マリアの発見を、本で世界へ伝えた人 – E・M・スタンディングの生涯

E・M・スタンディング(1887–1967)/直筆署名を参考にAIで生成したイメージイラスト。人物は本人の容姿を再現したものではありません。
『モンテソーリの発見』。モンテッソーリ教育を学ぶなかで、この分厚い本を手に取ったことのある人もいるでしょう。
著者のE・M・スタンディングは、マリア・モンテッソーリと約30年にわたって交流し、教師養成や執筆を通して、その教育を伝えた人です。
けれども、彼が残したものは、教育を説明する本だけではありません。マリアとの会話を書き留めた原稿、講義についてのノート、インドから家族へ送った手紙、そしてスケッチ。そうした資料を読むと、本の著者として知っていた人の、もう少し身近な姿が見えてきます。
マダガスカルに生まれ、マリアと出会うまで
エドウィン・モーティマー・スタンディングは、1887年、マダガスカルに生まれました。両親はクエーカーの宣教師として現地で活動していました。ケンブリッジ大学で学んだのち、教職に就きます。
マリア・モンテッソーリとの初対面は、1921年のバルセロナでした。本人が残した回想原稿の冒頭に、年と場所がはっきり記されています。その後、マリアが1952年に亡くなるまで、さまざまな形で協力しながら交流を続けました。
その関係は、インドでの仕事にもつながります。『Indian Twilight』のまえがきによると、スタンディングをアーメダバードのサラバイ夫妻に引き合わせたのは、マリア本人でした。夫妻は子どもたちのためにモンテッソーリ教育の家庭教師を探しており、スタンディングには、インドで東洋の哲学を学びたいという思いがありました。
こうして、教育を求める家庭と、子どもたちに教えながら自らも学ぼうとする青年が結ばれます。インドでの仕事は、彼にとって、モンテッソーリ教育を実践する場であるとともに、異なる文化のなかで暮らす経験にもなりました。詳しい経緯は、後半で紹介する本人のまえがきに残されています。
学んだ教育を、次の教師と読者へ
スタンディングは、その後、イタリア、インド、イギリスなどで教師養成に携わりました。マリアから学んだことを、自分の理解にとどめず、これから子どもと関わる人たちへ伝えていったのです。
その仕事を本の形にした代表作が、1957年に刊行された『Maria Montessori: Her Life and Work』です。日本では『モンテソーリの発見』として読まれてきました。
本書は、マリアの生涯をたどりながら、子どもの発達、動くことの意味、環境、大人と子どもの関係へと読み進めていく構成です。教具の使い方を知るだけでなく、その教育がどのような子ども観に支えられているのかを考えられます。
長くマリアの話を聞き、各地で教師を育ててきた経験が、読者の理解を助ける文章になりました。マリアに直接会えなかった人たちも、この本を通して、その考え方に触れられるようになったのです。
引退後の招待が、シアトルでの新しい仕事に
1962年、アイルランドで引退生活を送っていたスタンディングに、アメリカから招待が届きます。声をかけたのは、シアトル大学の教育学教授、ウィリアム・J・コッド神父でした。
当初は、4週間の夏期講座を手伝うための訪問でした。ところが、この仕事は継続的なモンテッソーリ研究の拠点づくりへと発展します。70代になっても、彼の経験を必要とする人たちがいて、新たな学びの場が生まれました。
スタンディングは1967年に亡くなりました。その後、原稿やノートなどの資料は、シアトル大学での研究や教師養成を支えるものとなります。現在、大学が公開する資料には、完成した本に至る前の文章や、書き直しの跡も残っています。
日本語への翻訳も、本人との出会いから始まった
日本で『モンテソーリの発見』を読めるようになった背景にも、人と人との出会いがありました。
1965年、アメリカ・コネチカット州のリトル・フラワー・モンテッソーリ・スクールで教えていた佐藤幸江は、視察に訪れたスタンディングと出会い、本の日本語翻訳を託されます。京都モンテッソーリ教師養成コースによる紹介
日本語版が刊行されたのは1975年。翻訳は佐藤幸江、監修は、本連載の第1回で紹介したクラウス・ルーメルです。マリアの考えを英語で伝えたスタンディングの仕事が、翻訳と監修を通して、日本の読者にも届きました。
2025年には、風鳴舎から復刻版が刊行されています。最初の日本語版から50年を経て、あらためて手に取れる一冊となりました。風鳴舎・復刻版の案内
スタンディングが残した原稿とスケッチ
ここからは、シアトル大学が公開している資料を、少し詳しく見てみましょう。英語の原稿ですが、内容が伝わるよう、一部を短く訳しながら紹介します。
引用部分は本記事での日本語訳です。リンク先のページ数は、大学が付けた表紙も含むPDFのページ番号を示しています。
