「実践を通して学ぶ」- キャサリン・グラハムが人生で再び見つけたモンテッソーリ

1970年代前半、アメリカ大統領の辞任へとつながる「ウォーターゲート事件」を追い続けた新聞があります。
『ワシントン・ポスト』です。
その新聞社を率いていたのが、キャサリン・グラハム(Katharine Graham)でした。
1971年には、ベトナム戦争をめぐる政府の機密文書「ペンタゴン・ペーパーズ」の掲載を決断。その後のウォーターゲート報道でも、政府からの圧力の中で編集部を支え続けました。
こう聞くと、最初から強い意志と豊富な経験を持ち、迷うことなく決断する経営者だったように思えるかもしれません。
けれど、彼女は経営の経験がほとんどないまま、46歳で会社を背負うことになった人でした。仕事をしながら学び、人の話を聞き、難しい判断を重ねていったのです。
そして後に、自分が仕事を覚えていった方法を、こう振り返っています。
「モンテッソーリの方法 – 実践を通して学ぶこと – が、再び私の仕事の基本になった。」
46歳で、突然「経営者」になった
キャサリン・グラハムは1917年、ニューヨークに生まれました。父ユージン・メイヤーは1933年、経営難に陥っていた『ワシントン・ポスト』を買収します。
大学卒業後、グラハム自身も新聞記者として働きましたが、1940年にフィリップ・グラハムと結婚。その後は夫がワシントン・ポスト社を率い、彼女は長く家庭を中心とした生活を送ります。
しかし1963年、夫フィリップが亡くなります。
46歳だったグラハムは、突然、会社を率いる立場になりました。
本人は後に、当時の自分には十分な自信がなかったことを率直に語っています。しかも、企業経営の中枢を男性が占める時代でした。
では、経験の足りなかった彼女はどうしたのでしょう。
仕事をしながら、一つずつ学んでいきました。
「仕事が、私を変えた」
1997年のPBSのインタビューで、グラハムは、自信のなかった自分がどのようにリーダーへ変わったのかと尋ねられています。
その答えが印象的です。
「自分で自分を変えたわけではありません。仕事をすることが、私を変えたのです。」(筆者訳)
会社の支配株を所有することになった以上、いつか重要な判断をしなければならないかもしれない。そのときにきちんと判断できるよう、何が問題なのかを学んでおこうと考えた、と彼女は説明しています。
最初から答えを知っていたわけではありません。
必要になったから学ぶ。
実際に仕事に取り組む。
分からないことに気づき、さらに学ぶ。
その積み重ねの先に、新聞社の将来を左右する判断が待っていました。
掲載をめぐり、異なる立場の意見がぶつかった
1971年6月、『ニューヨーク・タイムズ』は「ペンタゴン・ペーパーズ」の報道を始めます。ベトナム戦争へのアメリカの関与を記録した、米国防総省の機密文書でした。
政府が掲載差し止めを求め、タイムズの続報が一時的に止められる中、『ワシントン・ポスト』も文書を入手します。
掲載するのか。
それとも、掲載を見送るのか。
会社は株式公開の手続きを進めている時期でした。掲載に踏み切れば、法的な責任を問われ、会社の経営にも深刻な影響が及ぶおそれがありました。
編集部、弁護士、経営側の間で、議論が続きます。
編集部は、重要な情報を読者に伝えるために掲載すべきだと主張する。
弁護士たちは、掲載によって生じる法的な危険を指摘する。
経営側からも、会社への影響を懸念する意見が出る。
それぞれが異なる責任を負い、異なる角度から問題を見ていました。
グラハムの判断は、こうした人たちの知識や意見を受け取るところから始まっています。
信頼する人にも尋ね、そのうえで自分で選んだ
その夜、グラハムへの電話で、会長のフリッツ・ビーブが双方の立場を説明しました。編集側も掲載の必要性を伝えます。
グラハムは、自分が信頼していたビーブ自身にも、どうするべきだと思うかを尋ねました。
けれど、ビーブの答えは、掲載を積極的に勧めるものではありませんでした。自分ならおそらく掲載しない、という慎重な意見だったのです。
一方、編集側は掲載を求めていました。グラハムは、新聞社が危険にさらされる可能性も、報道することの重要性も聞いたうえで、判断を迫られます。
ここには、信頼できる一人を見つけ、その人の答えにそのまま従えばよい、という簡単な道筋はありませんでした。
異なる意見に耳を傾ける。
それぞれの理由とリスクを理解しようとする。
そのうえで、自分がどうするかを決める。
グラハムが出した答えは、掲載でした。
後年、本人がそのときの判断を振り返った映像が残されています。
1971年、ペンタゴン・ペーパーズの掲載を決断した当時について語るキャサリン・グラハム。動画:The Connecticut Forum(英語)
『ワシントン・ポスト』は6月18日、ペンタゴン・ペーパーズの報道を始めました。6月30日には、連邦最高裁が6対3で新聞社側を支持し、政府による掲載差し止めは認められませんでした。
ただ、決断の時点で、その結末が分かっていたわけではありません。
グラハムには、相談できる人がいました。専門知識を持つ人も、信頼してきた人もいました。それでも意見は一つにはまとまらず、最後には、自分で判断を引き受ける必要がありました。
人の力を借りることと、自分で決めること。その両方が、この決断の中にありました。
翌年から始まるウォーターゲート報道でも、彼女は編集部を支えていきます。
彼女の学校教育は、モンテッソーリから始まっていた
