戦争で傷ついた子どもに、教育は何ができる? – マリア・モンテッソーリが構想した「ホワイトクロス」

第一次世界大戦中のフランス。戦火を逃れた子どもたちが、モンテッソーリの教室に集められました。
しかし、子どもたちはなかなか活動を始めようとしません。
ある子どもは、何にも関心を示さず、ぼんやりと座っています。別の子どもたちは、椅子や机を積み重ね、隠れる場所をつくっていました。
算数のために用意された長い棒を、銃に見立てて遊ぶ子どももいました。
戦争で経験した恐怖が、子どもたちの行動の中に現れていたのです。
この様子を記録したのは、当時、フランスとベルギーから避難してきた子どもたちのためにモンテッソーリ教育を実践していた、アメリカ人教師メアリー・クロムウェル(Mary Cromwell)でした。
彼女の活動を知ったマリア・モンテッソーリは、戦争によって心に傷を負った子どもたちを支援するため、ある国際組織を構想します。
その名前は「ホワイトクロス(White Cross/白十字)」。
赤十字が身体の傷を負った人々を救うように、ホワイトクロスは子どもたちの心の傷に向き合おうとするものでした。
このあまり知られていない教育史を、100年以上前の記録から掘り起こした研究があります。
2025年7月2日、AMI(国際モンテッソーリ協会)の研究紹介シリーズ「Research Threads」で、教育史研究者エリカ・モレッティ(Erica Moretti)が紹介した研究です。
今回は、この研究を手がかりに、モンテッソーリが戦争や災害で傷ついた子どもたちとどのように向き合い、その経験が現代の教育に何を伝えているのかを考えます。
戦争の記憶を、教室に持ち込んだ子どもたち

1914年、第一次世界大戦の戦火を逃れ、フランス・パリに避難してきたベルギーの人々。幼い子どもたちの姿も見られます。写真:Bain News Service/Library of Congress(Public Domain)
1916年、第一次世界大戦が続くヨーロッパでは、多くの子どもたちが故郷を追われていました。
この年、マリア・モンテッソーリはフランスを訪れます。
戦争の影響で多くのモンテッソーリ校が閉鎖され、教師たちも赤十字の支援活動に参加していました。
その中で、メアリー・クロムウェルは自ら資金を集め、フランスとベルギーの避難民の子どもたちのために授業を続けていたのです。
クロムウェルが1916年に発表した活動報告には、子どもたちの様子が詳しく書かれています。
何もする気力がなく、周囲の出来事にも反応できない子どもたち。
反対に、絶えず何かを積み上げ、落ち着かない様子で動き回る子どもたち。
机や椅子で隠れ場所をつくり、まるで戦場から身を守ろうとするかのような行動を繰り返す子どもたち。
当時は、子どものトラウマについて、現在のような心理学的な理解が確立されていませんでした。
それでもクロムウェルは、こうした行動を単なるいたずらや問題行動として片付けず、子どもたちが経験した出来事と結びつけて観察していました。
そして、子どもたちに植物や小鳥の世話、絵を描く活動、粘土、感覚教具などを用意しました。
しばらくすると、子どもたちは少しずつ活動に取り組むようになったと報告されています。
文字を書く活動を始め、やがて戦場にいる父親へ手紙を書けるようになった子どもたちもいました。
クロムウェルは、子どもたちの変化を、当時の報告に残しています。
その変化は、マリア・モンテッソーリにとっても重要な意味を持つものでした。
戦争より前にも、心に傷を負った子どもたちがいた
実は、モンテッソーリが大きな心の傷を経験した子どもたちに出会ったのは、第一次世界大戦が初めてではありません。
1908年12月28日、イタリア南部のメッシーナとレッジョ・カラブリアを大地震と津波が襲いました。
この災害では、約8万〜10万人が亡くなったと推定されています。多くの子どもが家族や住まいを失い、瓦礫の中から救出されました。

1908年12月のメッシーナ大地震で被災し、移送を待つ人々。1909年1月撮影。マリア・モンテッソーリは、この地震で家族を失った子どもたちの教育にも関わりました。写真:U.S. Naval History and Heritage Command(NH 1177)/Public Domain

