貧しい農村で「子どもの家」を育てた教師 – イレーネ・ベルナスコーニが残した1915〜1916年の日記

イレーネ・ベルナスコーニ(1886–1970)。肖像写真をもとに制作したAIイラスト。
1915年12月6日。第一次世界大戦のさなか、イタリア・ローマ郊外の小さな農村パリドーロに、一人の女性が到着しました。
スイスのキアッソからやってきた29歳の教師、イレーネ・ベルナスコーニ(Irene Bernasconi、1886–1970)です。
彼女が訪れたのは、ローマから約30キロ離れたアグロ・ロマーノと呼ばれる農村地帯でした。
そこには美しい自然が広がる一方、貧困やマラリアが人々の暮らしを脅かしていました。農民の多くは季節労働者で、秋になると山間部から移り住み、マラリアの危険が増す夏には故郷へ帰っていきました。
子どもたちのなかには、靴を持たず、十分な食事も取れず、衛生的な生活環境も与えられていない子がいました。
そんな土地で、イレーネはモンテッソーリ教育を実践することになります。
彼女は日記に、誰も行きたがらない場所で、貧しい子どもたちの教育に携わりたいと願っていたことを書き残しています。
そして、到着から3日後の12月9日。
パリドーロに、モンテッソーリ教育による「子どもの家」が開かれました。
その日から始まる教師と子どもたちの日々が、100年以上を経て、教育史研究の貴重な資料となったのです。
2024年、イタリアのローマ第三大学に所属する研究者マルティーヌ・ジルスール(Martine Gilsoul)は、イレーネが残した学校日記や私的な日記、当時の手紙などを調査し、その教育実践を論文にまとめました。
この研究は2025年2月、国際モンテッソーリ協会(AMI)の研究紹介シリーズ「Research Threads」でも取り上げられています。
そこに描かれていたのは、理想的な教育環境とはほど遠い場所で、子どもたちとともに学び続けた一人の教師の姿でした。
裕福な家庭に育ち、モンテッソーリ教育と出会う
イレーネは1886年、スイス南部のキアッソで生まれました。
実家は葉巻工場を経営する裕福な家庭でしたが、彼女は社会福祉活動にも積極的に関わり、子どもの支援や結核対策などに携わっていました。
28歳になった1914年12月、イレーネはイタリア・ミラノで開かれたモンテッソーリ教師養成講座に参加します。
講座を主催していたのは、ソチエタ・ウマニタリア(Società Umanitaria)という、ミラノの教育・社会福祉団体でした。
1893年に設立されたこの団体は、貧しい人々に一時的な援助を与えるだけでなく、教育や職業訓練を通じて、自立した生活を送れるよう支援することを目的としていました。
モンテッソーリ教育の普及にも早くから取り組み、1908年にはミラノで「子どもの家」を開設しています。
また、モンテッソーリ教育を実践できる教師を育てるため、養成講座も開催していました。
イレーネが参加した講座は、1914年12月から1915年6月までの約7か月間に及ぶものでした。
そこで出会ったマリア・モンテッソーリの思想は、彼女の人生を大きく変えることになります。
講座でつけていた日記には、学び始めたころから教育に対する自分の考え方が変わっていく様子が記されています。
イレーネは、学んだ教育を必要としている子どもたちのもとで実践したいと考えるようになりました。
そんな彼女のもとに、一つの機会が訪れます。
ローマ周辺の農村に学校を設立する活動を進めていた教育者、アレッサンドロ・マルクッチ(Alessandro Marcucci)が、モンテッソーリ教育を学んだ教師を探していたのです。
マルクッチは、農村の子どもたちに教育の機会を届けるためにつくられた組織「アグロ・ロマーノ農民学校協会」の責任者でした。
彼は、都市部の学校とは大きく異なる農村の環境でも、子どもたちのために働ける教師を求めていました。
泥だらけの道、交通手段の不足、厳しい生活環境。
教師自身にも、適応力と忍耐力が必要な仕事でした。
イレーネは、この申し出を受け入れます。
こうして、都会の養成講座で学んだばかりの教師が、生活環境も言葉も異なる農村で、初めての本格的な教育実践に向き合うことになりました。
貧しい農村に開かれた「子どもの家」

20世紀初頭のパリドーロの農村の様子をイメージしたAIイラスト。1930年代の建物の記録写真をもとに制作。
1915年12月9日。
パリドーロの「子どもの家」は、27人の子どもを迎えて開設されました。
子どもたちの多くは、第一次世界大戦によって父親が兵役に就いている家庭の子どもでした。
学校は決して整った施設ではありませんでした。
教室と台所があり、以前は鶏小屋だった場所が通路として利用されていました。
