カテゴリ / コラム 写真でたどる マリア・モンテッソーリの歴史
一覧

写真でたどる マリア・モンテッソーリの歴史|第4回|1920–1930年 国際運動へ -世界への広がりとAMIの誕生

1920年代へ ― モンテッソーリ教育が「国際運動」になっていく10年

第3回では、1910年代にモンテッソーリ教育がイタリアを越え、アメリカ、スペイン、イギリスへと広がり、日本からもマリア本人のもとへ学びに行った人がいたことを見てきました。

1920年代に入ると、その広がりはさらに大きなものになります。

各国に学校が生まれ、教師養成コースが開かれ、マリア・モンテッソーリ自身もヨーロッパ各地を行き来するようになりました。

そして1929年、世界各地の実践を結びつける組織として、国際モンテッソーリ協会(Association Montessori Internationale/AMI)が誕生します。

第4回は1920年から1930年まで。

各地を訪れるマリアの姿と、子どもたちが活動する教室の写真を通して、モンテッソーリ教育が国際的な運動として組織を持つまでの歩みをたどります。

1920年|アムステルダム大学で講演

1920年、マリア・モンテッソーリはアムステルダム大学で講演を行いました。

オランダでは、すでに1910年代からモンテッソーリ教育への関心が高まっていました。1920年代には、学校での実践に加え、教師養成や教材製作など、それを支える活動も広がっていきます。

マリアが訪れ、教師たちが学び、子どもたちのための環境がつくられる。

オランダは、この教育を支える重要な国の一つになっていきました。

1921年|教師を育てながら、教育の輪を広げる

1921年には、ロンドンとミラノで教師養成コースが行われました。

同じ年、教育改革を目指すNew Education Fellowship(後のWorld Education Fellowship)も設立されます。マリアの仕事は、こうした教育改革をめぐる国際的な交流ともつながっていきました。

この年に刊行された『Manuale di pedagogia scientifica』には、マリアの肖像も掲載されています。

1921年刊行の『Manuale di pedagogia scientifica』に掲載されたマリア・モンテッソーリの肖像

1921年刊行資料より|マリア・モンテッソーリの肖像。撮影年不詳。出典:Maria Montessori, Manuale di pedagogia scientifica, Napoli, Alberto Morano Editore, 1921。所蔵:Biblioteca ONM。掲載:Atlante Montessori。

同じ本には、ナポリの市立「子どもの家」(Casa dei Bambini)の様子も掲載されています。

教室の中だけでなく、テラスでも教具に取り組む子どもたちの姿が残されています。

1920年代初頭、ナポリの市立「子どもの家」のテラスで活動する子どもたち

1920年代初頭|ナポリ、S. Teresa degli Scalzi 144の市立Casa dei Bambini。テラスで教具に取り組む子どもたち。出典:Maria Montessori, Manuale di pedagogia scientifica, 1921。掲載:Atlante Montessori。

1922〜1923年|ウィーン、ロンドン、オランダへ

1922年、ウィーンにリリ・ルービチェック(Lili Roubiczek)による最初の「子どもの家」が開かれます。

翌1923年には、マリア自身もウィーンのHaus der Kinderを訪れ、ルービチェックたちとの協力関係が始まりました。

同じ1923年には、ロンドンとオランダで教師養成コースが開催されます。アムステルダムのコースは、1923年11月から翌1924年2月にかけて続きました。

次の写真は、1923年のアムステルダム訪問時のものです。マリアは、現地の関係者たちとともに写っています。

1923年、アムステルダムを訪れたマリア・モンテッソーリと関係者たち

1923年|アムステルダムを訪れたマリア・モンテッソーリと関係者たち。撮影者不詳。出典:Spaarnestad Photo、資料番号SFA022002964/Wikimedia Commons。

1923年12月には、イギリスのダラム大学(Durham University)から名誉学位(Honorary Doctor of Literature)も授与されました。

学校での実践と教師養成に加えて、大学からの顕彰にも、マリアの仕事が国外で受け止められていく様子が表れています。

1920年代|教室の風景も、国境を越えていく

モンテッソーリ教育の広がりは、講演や教師養成の記録だけでなく、各地の教室の写真からもたどることができます。

こちらは、イングランド北部サンダーランドのSt. Anthony校です。

1920年代、イングランドのサンダーランドにあるSt. Anthony校のモンテッソーリクラス

1920年代|イングランド北部サンダーランド、St. Anthony校のモンテッソーリクラス。1926年版に掲載。出典:Maria Montessori, Il metodo della pedagogia scientifica applicato all’educazione infantile nelle Case dei Bambini, 1926。掲載:Atlante Montessori。