1908年のメッシーナ大地震後、被災した子どもたちを受け入れたローマ・Via Giustiの「子どもの家」。写真は1910年代の活動風景。出典:G. Alatri(2007), 『Vita dell’infanzia』。
そのうち60人の子どもたちが、ローマの修道院に設けられたモンテッソーリの学校で受け入れられました。
後にモンテッソーリは、当時の子どもたちの様子を『幼児の秘密』に記しています。
子どもたちは無口で、ぼんやりとしており、食事も睡眠も十分に取れませんでした。夜になると叫び声や泣き声が聞こえることもあったといいます。
1915年に出版された『Montessori Children』には、この地震で両親を亡くしたブルーノという男の子のエピソードが残されています。
ブルーノは、周囲との関わりを避け、心を閉ざしたような状態でした。
教師は、彼に無理に話しかけたり、活動への参加を求めたりしませんでした。
そばに立ち、そっと手を握り、微笑みかけます。
そして、彼が傷つけられることはないこと、周囲の人々が彼を大切に思っていることを繰り返し伝えました。
時間をかけて関わり続けるうちに、ある日、ブルーノは教師に笑顔を返し、自分から抱きつくようになったと記録されています。
このエピソードは、何か特別な教具によって子どもの心が変化したという話ではありません。
子どもが安心できる大人との関係を、根気よく築いていくこと。
それもまた、モンテッソーリ教育の重要な一面だったことを伝えています。
ホワイトクロス – 身体の傷だけでなく、心の傷を救うために
戦争で傷ついた子どもたちの姿を見たモンテッソーリは、教育によって彼らを支援するための国際組織を考え始めます。
それが「ホワイトクロス」でした。
構想が報道された1916年当時、赤十字は戦争による負傷者の救護に取り組んでいました。
しかし、モンテッソーリが問題にしたのは、身体には目立った傷がなくても、戦争の恐怖によって日常生活や学習が難しくなっている子どもたちの存在でした。
ホワイトクロスでは、教師と看護師の役割を兼ね備えた専門家を養成することが考えられていました。
しかも、単にモンテッソーリ教育の方法を学ぶだけではありません。
神経や精神の問題について医学の専門家から学び、子どもの心の状態を理解したうえで、教育による支援を行うという計画でした。
1916年の新聞には、フランス、ベルギー、セルビア、ルーマニア、ロシアなどへ支援チームを派遣する構想も報じられています。
1917年、モンテッソーリはアメリカのサンディエゴで、この計画について講演しました。
彼女は、支援を始める前に、まず子どもをよく観察し、戦争を経験した子どもたちにどのような心理的な反応が現れるのかを研究する必要があると考えていました。
子どもを変えようとする前に、その子に何が起きたのかを理解する。
この考え方は、現在のトラウマに配慮した教育にも通じています。
ただし、ここには歴史上の重要な事実があります。
ホワイトクロスは、構想されたものの、組織として実現することはありませんでした。
モンテッソーリは実現に向けて支援を求めましたが、計画は成功しなかったのです。
それでも、子どもの心理的な傷に教育がどう向き合えるのかという問いは、100年以上を経た現代にも残されています。
なぜ、日常生活の活動が子どもを落ち着かせたのか
2022年、アイルランドのメイヌース大学のベルナデット・フィリップス(Bernadette Phillips)ら4人の研究者は、この歴史を改めて調べました。
研究者たちは、1898年から1917年にかけてのモンテッソーリ自身の著作、当時の目撃者の記録、新聞記事など、12点の歴史資料を分析しました。
その結果、初期のモンテッソーリ教育には、現在の「トラウマに配慮した教育」と共通する特徴が数多く見られると指摘しています。
例えば、日常生活の練習です。
机を洗う。布をたたむ。ボタンを留める。庭を掃く。植物を育てる。
こうした活動では、子どもは自分の手を使い、目的のある動作を繰り返します。
研究者たちが注目したのは、この目的を持った動きと、繰り返しによるリズムでした。
強いストレスや恐怖を経験した子どもは、常に警戒して落ち着かなくなったり、反対に周囲の出来事への反応が乏しくなったりすることがあります。
