写真でたどる マリア・モンテッソーリの歴史|第3回|1910–1920年 ローマから世界へ -広がり始めたモンテッソーリ教育
1910年。ローマのサン・ロレンツォに最初の「子どもの家」が開かれてから、まだ3年ほどしか経っていませんでした。
しかし、その小さな教室で始まった実践は、すでにローマだけのものではなくなろうとしていました。
教師たちがマリア・モンテッソーリのもとへ集まり、外国の教育者が教室を訪れ、写真や記事が海を渡る。
そして今度は、マリア自身がイタリアを出て、アメリカへ、スペインへ、イギリスへと活動の場所を広げていきます。
1910年代は、「子どもの家」で育まれた教育が、国境を越える国際的な教育運動へ変わっていった10年間でした。
第3回は1910年から1920年まで。
子どもの隣に座るマリアの姿から、世界各地の教室や教師養成の風景まで、その広がりを写真とともにたどります。
1910年|「子どもの家」から、教師を育てる場所へ
1909年にチッタ・ディ・カステッロで始まった教師養成は、翌1910年にはローマでも行われていました。
同じ年、マリアは、それまでの人類学研究をまとめた『Antropologia pedagogica(教育人類学)』を出版しています。
子どもたちを観察しながら実践を重ねることと、その経験や考えを他の教師へ伝えること。
マリアの仕事は、この二つを結びながら広がっていきました。
1911年|教育に生きることを選ぶ
1911年、マリアはローマ大学での教職を辞し、医師として続けていた個人診療もやめます。
これ以降、教育の研究と普及に活動の中心を置くようになりました。
この頃も、ローマのVia Giustiでは教師養成が続けられていました。

1911年|ローマ・Via Giustiで行われた教師養成講座。右の矢印がマリア・モンテッソーリ、左が初期の活動を支えたアリーチェ・フランケッティ。出典:S. Bucci, Educazione dell’infanzia e pedagogia scientifica da Froebel a Montessori, 1990, p.144。所蔵:Biblioteca ONM。
1909年に始まった教師養成は、一度きりの講座ではなく、継続的な活動になっていきます。
一方、この時代の写真を見ると、マリアが講演会や大学だけにいたのではないことも分かります。
彼女自身が教室へ入り、子どもを観察し、実際に活動を示すことも続けていました。

1911年12月号掲載|ローマのSt. Angelo校を訪れ、子どもたちに迎えられるマリア・モンテッソーリ。原誌では、観察とレッスンのために学校を訪れていたことが紹介されています。出典:Josephine Tozier, “The Montessori Schools in Rome”, McClure’s Magazine, December 1911, p.124。
著名な教育者として演壇に立つ姿だけでなく、子どもたちのいる場所へ足を運ぶ姿も、写真に残されています。
この一枚から見えてくるのは、実際の子どもに会い、その様子を見ながら教育に取り組むマリアです。
1912年|子どもの隣に座るモンテッソーリ
翌1912年、『McClure’s Magazine』には、さらに印象的な一枚が掲載されました。

1912年1月号掲載|アルフレードに砂文字を提示するマリア・モンテッソーリ。原誌では、アルフレードはメッシーナの孤児で、指で文字の輪郭をたどりながら、その音を発していると説明されています。出典:Josephine Tozier, “The Montessori Apparatus”, McClure’s Magazine, January 1912。
マリアは子どもの隣に座っています。
子どもが自分の指で砂文字をたどり、その文字の音を発する。そのすぐそばで、マリアが活動を見ています。
文字を目で見るだけでなく、指で形をたどり、音と結びつけていく。
100年以上前の一枚ですが、現在の「子どもの家」で行われている言語の活動にもつながる姿が、ここにあります。
1911〜1912年|「子どもの家」はすでに国境を越えていた
マリア本人が世界各地を訪れるより先に、その教育は国外へ広がり始めていました。
1911年にはイギリスやアルゼンチンで実践され、パリ、ニューヨーク、ボストンなどにも、モンテッソーリ教育を取り入れた学校が現れていきます。
ローマのサン・ロレンツォで行われていたことを、別の国でも実践しようとする人たちが現れていたのです。

1910年代初頭|パリのCasa dei Bambini。写真に付けられた題は「Disciplina della libertà(自由の規律)」。子どもたちは教室の中で、それぞれ異なる活動に取り組んでいます。出典:M. Montessori, Il metodo della pedagogia scientifica applicato all’educazione infantile nelle Case dei Bambini, 1913。
この写真で印象的なのは、子どもたちが全員同じ方向を向いていないことです。
床で活動する子。
机に向かう子。
立って動く子。
一つの教室の中に、それぞれの子どもの活動が同時に存在しています。
そして、活動の場所は室内だけではありませんでした。