① マリアとの出会いの原稿 – 何百回聞いても、新しい話があった
「I First Meet the Dotteressa」という原稿は、初対面の年と場所を記したあと、マリアの人柄や、私的な会話へと話を進めていきます。
スタンディングは、マリアの講義を何百回も聞いたと書いています。それでも、同じ題材について話すときさえ、同じ講義の繰り返しにはならなかったというのです。
講義にはいつも、何かまったく新しいものがありました。
長くそばにいた人だからこそ書ける、講師としてのマリアの姿です。完成した説明を繰り返すだけでなく、そのつど新しい見方を示す。その話を、スタンディングは何度も受け止めていました。
さらに原稿には、マリアから私的な会話で聞いたという、医学生時代の話が記されています。
学業を続ける困難や周囲からの扱いに疲れ、医学の勉強をやめようと考えたとき、ローマの公園で、一人の幼い子どもに目が留まりました。その子は、小さな色紙を手に、喜びをもってじっと見つめていたといいます。
その集中した表情が、自分の内側にある何かを動かし、医学の勉強を続けようと決めた――スタンディングは、マリアがそう語ったと記しています。
これは、スタンディングがその場を目撃した記録ではなく、後年、本人から聞いた話です。マリアが子どもの姿に心を動かされた経験と、それを聞き取り、書き残した人の存在。その両方に触れられる原稿です。
「マリアとの初めての出会い」の原稿を読む(PDF・英語/2〜3ページ)
② 講義ノート – 子どもの知性は、自分で向きを変えるサーチライト
「Notes on a lecture by Maria Montessori」には、子どもの感覚や運動、そして環境についての説明がまとめられています。
そのなかで強調されているのは、子どもが、自ら周囲に働きかける存在だということです。
子どもは、教師が用意した感覚的な刺激を、受け身で受け取る存在ではありません。
続いて出てくるのが、知性をサーチライトにたとえる説明です。光の向きを変えると、照らされたものが見えてくる。子どもも、自分の内側から関心を向け、目の前の世界を理解していく。その光をどこへ向けるかという働きが、子ども自身にあると記されています。
たとえば、大人が別の物を見せたくても、子どもは水が流れる様子や、物が転がる動きに見入っていることがあります。このノートの視点で考えるなら、まず確かめたいのは、子どもが今、何に関心を向けているのかということでしょう。
一方で、子どもが自分から学ぶことと、大人の援助が必要なことは、両立しています。ノートの後半では、周囲が複雑すぎると、子どもが経験を整理しにくくなること、そのために大人が環境をわかりやすく整える必要があることも述べられています。
自分で育つ力があるからこそ、その力を使いやすい環境を用意する。日々、子どもの選択や集中を見守るときにもつながる考え方です。
ノートの終わり近くには、短い問いが残されています。
私たちは、この子をどのように援助すればよいのでしょうか。
マリアの講義についてのノートを読む(PDF・英語/サーチライトの説明は3ページ、環境と援助は5〜6ページ)
③ 『Indian Twilight』のまえがき – 母が残した手紙から、インドの日々をたどる
インドでの経験を記した『Indian Twilight』は、シアトル大学では未刊行原稿として整理されています。そのまえがきには、1966年3月、シアトルでの署名があります。若い日の滞在を、晩年に振り返った文章です。大学の資料解説
マリアの仲立ちでサラバイ夫妻と知り合い、子どもたちに教えることになった決断について、スタンディングはこう書いています。
人生でもっとも幸せな決断の一つでした。
子どもたちの魅力だけでなく、両親が理解を示してくれたことも、温かい言葉で振り返っています。教師として家族に迎えられ、その家庭で働けることを喜んでいた様子が伝わります。
インド滞在中、彼はヨーロッパに残した親族や友人へ、近況をまとめた手紙を送っていました。一人ずつに書くことが難しかったため、皆に回して読んでもらう手紙にしたのです。
それから長い年月がたち、ロンドンの親族の家の屋根裏で、彼は古い紙の束を見つけます。忘れていた、インドからの手紙でした。母親が大切に保存し、亡くなる前に娘へ渡していたものです。
読み返すと、初めて読むかのような感覚があり、ほかの人にも関心をもってもらえる内容があるのではないかと考えました。
まえがきでは、ガンディーの活動を含む当時のインド社会、東洋と西洋のものの見方、そしてサラバイ家との長い友情を、手紙を通して残したいと述べています。
東洋と西洋の間には、人間としての深い共通の絆がある。
教育を教えるために赴いた土地で、本人も人々から学び、長く続く関係を結んだ。その経験を、家族が守ってきた手紙から書き起こそうとしたのです。著名な教育書の著者とはまた違う、旅をし、手紙を書き、人との縁を大切にしたスタンディングの姿が見えてきます。