研究者たちは、モンテッソーリの活動に含まれる規則的な動きや反復が、こうした子どもたちの心身の落ち着きを取り戻す助けになった可能性を考察しています。
興味深いのは、初期のモンテッソーリ教育を訪れた人々も、同じような変化を観察していたことです。
子どもたちが、感覚教具を繰り返し使ったあと、穏やかな様子を見せることが記録されていました。
モンテッソーリ自身も、円柱さしを42回繰り返した子どもの姿を紹介しています。
もっとも、この42回の活動は、トラウマを経験した子どもの治療効果を測定した事例ではありません。
研究者たちは、こうした歴史的な観察を現代の神経科学の知見と照らし合わせ、反復活動が子どもの心身の調整に役立つ可能性を論じています。
子どもが同じ活動を繰り返すことには、技術を習得するだけではない意味があるのかもしれません。
「自分で選べること」が持つ、もう一つの意味
この研究でもう一つ重要なのが、子ども自身が活動を選ぶ自由です。
戦争や虐待などの経験では、子どもが自分の生活をコントロールできない状況に置かれることがあります。
何が起こるかわからない。自分では止められない。逃げることもできない。
そうした経験をした子どもにとって、日常の中で自分の意思が尊重されることは、大きな意味を持ちます。
モンテッソーリの教室では、子どもは自分で活動を選び、取り組む時間を決め、必要なだけ繰り返すことができます。
また、間違えたときにも、すぐ大人から叱られるのではなく、教具に備えられた「誤りの訂正」によって自分で気づくことができます。
床にマットを敷けば、その場所は子ども自身の活動空間になります。ほかの子どもは、そこへ勝手に入り込んだり、活動を妨げたりしません。
研究者たちは、こうした環境が子どもに安全感や、自分で物事を決められる感覚を与える可能性を指摘しています。
そして、もう一つ忘れてはならないのが、大人との関係です。
モンテッソーリ教育では、子どもの活動を尊重するだけでなく、教師が温かく、安定した態度で接することを大切にします。
ブルーノに寄り添った教師のように、子どもが安心できる存在であり続けることです。
研究者たちは、こうした環境の特徴を、現代のトラウマに配慮した実践における「安全」「信頼」「選択」「協働」「自分の力を取り戻すこと」などと関連づけています。
つまり、特別な活動を追加することだけが支援なのではありません。
教室そのものが、子どもにとって安心できる場所であること。
その重要性を、研究は改めて示しているのです。
100年前の構想は、現代の教育にどうつながったのか
この研究は、2022年に学術誌『Journal of Montessori Research』に掲載されました。
論文のタイトルは『Montessori, the White Cross and Trauma-Informed Practice: Lessons for Contemporary Education』。
日本語では「モンテッソーリ、ホワイトクロス、トラウマに配慮した実践――現代教育への教訓」と訳せるでしょう。
その後、同じ4人の研究者は、2024年12月に『Trauma-Informed Practice in Montessori Classrooms: An Essential Guide for Students and Teachers』を出版しています。
こちらは、歴史的な研究を現代の教育実践へとつなげるための書籍です。
トラウマとは何か。子どもの感情、対人関係、認知機能にどのような影響があるのか。そして、モンテッソーリの教師はどのような環境を整え、子どもに関わることができるのか。
こうした内容を、教育者向けに整理しています。
さらに、2026年にはベルナデット・フィリップスによる新しい論文も発表されました。
この論文では、トラウマに配慮した教育で重視される「Regulate(心身の状態を整える)」「Relate(人との関係を築く)」「Reason(考える)」という三つの段階と、モンテッソーリ教育の特徴を比較しています。
研究者は、モンテッソーリ教育の反復活動、異年齢の子ども同士の関わり、落ち着いていない子どもに無理に理解を求めない姿勢などが、この考え方とよく一致していると論じています。
ただし、ここは区別しておく必要があります。
