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写真でたどる マリア・モンテッソーリの歴史|第6回|1940–1950年 インドで深まった「宇宙教育」と平和への思想

1939年11月、マリア・モンテッソーリと息子マリオはインドへ渡りました。

当初は、約3か月の養成コースを行うための旅でした。

しかし翌1940年、第二次世界大戦は二人の生活を大きく変えます。イタリアが参戦すると、英領インドに滞在していたマリオは「敵国人」として収容され、マリアも自由な移動を制限されました。

結果として、二人がヨーロッパへ戻るのは1946年になります。

その間にも、子どもを観察し、教師を育てる仕事は続いていました。以前から研究してきたコズミック教育も、インドでの自然の観察や子どもたちとの実践を通して、さらに深まっていきます。

そして戦後には、ヨーロッパでの活動再開、乳幼児期への取り組み、世界の再建と人間形成をめぐる国際大会へ。

第6回は1940年から1950年まで。
戦争によって長引いたインド滞在と、その後のヨーロッパでの活動を、写真と本人の映像でたどります。

1940年|戦争によってインドにとどまる

1940年6月、イタリアが第二次世界大戦に参戦します。

イタリア国籍だったマリオ・モンテッソーリは、英領インド当局によって敵国人として収容されました。マリア自身も、神智学協会の敷地から自由に出ることができなくなります。

その年の8月31日、マリアは70歳の誕生日を迎えました。

AMIの記録によると、この誕生日を機にマリオの解放が認められ、母のもとへ戻ることができました。

1940年8月31日、70歳の誕生日に再会したマリア・モンテッソーリと息子マリオ

1940年8月31日|インド・Adyar。70歳の誕生日に再会したマリア・モンテッソーリと息子マリオ。マリオは、それまで英領インド当局によって収容されていた。出典:Association Montessori Internationale。

マリアにとって、マリオは息子であると同時に、長年ともに養成コースを行い、教育の研究と実践を進めてきた重要な協力者でした。

再びともに過ごせるようになった二人は、戦時中もインドでの養成活動を続けます。

その滞在を支えたのが、神智学協会とアルンデール夫妻でした。次の写真には、マリアとマリオ、神智学協会会長ジョージ・アルンデールと妻ルクミニ・デヴィが写っています。

インドでのマリア・モンテッソーリ、マリオ・モンテッソーリ、ジョージ・アルンデール、ルクミニ・デヴィ

1939年とされる写真|インドでのマリア・モンテッソーリと息子マリオ、ジョージ・アルンデールと妻ルクミニ・デヴィ。撮影者不詳。出典:Paola Giovetti, Maria Montessori: una biografia, 2013, 第18章/Wikimedia Commons。年代表記は同ページによる。利用条件:CC BY-SA 4.0(同ページの表記)。

自由に旅を続けることのできない状況でも、二人には、教育を学ぼうとする人々や、活動を支える協力者たちとのつながりがありました。

1940–1946年|インドで続いた観察と養成

この滞在中、マリアとマリオはマドラス(Madras)、コダイカナル(Kodaikanal)、カラチ(Karachi)、アーメダバード(Ahmedabad)などで養成コースを行い、セイロン(Ceylon)でも活動しました。

AMIの伝記によると、この期間に二人が養成したインドの教師は1,500人を超えます。

こちらは1940–1941年、アディヤール(Adyar)で子どもたちの活動を見つめるマリアです。

1940年から1941年、インド・Adyarで子どもたちの活動を観察するマリア・モンテッソーリ

1940–1941年|インド・Adyar。神智学協会の敷地内で活動する子どもたちを観察するマリア・モンテッソーリ。撮影:Coen Woldringh。所蔵:Maria Montessori Archives, Amsterdam。掲載:History of Education Quarterly「Montessori in India: Adapted, Competing, and Contested Framings, 1915–2021」、図3。

子どもを見ること。
その行動から、人間の発達を考えること。

戦争による制約の中でも、マリアは観察と教育の仕事を続けていました。

次の写真は少し後の1940年代後半のものです。インドのモンテッソーリ校で、棒を使った活動に取り組む子どもたちの姿が残されています。

1940年代後半、インドのモンテッソーリ校で棒を使った活動に取り組む子どもたち

1940年代後半|インドのモンテッソーリ校。棒を使った感覚活動に取り組む子どもたち。出典:Maria Montessori『La scoperta del bambino』、Milano, Garzanti, 1950。掲載:Atlante Montessori。

養成コースで学ぶ教師たちだけでなく、実際に教具を使う子どもたちの姿。

インドでの活動をたどる資料にも、教育を伝える仕事と、子どもたちの日々の実践の両方が残されています。

Kodaikanalで深まった「コズミック教育」

マリアとマリオは、南インドの山間地コダイカナルで約2年間を過ごしました。

自然界のつながりを子どもに伝える研究は、このとき初めて始まったものではありません。AMIの年譜には、すでに1930年代の初等教育・コズミック教育の展開が記されています。

コダイカナルでは、豊かな自然の観察や子どもたちとの実践を通して、その研究がさらに深まっていきました。

生物、地球、宇宙、そして人間。

それぞれを切り離して学ぶのではなく、互いの関係をたどりながら世界を理解する。

マリアとマリオは、6〜12歳の子どもたちのための「コズミック教育」を、教材や物語、具体的な活動へと発展させていきました。

1943年には、コダイカナルで初等段階を扱うAdvanced Courseも始まっています。インドでの時間は、それまでの研究を、さらに具体的な教育の仕事へと結びつける時間でもありました。

