学問の世界から、なぜ子どもの声は消えるのか ― 神学がモンテッソーリに見つけたもの

子どもについて、大人はたくさん考えます。
どうすれば言葉が育つのか。どんな教育がよいのか。将来、どんな力を身につけてほしいのか。
けれど、そこで子どもは、いつも「大人が教える相手」「大人が説明する対象」になってはいないでしょうか。
子どもについて知ることと、子どもから学んで大人の考えを変えることは、同じではありません。
今回の「学問の世界から、なぜ子どもの声は消えるのか」という問いは、この違いから考えると分かりやすくなります。
子どもが研究されていない、という話ではありません。子どもの経験が、「人間とは何か」を考える手がかりとして、十分に受け止められているだろうか、という問いです。
AMI(国際モンテッソーリ協会)のResearch Threadsは、この問題をモンテッソーリの思想から考えた、神学者Natalie Carnes(ナタリー・カーンズ)氏の論文を紹介しています。2015年に『The Journal of Religion』に掲載された、子どもの存在から人間の捉え方を問い直す研究です。
「人間の話」をしているのに、大人しか登場しない
神学は、神や信仰との関係から、人間や世界について考える学問です。今回の論文が問い直しているのは、その「人間」として、誰の経験を取り上げてきたのかということです。
Carnes氏は、女性など、これまで十分に取り上げられてこなかった人々の経験を神学の議論に含める見直しが進む一方で、子どもの経験はなお十分に扱われていないのではないか、と問いかけています。
身近な言い方にすれば、こういうことです。
「人間とは何か」を考えているのに、思い浮かべているのは、いつも大人の姿。
子どもが登場しても、「これから大人になる途中の人」として扱われる。すると、子どもについて尋ねることも、「いつ、どのように大人に近づくのか」が中心になります。
でも、それだけで人間を理解したことになるのでしょうか。
子どもは、将来人間になるのではありません。今すでに、人間として生きています。
その「今」を、人間について考える出発点に含めなくてよいのか。
子どもについては語られている。けれど、人間全体を考えるときには、子どもの生き方が抜け落ちている。
「子どもの声が消える」という問題は、そのようにも捉えられます。
モンテッソーリは、子どもを「未完成の大人」だけで見なかった
Carnes氏が、この問いを考えるうえで注目したのが、マリア・モンテッソーリでした。
著者本人はインタビューで、子どもと大人を「人間の二つの極」と捉えるモンテッソーリの考えに、大きな影響を受けたと語っています。子どもを小さな大人として見るのではなく、子どもには子どもならではの、人間としてのあり方があるという視点です。
たとえば、まだ上手に話せないことや、一人で着替えられないことは、確かに発達の途中にある姿です。
けれど、それだけでその子を説明しようとすると、私たちに見えるのは「足りないもの」ばかりになります。
その子が今、何を面白がっているのか。どんなことに心を動かされ、どう世界を確かめているのか。
そこには、「大人になれば分かる」で片づけられない経験があります。
「まだできないこと」は、これからできるようになるために援助する。その一方で、「今、この子が経験していること」にも、それ自体の意味があると受け止める。
大人の姿を完成形にして子どもを見るだけでなく、子どもの姿から、大人の見方を問い直す。
Carnes氏がモンテッソーリに見つけた視点は、このように受け止められます。
「早く上りなさい」と言う前に、何が見えるだろう
ここからは、その考えを生活の場面に置き換えてみましょう。
子どもが階段を上っています。やっと上まで着いたと思ったら、また降りて、もう一度上り始めました。
大人は「もう上れたでしょう」「そろそろ行こう」と言いたくなるかもしれません。上の階へ行くための階段なのに、行ったり来たりしているからです。
でも、その子が確かめているのは、目的地への行き方ではなく、足の置き方や、自分の身体を持ち上げる感覚なのかもしれません。
同じ階段を使っていても、大人と子どもは、そこで別のことをしている可能性があります。
モンテッソーリは『The Secret of Childhood(幼児の秘密)』で、子どもにも大切な仕事があり、それは人間をつくる仕事だと述べています。大人と同じ成果を出していなくても、子どもは活動を通して自分自身を形成している、という見方です。
この視点に立つと、問いが変わります。
「どうすれば、この子を早く動かせるだろう」ではなく、
「早く終わらせることだけを、よいことだと思っていたのは私の方ではないか」。