2022年の論文は歴史資料を分析した研究であり、2026年の論文も教育モデルの特徴を比較した分析です。
モンテッソーリ教育がトラウマの治療法として有効であることを、実験によって証明したものではありません。
それでも、これまで教育史の中で十分に注目されてこなかったモンテッソーリの一面を、現代の心理学や教育研究と結びつけたことには、大きな意義があります。
子どもの行動だけを見て、判断しないということ
モンテッソーリ教育を実践する私たちにとって、この研究は遠い戦争の歴史だけの話ではありません。
現代の教室にも、落ち着かない子、活動になかなか入れない子、大人との関わりを避ける子、突然強い感情を表す子がいます。
もちろん、そうした行動をすべてトラウマと結びつけることはできません。
年齢による発達の特徴や、その日の体調、環境への適応、さまざまな要因が関係しています。
しかし、目の前の行動をただ止めようとするのではなく、その背景に何があるのかを考えることはできます。
第一次世界大戦中、椅子や机で隠れ場所をつくっていた子どもたちも、表面的な行動だけを見れば、教室を散らかしているように見えたかもしれません。
けれども、その子どもたちは戦争を経験していました。
子どもが活動できるようになるには、まず安全だと感じられることが必要な場合があります。
安心できる大人がいること。自分で活動を選べること。無理に急がされないこと。そして、何度でも繰り返せること。
これらは、モンテッソーリ教育では特別な支援というより、普段から大切にしている教室のあり方です。
100年以上前、モンテッソーリがホワイトクロスを構想した背景には、教育を通して子どもたちの生活と心を支えたいという思いがありました。
その組織は実現しませんでしたが、彼女が投げかけた問いは、今も重要です。
私たちは、子どもの行動を変えようとする前に、その子が何を経験し、何を必要としているのかを十分に見ているでしょうか。
この研究は、モンテッソーリ教育が単に知識や技能を身につけるための教育ではないことを、歴史の中から改めて教えてくれます。
参考資料
1.Association Montessori Internationale(2025年7月2日)
AMI Research Threads:Trauma-Informed Practice
エリカ・モレッティによる研究紹介。2022年の論文と2024年の書籍を取り上げています。
2.Phillips, B., O’Toole, C., McGilloway, S., & Phillips, S.(2022)
Montessori, the White Cross and Trauma-Informed Practice: Lessons for Contemporary Education
Journal of Montessori Research, 8(1), 13–28.
本記事の中心となる研究論文。1898〜1917年の歴史資料12点を分析し、モンテッソーリの初期の教育実践とホワイトクロス構想を検討しています。
論文全文PDF(無料)
3.Phillips, B., O’Toole, C., McGilloway, S., & Phillips, S.(2024)
Trauma-Informed Practice in Montessori Classrooms: An Essential Guide for Students and Teachers
Routledge刊。歴史研究と現代のトラウマ研究を結びつけ、教育現場への応用を論じた書籍です。
4.Phillips, B.(2026)
Does the Montessori Approach To Healing Trauma-Affected Children Align with the “Regulate, Relate, and Reason” Phase of the NME? A Thematic Analysis
Journal of Child & Adolescent Trauma, 19, 135–145.
2022年の研究を発展させ、現代の神経発達に基づく教育モデルとモンテッソーリ教育の共通点を分析した論文。
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