『Indian Twilight』の「著者まえがき」を読む(PDF・英語/家庭教師と手紙の話は2ページ、執筆の思いは7ページ)
絵にも残された、もう一つの表現
大学の資料には、スタンディングによるスケッチも含まれています。「マリア・モンテッソーリと学生」と題された人物のスケッチや、スケッチブックが公開されています。
文章を読み、その人が描いた絵も開いてみる。教育を伝えた人に、絵で表現する一面もあったことがわかります。書籍の著者名だけでは知ることのできない、もう一つの入口です。
書き残した言葉から、子どもを見つめ直す
スタンディングの資料には、マリアの講義に驚き続けた聞き手の姿があり、異国で受けた親切を長く覚えていた教師の姿があります。そして、その経験を、まだ出会っていない読者にも届けようとする書き手の姿があります。
彼が残した本やノートを読むことは、過去の教育を知るとともに、今、目の前にいる子どもの見方を考えることにもつながります。
子どもは何に心をひかれ、どのように世界を理解しようとしているのか。その働きを、大人はどう援助できるのか。マリアから学び、スタンディングが書き残した問いは、今の家庭や教室にも続いています。
この記事に関連する書籍
スタンディングの著書から、復刻された『モンテソーリの発見』を紹介します。あわせて、日本語訳のある『モンテソーリ教育の現場』と、英語の著書も紹介します。
『モンテソーリの発見』
著:E・M・スタンディング
監修:クラウス・ルーメル
訳:佐藤幸江
出版社:風鳴舎(復刻版)
刊行年:日本語初版1975年/復刻版2025年
マリアの生涯から、子どもの発達、運動、環境、大人の役割までをたどる代表作です。原書は『Maria Montessori: Her Life and Work』。今回紹介したノートの考え方を、まとまった一冊のなかで学ぶ入口になります。
『モンテソーリ教育の現場』
著:E・M・スタンディング
訳:佐藤幸江
出版社:エンデルレ書店
刊行年:1977年
『モンテソーリの発見』と同じく、佐藤幸江が日本語に訳した著書です。日本でスタンディングの仕事が紹介されてきた歩みを知るうえで、あわせて挙げておきたい一冊です。
『The Montessori Method: A Revolution in Education』〔英語〕
著:E・M・スタンディング
初版出版社:Academy Library Guild
初刊年:1962年
モンテッソーリ教育を扱ったもう一つの英語の著書です。『The Montessori Revolution in Education』という題名の版もあります。
参考資料
- E・M・スタンディング「I First Meet the Dotteressa」シアトル大学所蔵、Box 07, Folder 37。本文・日本語訳は公開PDFの2〜3ページに基づく。
- E・M・スタンディング「Notes on a lecture by Maria Montessori」同大学所蔵、Box 06, Folder 32。本文・日本語訳は公開PDFの2〜6ページに基づく。
- E・M・スタンディング『Indian Twilight』「Author’s Preface」同大学所蔵、Box 08, Folder 07。1966年3月の署名あり。本文・日本語訳は公開PDFの2・4・6・7ページを中心に参照。
- シアトル大学:E・M・スタンディング・コレクションの略歴と解説
- シアトル大学:文学・執筆資料の解説
- シアトル大学:マリア・モンテッソーリと学生のスケッチの目録、スケッチブックの目録
- 風鳴舎:『モンテソーリの発見』書籍・著者紹介
- Penguin Random House:『Maria Montessori: Her Life and Work』紹介・目次
- CiNii Books:『モンテソーリの発見』復刻版、『モンテソーリ教育の現場』
- 京都モンテッソーリ教師養成コース:佐藤幸江の紹介と読書会案内
訳者・佐藤幸江先生と読む『モンテソーリの発見』オンライン読書会
京都モンテッソーリ教師養成コースでは、佐藤幸江先生を迎え、『モンテソーリの発見』を読むオンライン読書会を開催します。日々出会う子どもの姿と、本に書かれた言葉を重ねながら、一冊を読み深める連続講座です。
期間:2026年10月〜2027年7月、全10回
日時:毎月第2月曜日、20:00〜21:15(初回のみ21:30まで)
開催方法:Zoom/各回の録画を約2週間視聴できる予定
参加費:全10回22,000円(税込)/書籍は各自で用意
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