん見せておけば、英語も自然に吸収するのではないでしょうか。
もちろん、英語の歌や動画に触れること自体が悪いわけではありません。
でも、ここまで見てきた子どもたちの姿を思い出すと、少し違うことに気づきます。
家庭では外国語だった子が、日本語を理解するようになったのは、ただ日本語の音声をたくさん聞いたからではありません。
日本語を話す人と一緒に生活しています。
「片づけよう」と言われて、一緒に片づける。
「おいで」と言われて、その人のところへ行く。
友達が笑えば、一緒に笑う。
自分が何かを伝えれば、誰かが応えてくれる。
言葉と、人と、出来事が結びついています。
ここが、動画から流れてくる英語との大きな違いです。
赤ちゃんにとって言葉は、単なる「音のデータ」ではありません。
誰かが自分に向かって話す。
自分が反応すると、相手の反応が変わる。
また声を出す。
相手が返す。
言葉は、人と人との間を行ったり来たりするものです。
だから、
「日本語と英語、どちらの音をたくさん聞かせればいい?」
という問題だけではないのです。
もっと大切なのは、
「その言葉で、誰がこの子と関わっているのか」
ということです。
英語の動画を見ることと、英語を話す人と英語で一緒に生活することは、同じではありません。
同じ二言語環境でも、子どもの姿はこんなに違う
家庭では外国語、外では日本語。
家庭では日本語、園では英語。
家庭では英語だけれど、生活の中心になっている場所では日本語。
同じように二つの言語に囲まれていても、
理解が先に育つ子。
しばらくほとんど話さない子。
二つの言語を混ぜながら話す子。
相手によって見事に使い分ける子。
生活する場所の言語がどんどん強くなっていく子。
本当にさまざまです。
だから、「バイリンガルの子どもはこう育つ」と一つの姿に当てはめることはできません。
その子は誰と話しているのか。
どこで生活しているのか。
何を一緒に経験しているのか。
何を理解しているのか。
そして、自分の思いをどうやって相手に伝えようとしているのか。
話せる単語の数だけでは見えないところに、その子の言葉の世界があります。
言葉の前に、人がいる
最初の疑問に戻ります。
「二つの言葉を聞いたら、赤ちゃんは混乱しないの?」
この問いを考えていたはずなのに、Gabriela先生の話と実際の子どもたちの姿を重ねていくと、もっと根本的なところへたどり着きます。
赤ちゃんにとって最初にあるのは、「日本語」でも「英語」でもありません。
人です。
抱いてくれる人。
笑いかけてくれる人。
自分の声に応えてくれる人。
一緒に遊ぶ人。
毎日会う人。
そして、その人たちが自分に向けて使っている言葉があります。
「これは英語」「これは日本語」と分類するより前に、
「この人は、こういう音で私に語りかけてくる」。
家庭で聞いている言葉。
外で聞いている言葉。
友達と使う言葉。
それらが、人との関係や毎日の生活と一緒に、少しずつ子どもの中へ入っていきます。
だから、多言語の子どもを見るときに、
「何語しゃべれるようになった?」
だけを追いかけるのは、少しもったいない。
昨日まで日本語を話さなかった子が、こちらの言葉を聞いてすっと動く。
ずっと英語を多く使っていた子が、ある日自然な日本語で誰かに話しかける。
相手が変わった瞬間、使う言葉まで自然に変わる。
そんな姿の中に、
「ああ、この子の中には、もうこんなに言葉が育っていたんだ」
と気づかされる瞬間があります。
言葉は、口から出てきたときに突然生まれるわけではありません。
そのずっと前から、人との関係と生活の中で、子どもの中に少しずつ育っているのです。
参考資料・出典
Association Montessori Internationale(AMI)
Gabriela Velázquez「The Development of the Bilingual Child in the First Three Years of Life」/Voices of AMI Training
AMI公式記事を見る
Association Montessori Internationale(AMI)
Montessori 0–3/Assistants to Infancy
AMI公式「Montessori 0–3」を見る
※本記事は、AMI 0–3トレーナーGabriela Velázquez先生による「The Development of the Bilingual Child in the First Three Years of Life」をもとに、乳幼児期に二つ以上の言語に触れて育つ子どもの言語発達について紹介したものです。バイリンガル環境だけを理由に、個々の子どもの言語発達について医学的・発達的な判断を行うものではありません。
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