そんなグラハムの幼少期をたどると、モンテッソーリ教育とのつながりが見えてきます。
彼女の学校教育は、モンテッソーリスクールから始まっていました。
自伝『Personal History』や、その幼少期の回想を掲載した『ワシントン・ポスト』の記事で、本人がこの経験について書いています。
自分の興味のあることを、自分のペースで学ぶ。好きだった読書には取り組む一方、苦手な算数は避けていたとも振り返っています。
得意だったことも、苦手だったことも含めて、子ども時代の自分を率直に見つめている回想です。
「モンテッソーリの方法が、再び私の仕事の基本になった」
そして大人になり、新聞経営の仕事を学んでいったグラハムは、自伝『Personal History』に、こんな一文を残しています。
“The Montessori method—learning by doing—once again became my stock in trade.”
日本語にするなら、
「モンテッソーリの方法 – 実践を通して学ぶこと – が、再び私の仕事の基本になった。」(筆者訳)
心に留まるのは、“once again(再び)”という言葉です。
子どもの頃に経験した学び方が、大人になって未知の仕事に取り組む中で、もう一度、自分を支える方法になっていた。彼女は自分の歩みを、そのように振り返っています。
この一文は、ペンタゴン・ペーパーズの掲載判断をモンテッソーリ教育だけで説明する言葉ではありません。けれど、グラハム本人が、自分の仕事の学び方を「モンテッソーリの方法」と結びつけていることは、この記事で大切にしたい事実です。
「自分で考える」は、一人で抱え込むことではない
ここで、モンテッソーリ教育でいう「自立」についても考えてみたくなります。
自立というと、何でも一人でできるようになることを思い浮かべるかもしれません。けれど、自分の力で進むためには、助けが必要だと気づき、その助けを求められることも大切です。
アメリカ・モンテッソーリ協会が公開する教育の評価資料でも、自立を見る観点として、子どもが助けを求められるか、自分で選んだ活動を続けるために必要な資料や手段を見つけられるかが挙げられています。
分からないことがあれば、調べる。
やり方を知りたいときは、知っている人に尋ねる。
難しいところは、必要な助けを求める。
そして、得られた情報や経験をもとに、自分で考えて選ぶ。
いつ、どんな助けが必要なのか。誰に尋ねれば、次の一歩につながるのか。それを学んでいくことも、自立へ向かう経験といえるでしょう。
こうした視点から見ると、グラハムの判断に至る過程にも、重ねて考えられるものがあります。彼女は複数の立場の意見を受け取り、信頼する人にも尋ね、最後は自分で選びました。
その姿から教育の意味を考えることと、幼少期の教育が特定の決断を生んだと断定することは、分けておきたいと思います。
「やってみる」は、できる人だけのものではない
モンテッソーリ教育で、子どもが何かに挑戦するとき、大人はやり方を示し、子ども自身が取り組める環境を整えます。
水をこぼすかもしれない。
ボタンをうまく留められないかもしれない。
ハサミで思うように切れないかもしれない。
それでも、安全に配慮された環境の中で、自分の手でやってみる。必要ならもう一度見せてもらい、助けを借りながら、試してみる。
できるようになってから、やるのではありません。
やることを通して、できるようになっていきます。
もちろん、幼児の活動と新聞社の経営では、責任も判断の重さも違います。けれど、経験のないことに取り組み、そこで生まれた疑問から学んでいくという道筋は、大人になっても続いています。
グラハム自身が仕事の中で見いだしたのも、その「実践を通して学ぶ」という方法でした。
「始めながら分かっていく」ために
私たちは子どもを見るとき、つい「ちゃんと分かってから」「失敗しないように」「できるようになってから」と考えてしまうことがあります。
でも、学びは必ずしもその順番ではありません。
触ってみる。動かしてみる。
うまくいかなければ、考える。
分からなければ、人に尋ねる。
そして、もう一度やってみる。
その経験の中で、初めて分かることがあります。
46歳で会社を率いることになったキャサリン・グラハムも、最初から答えを持っていたわけではありませんでした。仕事を通して学び、周囲の人の知識や意見を受け取りながら、自分で判断する経験を重ねていきました。
そして、その学び方を振り返ったときに、彼女自身が思い出したのが、幼い頃に経験したモンテッソーリ教育だったのです。
自分で試せること。必要なときに尋ねられること。そして、自分で考えて選べること。
子どもの「自分でやりたい」を支えるとき、その一つひとつを大切にしていきたいと思います。
キャサリン・グラハムとは
Katharine Meyer Graham(1917–2001)
アメリカの新聞経営者、著述家。
1963年からワシントン・ポスト社を率い、1971年のペンタゴン・ペーパーズ掲載や、その後のウォーターゲート事件をめぐる報道を経営者として支えました。
1997年に自伝『Personal History』を出版。同書は1998年、ピュリッツァー賞(Biography)を受賞しました。

キャサリン・グラハム(1975年)。Photo: Anefo / Wikimedia Commons / CC0(トリミング・修整版)
参考資料・出典
Katharine Graham『Personal History』
Alfred A. Knopf, 1997.