1910年代初頭|イギリス・Runton(Norfolk)のCasa dei Bambiniでの屋外活動。テーブルや椅子を外へ出し、子どもたちがそれぞれ活動しています。出典:M. Montessori, Il metodo della pedagogia scientifica applicato all’educazione infantile nelle Case dei Bambini, 1913。
第2回で紹介したサン・ロレンツォのテラスと同じように、ここでも屋外は、子どもが活動する環境の一部になっています。
教室の中だけでなく、外の空間にも活動の場が用意されていたことが分かります。
1912年|『The Montessori Method』が英語圏へ
1912年、1909年にイタリアで出版された『Il Metodo』の英語版が、アメリカで『The Montessori Method』という書名で刊行されました。
雑誌の記事や写真に加え、マリア自身の著作も英語で読めるようになります。
その名前と教育は、専門家だけでなく、一般の読者にも知られるようになっていきました。
そして翌1913年には、その教育を直接学ぶために、世界各地から教師たちがローマへやって来ます。
1913年|世界中から教師がローマへ
1913年、マリアはローマで第1回国際モンテッソーリ教師養成コースを開催しました。
会場は、Via Principessa Clotildeにあったマリア自身の住居です。
イタリアだけでなく、ヨーロッパ各国、アメリカ、カナダ、オーストラリア、南アフリカ、インド、中国、フィリピンなどから参加者が集まりました。

1913年|ローマ・Via Principessa Clotildeで開かれた第1回国際モンテッソーリ教師養成コース。受講生を前に実践的なレッスンを行うマリア・モンテッソーリ。出典:「L’Obra de María Montessori a Catalunya」『La Ilustració Catalana/Feminal』n.581、1914年7月26日。
1907年、サン・ロレンツォで始まった「子どもの家」。
そこでは、マリア自身が子どもたちの行動を観察しながら、教育の方法を考えていました。
それから、わずか6年。
今度は、その教育を学ぶために、世界各地から教師がローマへ集まるようになったのです。
1913年|アメリカへ
同じ1913年、マリアは初めてアメリカを訪れます。
アメリカではMontessori Educational Associationが設立され、その関係者には、電話の発明で知られるアレクサンダー・グラハム・ベルと妻メイベル、雑誌出版人S.S.マクルーアらがいました。
特に、アメリカでマリアの教育を広く紹介するうえで大きな役割を果たしたのが、『McClure’s Magazine』を率いたS.S.マクルーアでした。

S.S.マクルーアとマリア・モンテッソーリ。所蔵先の目録では1914年とされています。撮影:Harris & Ewing。所蔵:Library of Congress, Prints and Photographs Division。
雑誌の記事と写真、書籍、そしてマリア本人の訪問。
ローマの教室で行われていたことは、さまざまな形で海の向こうへ伝えられていきました。
1914年|第2回国際モンテッソーリ教師養成コース
1914年2月23日から6月30日まで、ローマのCastel Sant’Angeloで、第2回国際モンテッソーリ教師養成コースが開催されました。
参加者は89名。
オーストラリア、スペイン、ロシア、ルーマニアなどから受講者が集まり、資料には日本からの参加も記されています。