写真では、子どもたちがそれぞれの場所で、異なる活動に取り組む様子が見えます。

ローマで紹介されてきた、子どもが自分の活動に向かう教室の姿が、イギリスにもつながっていました。

1926年版のマリアの著作には、現在のモンテッソーリ教室にも通じる活動の写真が数多く掲載されています。ここからは、音感ベル、書くための準備、線上歩行の3点を見てみます。

音を聴き分ける ― 音感ベル

1920年代、音感ベルを使って音の高さを聴き分ける子ども

1920年代|音感ベルに取り組む子ども。見た目の似たベルの音を聴き分け、音の高さにしたがって順序づけている。出典:Maria Montessori, Il metodo della pedagogia scientifica applicato all’educazione infantile nelle Case dei Bambini, Roma, Maglione & Strini, 1926。掲載:Atlante Montessori。

見た目がよく似たベルを鳴らし、その音を注意深く聴く。

そして、音の高さの違いを自分の耳で確かめながら並べていきます。

形や大きさを手がかりにするのではなく、耳で聴いた違いを手がかりにする。当時の写真説明にも、音を聴き分け、順序づける活動として記されています。

100年前の写真ですが、現在の教室でも見られる、音に耳を澄ませる子どもの姿につながっています。

「書く」前に、手を準備する

1920年代、メタルインセットを使って書くための手の動きを準備する子どもたち

1920年代|メタルインセットを使い、書くための手の動きを準備する子どもたち。出典:Maria Montessori, Il metodo della pedagogia scientifica applicato all’educazione infantile nelle Case dei Bambini, 1926。掲載:Atlante Montessori。

文字を書く練習だけでなく、まず鉛筆を扱う手を準備する。

形をなぞり、その内部に線を描きながら、手の動きを整えていきます。

現在「メタルインセット」と呼ばれている活動です。当時の図版説明にも、形を描き、その内部を線で満たすことを通して、書くための手を準備するという考え方が示されています。

線の上を歩く ― 動きを自分でコントロールする

1920年代、線の上を歩く活動に取り組む子どもたち

1920年代|線の上を歩く子どもたち。原典の写真説明には、慣れた子どもはベルを持ち、音を鳴らさないように歩くと記されている。出典:Maria Montessori, Il metodo della pedagogia scientifica applicato all’educazione infantile nelle Case dei Bambini, 1926。掲載:Atlante Montessori。

足を線の上に置き、自分の動きを意識しながら歩く。

さらに慣れてくると、ベルを持ち、それを鳴らさないように歩きます。この説明も、当時の図版に添えられています。

足の運び方、身体のバランス、手に持つものの動き。

自分の身体の動きを、自分で調整していく。

線上歩行には、そのための活動が用意されています。

1924〜1926年|教育運動から、社会への問いへ

1924年、イタリアでは、マリア・モンテッソーリとベニート・ムッソリーニの会談を経て、政府によるモンテッソーリ教育への支援が進んでいきます。

1925年にはロンドンで教師養成コースが開かれ、息子マリオ・モンテッソーリもこのコースを受講し、ディプロマを取得しました。

また、AMIの年譜によると、1926年にはジュネーブの国際連盟で「Education and Peace(教育と平和)」について講演しています。

子どもの教育を、学校の中だけで完結する問題ではなく、社会や平和につながる問題として考える。

1920年代には、教育の普及とともに、マリアの仕事と社会との関わりも広がっていきました。

1927年|英国宮廷へ

1927年6月21日、マリアはバッキンガム宮殿で行われた、ジョージ5世とメアリー王妃のレセプションに招かれました。

この招待に際して、写真家ドロシー・ワイルディングが撮影した肖像が残されています。

1927年、英国宮廷のレセプションへの招待に際して撮影されたマリア・モンテッソーリの肖像

1927年|英国宮廷のレセプションに招かれた際のマリア・モンテッソーリ。撮影:Dorothy Wilding。出典:Association Montessori Internationale/Montessori 150。