子どもたちはここで、モンテッソーリ教育による活動に取り組むことになります。
しかし、学校で最初に求められたのは、読み書きや数の活動だけではありませんでした。
温かい食事を取ること、体を清潔に保つこと、安心して過ごせる場所を得ること。
当時の子どもたちには、そうした日常生活の基本的な条件さえ十分ではなかったのです。
初めて温かいスープが配られたとき、子どもたちは足を踏み鳴らし、手を伸ばして喜んだと日記に記されています。
食事が終わっても、前掛けを外したがらない子どもがいました。
スプーンを隠そうとする子もいました。
イレーネは、こうした子どもたちの姿を細かく記録しています。
それは、食事や身支度という日常生活の活動そのものが、この土地の子どもたちにとって重要な教育の機会だったからです。
「水がなかったから、手を洗えなかった」
イレーネが苦労したことの一つが、子どもたちの衛生習慣でした。
1916年1月8日の日記には、教師自身が子どもたちの顔や首、耳、手や腕を洗ったことが記されています。
子どもたちは、体を清潔に保つための十分な環境を持っていませんでした。
しかし、学校で手洗いや身支度を繰り返すうちに、小さな変化が現れます。
1916年3月11日。
チェッキネッロという子どもが、学校に遅れてやってきました。
理由を尋ねると、母親が病気で、家には顔や手を洗うための水がなかったといいます。
そこで彼は、自分で水たまりを探し、顔と手を洗ってから学校に来たのでした。
別の子どもも、家に洗うための水がなかったので、学校へ行きたがらなかったと記録されています。
イレーネは、この変化を大きな前進として受け止めました。
学校が始まったころ、子どもたちに手洗いを習慣づけることは簡単ではありませんでした。
ところが、数か月後には、子ども自身が清潔にして登校したいと考えるようになっていたのです。
教師に言われたから洗うのではなく、自分で洗おうとする。
それは、モンテッソーリ教育における自立の芽生えとしても読み取れる出来事でした。
ただし、この変化を単純に教育方法の成果だけで説明することはできません。
子どもたちの家庭には、洗うための水すら十分にない場合がありました。
学校には、水があり、食事があり、世話をしてくれる大人がいました。
子どもが自分でできるようになるためには、まず、自分でできる環境が必要だったのです。
新聞を読むレモ、自分の名前を書くアドリアーナ

20世紀初頭の農村で過ごす教師と子どもたち。歴史写真を参考に制作したAIイラスト。
生活習慣だけでなく、子どもたちの知的な活動にも変化が現れました。
1916年2月17日の日記には、子どもたちの活動が具体的に記されています。
レモは家から持ってきた新聞を読んでいました。
アドリアーナは、自分の絵に小さく整った文字で名前を書いていました。
チェッキネッロは、文字を組み合わせて言葉をつくる活動に取り組んでいました。
学校が開かれてから、まだ2か月ほどしかたっていません。
さらに2月28日には、教師を驚かせる出来事が起こります。
それまで文字を組み合わせることはできても、まだ書くことができなかったチェッキネッロが、チョークを手に取り、床に文字を書き始めたのです。
彼が書いたのは、「学校」「太陽」「月」などの言葉でした。
イレーネにとって、それは思いがけない喜びでした。
興味深いのは、彼女がチェッキネッロを、あまり積極性のない子どもだと思っていたことです。
しかし、実際には、彼はほかの子どもたちの活動をよく見ていました。
教師が直接教えていないことも、周囲で行われている活動を観察し、自分のものにしていたのです。
イレーネは、子どもの能力を見誤っていた自分自身を振り返ります。
子どもが何もしていないように見えるとき、本当に何も学んでいないのでしょうか。
この記録は、モンテッソーリ教育における観察の重要性を、100年以上前の教室から伝えてくれます。
教師が教えたいことと、子どもがやりたいこと
イレーネの日記には、教師としての迷いや葛藤も率直に書き残されています。
その一つが、子どもたちの絵を描く活動でした。
当時のモンテッソーリ教育では、幾何学的な図形の輪郭を使って色を塗る活動が、手を文字を書くことへと準備する活動の一つとして重視されていました。
イレーネも、養成講座で学んだ方法に従い、子どもたちに図形の輪郭が描かれた紙を用意しました。
しかし、子どもたちはなかなかその活動を続けません。
教師が勧めても、途中でやめてしまう。
なかには、不満そうな表情を見せる子どももいました。
一方、何も描かれていない白い紙を渡すと、子どもたちは生き生きと絵を描き始めたのです。