もちろん、いつでも何度でも階段を往復できるわけではありません。時間の都合も、安全への配慮も必要です。
それでも、行動を止める必要があることと、その行動には意味がないと決めることは別です。
子どもを理解しようとした結果、大人の方の「当たり前」が少し変わる。
ここに、「子どもから学ぶ」ということが見えてきます。
なぜ、神学がモンテッソーリに注目したのか
では、なぜこの話が、教育の分野だけでなく神学に関わるのでしょうか。
それは、子どもをどう育てるかだけでなく、子どもの存在を含めると、人間そのものの見え方が変わるかもしれないからです。
AMIの解説では、Carnes氏の論文がモンテッソーリの著作を読みながら、人間の罪や希望をめぐる問題も検討していることが紹介されています。単に「子どもは純粋だから、大人は見習いましょう」という話ではありません。
子どもの生き方や経験を含めて考えることで、これまでの人間理解を問い直そうとしています。
ここでモンテッソーリは、「子どもを上手に教育する方法を考えた人」としてだけ読まれているのではありません。
子どもを通して、人間について考え直した思想家として読まれているのです。
モンテッソーリ自身も、『幼児の秘密』で、子どもの研究は教育の範囲にとどまらず、人間に関する広い問題へ影響を及ぼし得ると述べています。
子どもをよく知れば、もっと上手に教えられる。それだけではない。
子どもをよく知ることで、大人が信じてきた人間像の方を、考え直すことになるかもしれません。
子どもの声は、大人が説明し終えたところで消えてしまう
この研究の問いを、家庭や教室へ持ち帰ってみます。
子どもの行動を見て、
「まだ小さいから」
「まだ分かっていないから」
「そのうちできるようになるから」
と説明することがあります。
その説明が必要な場面もあるでしょう。でも、それで話を終えてしまったら、その子が今経験していることには、目を向けないままです。
子どもの声を聞くとは、上手に話せるようになるまで待って、意見を尋ねることだけではないはずです。
何に立ち止まるのか。何を繰り返すのか。大人が手伝ったとき、なぜ嫌がったのか。
そうした姿に出会ったとき、「この子をどう変えよう」だけでなく、「自分の見方を変える必要はないだろうか」と考えてみる。
子どもの行動を何でも肯定するのではありません。大人の説明だけで、子どもの経験を分かったことにしない、ということです。
「学問の世界から子どもの声が消える」という問題も、この視点から捉えると、遠い研究室の話ではなくなります。
子どものことは、たくさん話している。けれど、子どもとの出会いによって、大人の考えが変わる余地は残しているだろうか。
私たちは、子どもに何を教えるかをよく考えます。
では、子どもから教えられたことで、自分の何を変えたでしょうか。
「人間とは何か」を考えるとき、その人間の中に、目の前の子どもも入っている。
今回の研究は、その当たり前のことを、もう一度問い直すきっかけになります。
参考資料・出典
Association Montessori Internationale/Research Threads
Patrick Frierson氏による「We in Our Turmoil」の紹介・解説。
AMI公式記事を見る
Natalie Carnes
“We in Our Turmoil: Theological Anthropology through Maria Montessori and the Lives of Children.”
The Journal of Religion, 95巻3号、2015年7月、318–336頁。
原論文の出版社ページを見る
Beatrice Institute
Natalie Carnes本人のインタビュー。子どもと大人についてのモンテッソーリの考え方を参照。
インタビュー記録を見る
上智大学 神学部
神学が扱う領域について参照。
神学部について見る
Association Montessori Internationale/Maria Montessori Quotes
『The Secret of Childhood』から、子どもの仕事と、人間全体への理解についての公開引用。
The Child’s Workを見る
Visionを見る
※本記事は、原論文の公開冒頭ページ、AMIの解説、著者本人のインタビュー、モンテッソーリの公開引用などをもとに、論文の出発点を紹介し、家庭や教室へ引き寄せて考察したものです。原論文全文の要約ではありません。階段の場面は説明のための例示であり、原論文の観察事例ではありません。
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