子どもの絵は「上手だね」と褒めちゃいけないの? ― モンテッソーリのアートから考える

子どもが描いた絵を持ってきたとき、思わず、
「わあ、上手!」
「きれいに描けたね」
「すごいね!」
と言いたくなることがあります。
ところが、モンテッソーリ教育について学んでいると、「子どもの絵を“上手”と褒めない」という話を聞くことがあります。
「上手だね」ではなく、「描けたね」「赤を使ったんだね」と、その子がしたことをそのまま言葉にする。そんな声かけを教わった人もいるかもしれません。
でも、なぜなのでしょう。
一生懸命描いた絵を褒めることは、そんなにいけないことなのでしょうか。
この疑問を考えるきっかけになるのが、AMI 3–6歳トレーナーのLiza Davis(リザ・デイヴィス)先生が、AMI公式「Voices of AMI Training」で語っているモンテッソーリ教育における子どもの芸術的発達についての話です。
モンテッソーリのアートは「完成品」だけを見ていない
Liza先生は、モンテッソーリ教育では、アートをほかの学びから切り離された特別な科目や、決められた作品を完成させる活動としてだけ捉えてはいないと説明しています。
子どもが世界をよく見ること。色や形、質感の違いに気づくこと。自分の意思に沿って手を動かせるようになること。そして、美しいものに出会い、心を動かされること。
こうした日々の経験の積み重ねが、やがて子どもの表現につながっていきます。
つまり、アートの時間だけで「創造性」を育てるのではありません。子どもの中から想像や表現が生まれてくるための環境を、日々の生活の中に用意していく。
Liza先生の話の中で大切なのは、大人が完成品を作らせることよりも、子ども自身の表現が生まれてくる過程に目を向けていることです。
では、そんなふうにして子どもの内側から生まれてきた表現に、大人が「上手」「すごい」と評価を与えることは、どう考えればよいのでしょうか。
なぜ「上手だね」と言わないの?
「上手だね」と言われて、うれしそうにする子どもはたくさんいます。
大好きなお母さんやお父さん、先生から褒めてもらうことがうれしいのは、とても自然なことです。
それなのに、なぜモンテッソーリ教育では「上手」「すごい」といった賞賛に慎重なのでしょうか。
AMIの資料を見ると、その理由を考える手がかりがあります。
AMI Digitalのガイドラインでは、子どもへの関わりについて、単なるpraise(賞賛)よりも、encouragement and recognition(励ましや、その子がしたことを認めること)を大切にする考え方が示されています。
たとえば、
「すごいね!」
「上手だね!」
と大人が評価するだけではなく、
「ずいぶん時間をかけたね」
「最後まで続けたね」
と、その子自身がしたことに目を向ける。
似ているようで、この二つには大きな違いがあります。
「上手」は大人が下す評価ですが、「ずいぶん時間をかけたね」は、子どもが実際にしたことを見ている言葉です。
「上手!」と言った瞬間、主役が変わることがある
たとえば、子どもが夢中になって一枚の絵を描いたとします。
本人は、色を選び、線を重ね、何かを表すことそのものを楽しんでいます。
そこへ大人がやってきて、
「わあ、上手!」
と言う。
もちろん、その一言だけで子どもの創造性が失われるわけではありません。
ただ、それまで「描きたいから描いていた」活動の中に、もう一つ別の視点が入ってくることがあります。
「大人は、これをどう思うだろう?」
という視点です。
作品を見せるたびに「上手」「すごい」と評価されれば、やがて子どもが「自分は何を描きたいか」より、「どう描けば褒めてもらえるだろう」と大人の反応を気にするようになることも考えられます。
モンテッソーリ教育が慎重になっているのは、褒め言葉そのものを禁止したいからではありません。
子どもの活動の目的が、大人から評価を得ることへと変わってしまわないようにする。
そこに大切な意味があります。
モンテッソーリ自身も「賞賛」に注意を向けていた
これはアートだけの話ではありません。
マリア・モンテッソーリは、子どもが深く集中して活動しているとき、大人が不用意に介入しないことを非常に大切にしていました。
AMIが紹介している『The Absorbent Mind』の一節でも、子どもが集中している最中には、手助けだけでなく、賞賛さえ活動を中断させることがあるという趣旨が述べられています。
子どもが何かに夢中になっている姿を見ると、大人はつい声をかけたくなります。
「すごいね」
「上手にできているね」
「その調子!」
でも、その子は大人に励ましてもらわなくても、自分の中から生まれた興味によって十分に活動しているのかもしれません。
大人の評価がなくても、子ども自身が「やりたい」と思って活動を続けている。
モンテッソーリ教育が大切にしてきた集中には、こうした内側から生まれる力があります。
では「上手だね」は絶対に言ってはいけない?