1914年|ローマのCastel Sant’Angeloで行われた第2回国際モンテッソーリ教師養成コース。マリア・モンテッソーリと受講生たちの集合写真。所蔵:Archivio Opera Nazionale Montessori(ONM)。掲載:Atlante Montessori。
この1914年のコースで学んだ人物として、資料に名前が残されているのが、日本に生まれ育ったベラ・アルウィンです。
寄り道|1914年、日本から参加したベラ・アルウィン
東京生まれのベラ・アルウィン(Sophia Arabella Irwin/1883–1957)。
父はハワイ王国駐日公使を務めたロバート・ウォーカー・アルウィン、母は日本人の武智イキでした。
ベラは1914年、ローマでマリア・モンテッソーリ本人から直接指導を受け、第2回国際コースを修了したことが記録されています。
つまり、日本とモンテッソーリ教育との直接の接点は、戦後から始まったわけではありません。1914年にはすでに、日本からローマへ渡ってマリア本人から学んだ人物がいたのです。
帰国後の1916年、ベラは東京に玉成保姆養成所と玉成幼稚園を創設しました。現在の学校法人アルウィン学園へとつながります。
ただし、玉成の教育は、モンテッソーリ教育だけを柱にしたものではありませんでした。
ベラはフレーベルの教育思想を重視する一方で、モンテッソーリ教具も保育に取り入れていました。鴫田貞子の研究には、教具を購入して帰国し、衣服の着脱やボタンはめ、紐結び、感覚を使う活動などを、子どもの様子に合わせて実践していたことが記されています。
キリスト教的人間愛を土台に、海外で学んださまざまな教育を、自分の保育へと結びつけていたのです。
なお、1914年は、国際モンテッソーリ協会(Association Montessori Internationale/AMI)が設立される1929年より前です。ベラが受けたのは、AMI設立以前の、マリア本人による国際コースでした。
日本からそのコースに参加し、直接学んだ最初期の人物として、ベラの歩みは、日本とモンテッソーリ教育との早い時期のつながりを伝えています。
1914年|戦争が始まる中でも、国際化は続く
この年、ヨーロッパでは第一次世界大戦が始まります。
社会が大きく揺れる時代に入っても、マリアの教育を学び、実践する動きは国境を越えて続いていきました。
そして翌年、その教育はサンフランシスコの万国博覧会で、多くの人々の目の前に公開されることになります。
1915年|サンフランシスコ万博「ガラスの教室」
1915年、マリアは息子マリオとともに、再びアメリカへ渡ります。
その年、サンフランシスコではPanama-Pacific International Expositionが開催されていました。
そこで設けられたのが、後に「Glass Classroom ― ガラスの教室」として知られるモンテッソーリの実演教室です。

1915年|サンフランシスコのPanama-Pacific International Expositionに設けられたモンテッソーリ実演教室。子どもたちと教師、教室の外から見学する人々が写っています。所蔵:The Bancroft Library, University of California, Berkeley。資料番号:BANC PIC 2015.013:15989–NEG。
3〜6歳頃の子どもたちが、この公開教室に通いました。
教室の外には見学者がいます。ガラス越しに、子どもたちの活動を観察できるようになっていました。
この実演教室の運営を担ったのは、マリアから学んだヘレン・パーカーストでした。
説明だけで新しい教育を紹介するのではなく、子どもたちが実際に活動する姿を、来場者が見られるようにする。
教育について語るだけでなく、その教育の中で過ごす子どもの姿を公開したのです。
サン・ロレンツォで最初の「子どもの家」が開かれてから、わずか8年後のことでした。
1915〜1916年|新しい拠点、バルセロナへ
1915年末、マリアはスペイン・バルセロナへ渡ります。
そして1916年には、第4回国際モンテッソーリ教師養成コースが開催されました。
バルセロナでは、学校での実践に加えて、教師養成や教育研究にも取り組む環境が整えられていきます。子どものための礼拝堂での実践も、その活動の一つでした。
マリアの仕事を支える、新しい拠点が形成されていったのです。

1916年1月30日掲載|バルセロナのCasa dels Nensの子どもとマリア・モンテッソーリ。出典:「Escola Montessori」『La Ilustració Catalana/Feminal』n.660、pp.6–7。
ここでも印象的なのは、マリアが子どものすぐそばにいることです。
ローマからアメリカへ、そしてバルセロナへ。
活動範囲が広がる一方で、写真には、子どもと向き合うマリアの姿が繰り返し現れます。

1916年|第4回国際モンテッソーリ教師養成コースに参加した教師たちが、バルセロナのHotel Tibidaboでマリア・モンテッソーリを称えて開いた宴席。撮影:A. Merletti。出典:『La Ilustración Artística』a.XXXV、n.1795、1916年5月22日、p.343。
イタリアで生まれた教育を学ぶために、今度はスペインへ教師たちが集まる。
教師養成の開催地も広がり、マリアと各地の教育者とのつながりが育っていきました。
バルセロナの「子どもの家」
バルセロナで実際に子どもたちが過ごしていた教室の写真も残っています。