最初は、学んだ方法を守ろうとしていたイレーネでしたが、子どもたちの姿を見ながら考え始めます。
なぜ、円や三角形の輪郭のなかに、子どもの考えを閉じ込めなければならないのだろうか。
そして、1916年3月3日の日記に、重要な考えを書き残しました。
「私にとって、もっとも確かな導きは子どもたちからやってくる」
イレーネは、子どもたちが自由に絵を描くことを認めるようになります。
この場面について、2024年にイレーネの日記を研究したマルティーヌ・ジルスールは、彼女がモンテッソーリ教育を、決められた活動をそのまま実行するための技術として捉えていなかったことに注目しています。
大切だったのは、子どもの可能性をどう見るか、そして、その子どもとどのような関係を築くかということでした。
イレーネは、学んだ教育方法を大切にしながらも、目の前の子どもたちの反応を観察し、自分の実践を問い直していたのです。
教師が準備した活動を子どもが選ばなかったとき、教師は何を考えるべきなのでしょうか。
単に興味がないと判断するのか。
もっと繰り返し提示するべきなのか。
それとも、子どもの姿を手がかりに、環境や提示の仕方を見直すのか。
イレーネが100年以上前に向き合っていた問いは、現代のモンテッソーリ教師にとっても身近なものではないでしょうか。
子どもたちの命が失われていく春
しかし、パリドーロの日記は、子どもたちの成長だけを記録したものではありません。
1916年の春、地域では感染症が広がりました。
3月8日、ペッピネッラという子どもが亡くなりました。
翌9日には、アルマンドも亡くなります。
麻疹(はしか)が広がり、肺炎などを引き起こしていました。
マラリアも引き続き、人々の暮らしを脅かしていました。
3月20日には、学校に来た子どもがわずか5人になっていました。
イレーネは学校を閉じるべきか悩みます。
それでも、学校に来れば温かいスープを食べられ、水を使って体を洗うこともできます。
家に帰れば、寒さを防ぐことも難しい住環境が待っている子どもたちがいました。
彼女にとって「子どもの家」は、教育を受ける場所であると同時に、子どもたちの健康と生活を守る場所でもあったのです。
イレーネの記録からは、どれほど優れた教育方法であっても、貧困や疾病といった社会的な問題を、それだけで解決することはできないという現実が伝わってきます。
それでも教師は、目の前の子どもにできることを考え続けました。
子どもの小さな成長を喜ぶ日もあれば、命を失った子どもを思って悲しむ日もある。
この日記には、理想化されていない教育の現場が残されています。
子どもたちの暮らしのなかに入っていく教師
イレーネの仕事は、教室のなかだけで完結するものではありませんでした。
彼女は子どもたちの家庭を訪ね、母親たちの話を聞き、ときには手紙を書く手伝いもしていました。
農村では、教師は学校で子どもに教えるだけでなく、地域の人々の暮らしにも関わる存在だったのです。
朝早く、母親が畑仕事に出かけたため、ズボンのボタンを留めてほしいと教師のもとを訪ねてくる子どももいました。
イレーネは、そうした子どもたちを受け入れました。
また、子どもたちは毎日のように野の花を摘んで、教師に持ってくるようになりました。
学校の環境を美しく整えようとするイレーネの姿を、子どもたちも見ていたのでしょう。
やがて、食卓に花がないと落ち着かないほど、花を飾ることが子どもたちの生活の一部になっていきました。
保護者たちも、子どもの変化を感じていました。
感謝の気持ちを伝えるために、卵やタマネギを持ってくる人もいました。
決して裕福ではない家庭からの、ささやかな贈り物でした。
学校が開設されて約3か月後、農村の学校づくりを進めていたマルクッチは、ミラノの教育・社会福祉団体ソチエタ・ウマニタリアに対し、さらに2人のモンテッソーリ教師を派遣してほしいと要請しています。
イレーネの実践を通して、農村の子どもたちにモンテッソーリ教育を届ける取り組みが、さらに広がろうとしていたのです。
1916年6月、子どもたちとの別れ
1916年6月29日。
イレーネがパリドーロを離れる日がやってきました。
駅には、子どもたちや若い女性たちが見送りに来ていました。
子どもたちの手には、エニシダの枝やラベンダー、小麦の小さな束がありました。
列車が動き出すと、人々は別れの言葉を叫びます。
イレーネは日記のなかで、パリドーロの子どもたちに語りかけています。
貧しい服をまとい、マラリアに苦しみながらも、豊かな感情を持った子どもたち。
その子どもたちと、いつかまた会うことができるだろうか。
彼女は、パリドーロで過ごした7か月間を振り返りながら、子どもたちから多くのことを学んだと記しました。