ここを「モンテッソーリでは『上手』と言ってはいけません」という禁止ルールにしてしまうと、本来の意味から離れてしまいます。
子どもがうれしそうに絵を持ってきて、「見て!」と言ったとき、思わず「わあ、きれい!」と言うこともあるでしょう。
その一言を言ったからといって、子どもの主体性が失われるわけでも、モンテッソーリ教育ではなくなるわけでもありません。
大切なのは、「褒めたか、褒めなかったか」ではなく、大人が子どもの活動をどのように見ているかです。
いつも「上手」「すごい」「えらい」と大人が評価し、その評価を子どもが待つようになっているのなら、一度立ち止まってみる。
反対に、子ども自身が「できた!」と満足しているのなら、その喜びをすぐに大人の評価へ置き換えなくてもいい。
「できたね」と一緒に喜ぶことと、「あなたの作品は上手です」と評価することは、同じではありません。
「上手だね」の代わりに何と言えばいい?
こう聞くと、今度は「では、何と言うのが正解なの?」と思うかもしれません。
でも、「上手だね」を別の決まり文句に置き換えるだけでは、あまり意味がありません。
まずは、その子がしたことをよく見ることです。
「赤をたくさん使ったんだね」
「ここは何度も線を重ねたんだね」
「大きな丸を描いたんだね」
「ずいぶん長い時間描いていたね」
これは作品に点数をつける言葉ではありません。
大人が本当にその子のしたことを見たから出てくる言葉です。
だから、いつも何か言わなければならないわけでもありません。
子どもが絵を見せに来たら、まず一緒に見る。
そして子どもが「これはね……」と話し始めたら、その話を聞く。
それだけで十分なこともあります。
大人が作品の意味を先に決めてしまわない
子どもの絵を見ると、もう一つ大人がついやってしまうことがあります。
「これはお花だね」
「これはおうちでしょ?」
「これはパパかな?」
と、描かれたものの意味を先に決めてしまうことです。
大人には花に見えても、子どもはまったく違うものを描いたのかもしれません。あるいは、そもそも何か具体的なものを描こうとしていなかったのかもしれません。
特に小さな子どもにとっては、線を引くことそのもの、手を動かすこと、色が紙の上に現れること、動かした跡が残ること自体が大きな発見です。
そこで大人がすぐに意味を決めてしまうと、子ども自身が表現について語る前に、大人の解釈が入ってしまいます。
子どもの表現について、最初に語る余地を子ども自身に残しておく。
これも、作品の出来栄えだけではなく、子ども自身を見るということにつながります。
「褒めない教育」ではなく「評価を目的にしない教育」
「モンテッソーリでは子どもの絵を褒めない」と聞くと、どこか冷たい教育のように感じるかもしれません。
でも、大切にしたいのは、子どもを褒めないことではありません。
子どもの作品を無視することでも、喜んではいけないということでもありません。
むしろ、よく見る。
何をしていたのかに気づく。
子どもが話したければ聞く。
そして、その子自身が感じている達成感や喜びを一緒に受け取る。
「大人に上手と言われたからうれしい」だけではなく、「自分が描きたかったから描いた」「自分でやってみて満足した」と感じられること。
モンテッソーリ教育が大切にしているのは、そうした子どもの内側から生まれる活動の喜びです。
「上手!」の前に、ほんの少しだけ見る
次に子どもが絵を持ってきたとき、すぐに「上手!」と言う前に、ほんの少しだけその絵を見てみる。
どんな色を使っているだろう。
どんな線を描いているだろう。
どこを何度も描いたのだろう。
子ども自身はどんな顔をしているだろう。
すると、「上手だね」以外の言葉が自然に出てくるかもしれません。
そして、思わず「すごい!」と言ってしまう日があってもいいのです。
「上手と言ってはいけない」「褒めてはいけない」と、大人が新しいルールに縛られる必要はありません。
大切なのは、言ってはいけない言葉を増やすことではなく、子どもの表現を大人の評価だけで終わらせないこと。
「褒めるか、褒めないか」ではなく、子どもが自分で見て、自分で感じ、自分で表現することを、大人がどこまで待ち、見守ることができるのか。
「子どもの絵を上手と褒めない」というモンテッソーリの関わり方を掘り下げていくと、その奥にあるのは、単なる声かけのテクニックではなく、子どもの内側から生まれるものを大切にする姿勢なのです。
参考資料・出典
Association Montessori Internationale(AMI)
Liza Davis「“An Eye That Sees, a Hand That Obeys, a Soul That Feels”: Nurturing the Child’s Artistic Development」/Voices of AMI Training
AMI公式記事を見る
Association Montessori Internationale(AMI)
General Guidelines/AMI Digital
AMI公式資料を見る
Association Montessori Internationale(AMI)
Maria Montessori『The Absorbent Mind』より、子どもの集中と大人の介入について
AMI公式資料を見る
※本記事は、AMI公式「Voices of AMI Training」に掲載されたLiza Davis先生の芸術的発達についての記事を出発点に、AMIが公開している資料やマリア・モンテッソーリの言葉を参照しながら、子どもの作品に対する大人の評価や声かけについて考察したものです。
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