1916年1月30日掲載|バルセロナのCasa dels Nensの教室。それぞれの子どもが異なる活動に取り組む様子が見えます。出典:「Escola Montessori」『La Ilustració Catalana/Feminal』n.660、pp.6–7。
一人の子どもが一つの教具を使う姿だけでなく、教室全体を見ると、この教育の特徴がさらに見えてきます。
それぞれの子どもが異なる場所にいる。
異なるものに向かっている。
それでも、一つの環境の中で、同時に生活が進んでいます。
サン・ロレンツォで見られた教室の姿が、バルセロナにもつながっていました。
1916年|幼児教育から、その先へ
1916年、マリアは『L’autoeducazione nelle scuole elementari』を出版します。
英語では後に『The Advanced Montessori Method』として知られる著作です。
「子どもの家」で取り組んできた幼児期の教育から、さらに小学校段階へ。
言語、算数、幾何などの学びについて、研究と実践が広がっていきました。
幼児期だけでなく、その後の発達も見通しながら、子どもの学びを考える仕事が進められていきます。
1919年|ロンドンで教師養成の形が整う
第一次世界大戦が終わった翌年の1919年。
マリアはロンドンで教師養成コースを開きます。
ここで採用された構成は、
50時間の講義
50時間の教材を使った実習
50時間のモンテッソーリクラスの観察
というものでした。
理論を聞くだけではない。
教材の扱いだけでもない。
講義、教材を使った実習、実際の子どもの観察を組み合わせて学ぶ。
それ以前のコースでも大切にされていた観察が、1919年のロンドンでは、講義・実習と並ぶ学びとして、時間配分を伴う形で示されています。
この構成は、その後のモンテッソーリ教師養成の基本的な形につながっていきました。
子どもについての知識を学び、教材に自分で触れ、実際に活動する子どもを見る。教師を育てる学びの中にも、研究と実践を結びつける姿勢が表れています。
一つの教室から、世界につながる教育へ
1910年から1920年までの写真を並べると、この10年間の変化の大きさが見えてきます。
Via Giustiで教師を育てるマリア。
St. Angeloの子どもたちに迎えられるマリア。
一人の子どもの隣に座り、砂文字の活動を見守るマリア。
パリやイギリスに生まれた「子どもの家」。
世界各地から教師が集まったローマの国際コース。
その中には、日本から参加したベラ・アルウィンもいました。
サンフランシスコ万博では「ガラスの教室」が公開され、バルセロナには新しい活動拠点が生まれます。そしてロンドンでは、講義・実習・観察を組み合わせた教師養成が行われました。
1907年、ローマのサン・ロレンツォに開かれた小さな「子どもの家」。
そこでの実践から育まれた教育は、
教師から教師へ。
教室から教室へ。
国から国へ。
広がっていきました。
写真に残されているのは、著名になっていくマリアの姿だけではありません。その教育を学ぶ教師たち、各地で活動する子どもたち、そして子どものために用意された環境です。
1920年代に入ると、この国際的な広がりはさらに大きなものになります。
ヨーロッパ各地で教師養成が行われ、新たな協力者たちと出会い、1929年には国際モンテッソーリ協会(Association Montessori Internationale/AMI)が誕生します。
次回は1920–1930年。
世界へ広がる教育を支える人々と、AMIの誕生へとつながる10年間を、当時の写真とともにたどります。
「写真でたどる マリア・モンテッソーリの歴史」
第1回|1870–1900年 医師から教育者へ – マリア・モンテッソーリの出発点
第2回|1900–1910年「子どもの家」の誕生 – モンテッソーリ教育が形になった10年
第3回|1910–1920年 ローマから世界へ – 広がり始めたモンテッソーリ教育
第4回|1920–1930年 国際運動へ – 世界への広がりとAMIの誕生
第5回|1930–1940年 ファシズムとの決別 – ヨーロッパを離れ、インドへ
第6回|1940–1950年 インドで深まった「宇宙教育」と平和への思想
第7回|1950年以降 晩年、そして世界に受け継がれた教育
主な参考資料
- Association Montessori Internationale(AMI)「Timeline of Maria Montessori’s Life」
- Association Montessori Internationale(AMI)「Barcelona and Montessori」
- Atlante Montessori
- Atlante Montessori|Via Giustiでの教師養成講座、1911年
- Atlante Montessori|第2回国際モンテッソーリ教師養成コース、1914年
- Maria Montessori『Il metodo della pedagogia scientifica applicato all’educazione infantile nelle Case dei Bambini』(校訂版)
- 『Vita dell’infanzia』1997年 モンテッソーリ教育と日本に関する特集
- 学校法人アルウィン学園「法人概要・創立者 ベラ・アルウィン」
- 学校法人アルウィン学園「創立100周年 HISTORY」
- 鴫田貞子「ソフィア・アラベラ・アルウィンの“会集”の保育実践について」
- McClure’s Magazine|マリア・モンテッソーリの初期写真・記事の紹介
- Library of Congress|S.S. McClure with Dr. Maria Montessori
- The Bancroft Library, UC Berkeley|Montessori exhibit, Panama-Pacific International Exposition, 1915
- 米国教育局|1915年サンフランシスコ万博の教育展示に関する報告書
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