白いドレス、長い銀色のトレーン、頭飾り。

教室や養成コースで見せる姿とは、大きく異なる装いです。

マリア自身は、この宮廷への招待を、イギリスにおけるモンテッソーリ教育への評価を示す出来事として受け止めていました。そのことは、当時の手紙にも記されています。

1927年|レッコ教育展を訪れる

同じ1927年、マリアはイタリア北部レッコで開かれた教育展を訪れました。

展示会には、モンテッソーリ教育のために、一室を丸ごと整えたモデル教室が設けられていました。

1927年、レッコ教育展のモンテッソーリ教育の展示室を訪れたマリア・モンテッソーリ

1927年|レッコ教育展を訪れたマリア・モンテッソーリ。モンテッソーリ教育のために構成された展示室での写真。出典:『L’Idea Montessori』1927年10月号、p.5。掲載:Atlante Montessori。

1926〜1927年度、レッコ教育展に設けられたモンテッソーリのモデル教室

1926–1927年度|レッコ教育展に設けられた「Aula Montessoriana」。モンテッソーリ教育の環境を再現したモデル教室。出典:『L’Idea Montessori』1929年1月号、p.6。掲載:Atlante Montessori。

教具を並べただけの展示ではありません。

机や椅子、棚、子どもの作品まで含めて、子どもが生活し、活動する環境が再現されています。

教育を伝えるために、教具だけでなく、子どもが過ごす環境全体を見せる。

各地へ実践を広げていく時代には、こうした展示も、教育の姿を伝える場になっていました。

1920年代のイタリア|教室だけでなく、学校の暮らしへ

1920年代のイタリアでは、大都市だけでなく、さまざまな地域でモンテッソーリ教育が実践されていました。

Vizzolo Predabissiのモンテッソーリ学校からは、学校に備えられたキッチンの写真も残されています。

1920年代、Vizzolo Predabissiのモンテッソーリ学校に備えられたキッチン

1920年代|Vizzolo Predabissi(ミラノ)のモンテッソーリ学校のキッチン。出典:『L’Idea Montessori』1927年12月号。掲載:Atlante Montessori。

学校は、教具を使うための部屋だけで成り立っているわけではありません。食事などを含めて、子どもたちが日々を過ごす場所でもあります。

第2回で見た掃除や洗濯の写真のように、「子どもの家」では、子どもが身の回りの生活に参加することも大切にされてきました。

教室の活動だけでなく、それを支える学校の設備にも目を向けると、当時の学校を、生活の場として捉えることができます。

1927年|Garlascoの最初のクラス

モンテッソーリ教育が広がる過程では、最初からすべての教具や家具が揃っていた学校ばかりではありません。

Garlascoの最初のクラスも、専用の家具や教具がまだ十分に揃っていない状態から始まりました。

1927年、専用の家具や教具がまだ十分に揃っていないGarlascoの最初のモンテッソーリクラス

1927年|Garlasco(Pavia)の最初のモンテッソーリクラス。専用家具や教具がまだ十分に揃っていない時期の教室。出典:E. Mazzoleni「La mia prima Montessori in Garlasco con materiale preparato da me」『L’Idea Montessori』1928年9月号、p.7。掲載:Atlante Montessori。

この記事は、教師が自ら準備した教材を使って実践を始めた記録でもあります。

完成した教室の姿だけでなく、環境をつくり、教材を用意しながら進めていく過程も、資料に残されています。

教育が新しい地域へ広がるとき、その場所で子どもたちを迎える教師の仕事があったことを伝える一枚です。

1928年|「家庭の中の子ども」へ

1928年には、1923年にウィーンで行った講演をもとにした『Das Kind in der Familie』が、ドイツ語で出版されました。

後に英語では『The Child in the Family』として知られる本です。

教室の中だけでなく、家庭で大人が子どもをどう見るのか。子どもの育ちに、どのように関わるのか。

マリアの視線は、学校での教育だけでなく、家庭の中の子どもと大人の関係にも向けられていました。

1929年|サルデーニャ島にもモンテッソーリの教室が

1929年の『L’Idea Montessori』には、イタリアのサルデーニャ島、Domusnovasの幼児学校も紹介されています。

1929年の資料で紹介されたサルデーニャ島Domusnovasのモンテッソーリ幼児学校

1929年掲載|サルデーニャ島Domusnovasの幼児学校で活動する子どもたち。出典:F. Galleppini Leoni「Bambini montessoriani a Domusnovas」『L’Idea Montessori』1929年5月号。掲載:Atlante Montessori。

ローマやミラノといった大都市だけではありません。

1920年代の終わりには、各地の教師がそれぞれの場所で実践を重ねていました。こうした教室の写真からも、教育が広がっていく様子をたどることができます。

1929年|第1回国際モンテッソーリ大会

1929年、デンマークのヘルシンゲル(Helsingør)で、第1回国際モンテッソーリ大会が開かれました。

この年、New Education Fellowshipの第5回大会には、世界43か国から参加者が集まりました。その大会の一環として、クロンボー城でモンテッソーリの大会が開催されたのです。