イレーネはその後、スイスに戻った時期を経て、1917年から1919年にかけて、イタリアのメッツァセルヴァという農村でも教育活動を続けます。
そこでも彼女は日記を書き続けました。
100年以上前の日記を、現代の研究者が読み直す
今回の研究には、教育実践の紹介だけでなく、歴史資料としても興味深い発見があります。
2024年、イレーネの日記を研究したマルティーヌ・ジルスールは、当時の学校日記だけでなく、教師自身が個人的に書き残した記録や、関係者の手紙なども調査しました。
そこから見えてきたのは、後から整理された教育の成功談だけでは知ることのできない、教師の内面でした。
イレーネは、最初からすべての子どもや家族を理解できていたわけではありません。
慣れない土地で孤独を感じ、異なる方言に苦労し、農村の衛生状態に驚き、ときには強い嫌悪感も抱いていました。
また、子どもたちの行動を誤って判断してしまうこともありました。
そうした戸惑いや葛藤が、日記には率直に書き残されていたのです。
ジルスールの研究は、こうした教師の迷いや失敗も、教育の歴史を理解するために欠かせないことを示しています。
後から整えられた理想的な教師像だけでは、教育の現場で何が起こっていたのかを十分に知ることはできません。
教育とは、教師の理想だけで進むものではなく、子どもや家族との関わりのなかで形づくられていくものだからです。
名もなき教師たちが、モンテッソーリ教育を広げてきた
マリア・モンテッソーリは1907年、ローマのサン・ロレンツォ地区に最初の「子どもの家」を開きました。
その教育は、やがて世界各地へ広がっていきます。
しかし、その歴史を支えていたのは、マリア・モンテッソーリ本人や著名な教育者だけではありませんでした。
農村や貧困地域で働き、子どもたちの生活に向き合った教師たちも、モンテッソーリ教育の普及を担っていました。
イレーネ・ベルナスコーニは、そうした教師の一人です。
彼女は特別な研究成果を発表した教育学者ではありませんでした。
しかし、子どもが自分から体を洗おうとしたことを喜び、文字を学ぶ姿に驚き、病気の子どもを心配し、自分の判断を振り返る日々を記録し続けました。
そして、その記録は100年以上を経た現在、教育史研究の貴重な資料となっています。
AMIのResearch Threadsでこの研究を紹介した研究者エリカ・モレッティ(Erica Moretti)も、モンテッソーリ教育の歴史を、これまであまり注目されてこなかった教師たちの視点から描くことの重要性を指摘しています。
イレーネの日記を読むと、教育の歴史とは、優れた理論や教育方法が広まっていく歴史であると同時に、それを実践してきた一人ひとりの教師の歴史でもあることに気づかされます。
モンテッソーリ教育は、特別な教具が並ぶ教室だけで発展してきたのではありません。
子どもが暮らす場所へ出向き、その生活を理解し、一人ひとりの可能性を信じて働いた教師たちによっても、育てられてきたのです。
研究資料・参考文献
AMI Research Threads
The Palidoro Children’s House Diaries of Irene Bernasconi (1915–1916)
紹介:Erica Moretti
AMI公式研究紹介記事
原論文(2024年)
Gilsoul, Martine. “The Palidoro Children’s House Diaries of Irene Bernasconi (1915–1916).”
In The School and Its Many Pasts, pp.139–149.
Edizioni Università di Macerata, 2024.
原論文を含む書籍PDF(英語)
関連研究(2024年・イタリア語)
Gilsoul, Martine. “I diari di Irene Bernasconi: memorie di una vita faticosa nell’Agro romano (1915–1919).”
Edizioni Università di Macerata, 2024.
論文紹介・公開ページ
イレーネの日記(1915〜1916年)
Irene Bernasconi, Diario di una maestra, 1915–1916.
『I Problemi della pedagogia』43巻、1997年。
日記の抜粋(イタリア語)
ソチエタ・ウマニタリア
1893年に設立されたミラノの教育・社会福祉団体。
団体の歴史(公式サイト・イタリア語)
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