グラハムの自伝。本文の “The Montessori method—learning by doing—once again became my stock in trade.” は同書からの引用。日本語訳は筆者によるものです。
The Pulitzer Prizes:Katharine Graham ― 1998年 Biography部門受賞記録
The Washington Post:幼少期の回想
Katharine Graham「From Earliest Childhood」(1997年1月26日)
本人によるモンテッソーリスクールでの経験の回想。
PBS NewsHour:本人インタビュー
「Remembering Katharine Graham」(2001年7月17日)
1997年のインタビューを再録。「仕事が私を変えた」という言葉と、経営を学び始めた理由を確認できます。
ペンタゴン・ペーパーズ掲載判断の経緯
The Washington Post:Ben Bradlee「Big Ben」(1995年9月17日)
編集主幹ブラッドリーの自伝『A Good Life』の抜粋。電話での相談と判断の場面を記録。
Literary Hub:Jeff Himmelman「On the Decision to Publish the Largest Leak in the History of American Power」
『Yours in Truth』の抜粋。編集・法務・経営の各立場と、グラハムへの相談の経緯を補足。
The Washington Post:社史
1971年の報道開始、最高裁判断、株式公開の記録。
The Connecticut Forum:本人の回想映像
「Katharine Graham on Publishing the Pentagon Papers」
本文に埋め込んだ動画。ペンタゴン・ペーパーズ掲載の判断を本人が振り返っています。
American Academy of Arts and Sciences:関連資料
Katharine Graham「Learning by Doing」(1989年5月刊)
グラハム本人による講演記録。
American Montessori Society:自立と学びについて
「The Authentic American Montessori School」(PDF)
本文ページ44の「Independence」で、助けを求めることや、活動を続けるための資源を見つけることを、自立を見る観点として挙げています。
「Montessori at Home」
子どもの実践、選択、自立を支える環境や大人の関わりについて。
※モンテッソーリの自立観とグラハムの判断過程を重ねた部分は、以上の資料を踏まえた筆者の考察です。特定の掲載判断と幼少期の教育との因果関係を示すものではありません。
-
-
2026.09.25カテゴリ / コラム モンテッソーリ教育に影響を受けた著名人
「実践を通して学ぶ」- キャサリン・グラハムが人生で再び見つけたモンテッソーリ
-
-
2026.09.24カテゴリ / コラム モンテッソーリを伝えた人たち
レニルデ・モンテッソーリ – 祖母から受け継いだ教育を、国境の向こうへ
-
-
2026.09.24カテゴリ / コラム 赤ちゃんの発達と子育て
おしゃぶりで言葉が遅れる? – モンテッソーリのAid to Lifeと最新研究を比べてみた
-
-
2026.09.23カテゴリ / コラム 赤ちゃんの発達と子育て
朝、「自分で!」で間に合わない – その服、子どもが自分で扱いやすいですか?
-
-
2026.09.22カテゴリ / コラム モンテッソーリ教育に影響を受けた著名人
先生が椅子ごと運んだほど集中した子 – Amazon創業者ジェフ・ベゾスとモンテッソーリ教育
-
-
2026.09.22カテゴリ / コラム 漫画で学ぶモンテッソーリ教育
モンテッソーリ漫画 第7話「あたま、まだ!」お風呂で泣いた理由は?