そこには、すでに各国でモンテッソーリ運動を支えていた人々も集まっていました。

1929年、ヘルシンゲルのクロンボー城で開かれた第1回国際モンテッソーリ大会の参加者たち

1929年|デンマーク・ヘルシンゲルのクロンボー城で開かれた第1回国際モンテッソーリ大会の参加者たち。出典:Association Montessori Internationale。

1929年|国際モンテッソーリ協会、AMIの誕生

1929年、AMIの設立につながった第1回国際モンテッソーリ大会の参加者たち

1929年|デンマーク・ヘルシンゲルのクロンボー城で開かれた第1回国際モンテッソーリ大会の参加者たち。この大会を契機に、国際モンテッソーリ協会(Association Montessori Internationale/AMI)が設立された。出典:Association Montessori Internationale。

この大会を契機に、マリア・モンテッソーリと息子マリオは、国際モンテッソーリ協会(Association Montessori Internationale/AMI)を設立します。

1907年、ローマのサン・ロレンツォに開かれた一つの「子どもの家」での実践は、20年あまりの間に多くの国へ広がりました。

学校や教師養成が増えていく中で、各地の実践を結びつけ、教育の考え方を共有し、その仕事を支えていくことが重要になります。

広げることと、受け継ぐこと。

マリアの仕事と教育の考え方を守りながら、国際的な発展を支える。そのための組織として、AMIが生まれました。

「広がる」だけでは足りなくなった10年

1920年代の写真を並べてみると、この10年に起きていた変化が見えてきます。

ナポリのテラス。
イギリスの教室。
音感ベルに耳を澄ませる子ども。
線の上を慎重に歩く子どもたち。
イタリア各地につくられていく新しい学校。
そして、各国から人々が集まった国際大会。

モンテッソーリ教育は、もはやマリア一人の実践だけではありませんでした。

異なる国、異なる言葉、異なる文化の中で、多くの教師たちが子どもを観察し、環境をつくり、実践を続けていました。

その一つひとつの教室を支え、各地の人々を結びつけるために、1929年、AMIが生まれます。

写真に残されているのは、活動の範囲が広がっていくマリアの姿と、その教育を自分の場所で実践しようとする人々の仕事です。

次回は1930–1940年。

モンテッソーリ教育がさらに世界へ広がる一方で、ヨーロッパでは政治状況が大きく変わります。マリアとファシズム政権との関係、ヨーロッパを離れてインドへ向かうまでの歩みを、当時の写真とともにたどります。

「写真でたどる マリア・モンテッソーリの歴史」

第1回|1870–1900年 医師から教育者へ – マリア・モンテッソーリの出発点
第2回|1900–1910年「子どもの家」の誕生 – モンテッソーリ教育が形になった10年
第3回|1910–1920年 ローマから世界へ – 広がり始めたモンテッソーリ教育
第4回|1920–1930年 国際運動へ – 世界への広がりとAMIの誕生
第5回|1930–1940年 ファシズムとの決別 – ヨーロッパを離れ、インドへ 
第6回|1940–1950年 インドで深まった「宇宙教育」と平和への思想 
第7回|1950年以降 晩年、そして世界に受け継がれた教育 

主な参考資料

RECENT ENTRY 一覧

2026.10.19カテゴリ / コラム 写真でたどる マリア・モンテッソーリの歴史

写真でたどる マリア・モンテッソーリの歴史|第4回|1920–1930年 国際運動へ -世界への広がりとAMIの誕生

2026.10.19カテゴリ / モンテッソーリ研究を読む

3歳の目線95cmから街を見ると? – Urban95と、100年前のウィーンのモンテッソーリ教育

2026.10.18カテゴリ / モンテッソーリから学ぶ子育て

お手伝いで、前より散らかる。それでも任せる意味は? ― 家事と『問題を解く力』を研究から考える

2026.10.17カテゴリ / 漫画で学ぶモンテッソーリ教育

モンテッソーリ漫画 第9話「それ、ぼくの宝物!」

2026.10.17カテゴリ / コラム 赤ちゃんの発達と子育て

赤ちゃんの鏡は、何のためにある? – 2026年の研究が示した「脳の反応」と「行動」の違い

2026.10.16カテゴリ / コラム モンテッソーリを伝えた人たち

マリオ・モンテッソーリ – 母の教育を受け継ぎ、世界の教師養成を支えた人