1946年|約7年ぶりにヨーロッパへ

戦争が終わり、1946年、マリアとマリオはようやくヨーロッパへ戻ります。

1939年に旅立ってから、約7年。

その間、インドで重ねた観察と実践は、マリアの教育の仕事をさらに深めていました。帰欧は、以前と同じ場所へ戻るだけでなく、そこで得た経験をヨーロッパの教師たちへ伝えていく機会にもなります。

マリア・モンテッソーリ。Montessori 150掲載写真

マリア・モンテッソーリ。撮影年・場所未詳。出典:Montessori 150/Association Montessori Internationale。

帰欧後、ロンドンでは再び養成コースが開かれ、マリアはスコットランドも訪問しました。

戦争によって途絶えていたヨーロッパ各地の活動も、少しずつ再び動き始めます。

1946年以降|誕生から3歳までの子どもへ

この時期、もう一つ大きく進んだ分野があります。

誕生から3歳までの子どもを支える仕事です。

AMIの解説によると、1946年にインドから帰国したマリアは、協力者のアデーレ・コスタ・ニョッキ(Adele Costa Gnocchi)と相談しながら、この年齢の子どもたちのための取り組みを発展させていきました。

1947年には、ローマで乳幼児を支援する人の養成につながる「Assistants to Infancy」の取り組みが始まります。

「子どもの家」に入る前の子どもにも、すでに大切な発達の時間がある。

以前から関心を向けていた乳幼児期についての研究が、誕生直後から子どもを支える人を育てる仕事へと、さらに結びついていきました。

1947年|戦後のヨーロッパで活動を再開

1947年、マリアとマリオはロンドンにMontessori Centreを設立します。

イタリアでもモンテッソーリ運動の再建が始まり、閉鎖されていた施設が再び開かれていきました。

ローマのVilla Paganiniでは、戦後の人道支援「Dono Svizzero(Swiss Gift)」によって贈られた木造パビリオンが、「子どもの家」(Casa dei Bambini)として使われるようになります。

1940年代後半、ローマ・Villa Paganiniの「子どもの家」の庭で活動する子どもたち

1940年代後半|ローマ・Villa PaganiniのCasa dei Bambini。庭で活動する子どもたち。所蔵:Archivio ONM。掲載:Atlante Montessori。

庭で活動する子どもたち。

そして室内でも、子どもたちはそれぞれの活動に取り組んでいました。

1940年代後半、ローマ・Villa Paganiniのモンテッソーリ教室で活動する子どもたち

1940年代後半|ローマ・Villa Paganiniのモンテッソーリ教室。「Una classe al lavoro(一つのクラスが活動している様子)」と紹介された写真。出典:Maria Montessori『La scoperta del bambino』、1950年。掲載:Atlante Montessori。

社会の再建は、建物を直すことだけではありません。子どもたちが日々を過ごし、自分の手で活動できる場所を、もう一度用意することでもありました。

戦後の教室の写真には、その環境の中で過ごす子どもたちの姿が残されています。

1947年|映像に残ったマリア・モンテッソーリ

この年には、インド滞在後にイタリアを訪れたマリア本人のインタビュー映像も残されています。

1946年はヨーロッパへの帰還、そして1947年はイタリアでの活動再開です。

写真で見てきたマリアが、ここでは実際に動き、話しています。

AMIの映像紹介によると、庭の場面には、マリオ・モンテッソーリ、アダ・ピアソン(Ada Pierson)、友人のマリア・マライーニ(Maria Maraini)の姿も見られます。

1947年、インドでの滞在後にイタリアを訪れたマリア・モンテッソーリへのインタビュー。公開:Association Montessori Internationale(AMI)。

1947–1949年|再びインドへ

ヨーロッパで活動を再開したマリアは、1947年に再びインドへ向かいます。

1948年にはアーメダバード、アディヤール、プーナ(Poona)で養成コースを行い、ボンベイ(Bombay)でも講演しました。グワリオル(Gwalior)では、12歳までの子どもを対象としたモデル校の開設を指導しています。

セイロンのコロンボ(Colombo)にある養成センターとモデル校も訪れました。

こちらは1948年、コダイカナルでの一枚です。

1948年、インド・Kodaikanalで少女とともに過ごすマリア・モンテッソーリ

1948年|インド・Kodaikanalで少女とともに過ごすマリア・モンテッソーリ。出典:Maria Montessori Archives/Association Montessori Internationale。

大勢の教師を前に講義する姿だけでなく、一人の子どもとともに過ごす姿も、写真に残されています。

この時期、乳幼児期、初等教育、青年期と、人間の発達全体を見渡す教育の考え方も、さらに整理されていきました。

戦後の教室に戻ったモンテッソーリ教育

1940年代後半の写真を見ると、ヨーロッパ各地で再開された教育を、子どもたちの活動からたどることができます。

こちらは、イタリア・ベルガモの教室です。食事の準備など、生活に関わる活動が行われています。

1940年代後半、ベルガモのモンテッソーリ校で日常生活の練習をする子どもたち

1940年代後半|イタリア・ベルガモのモンテッソーリ校。日常生活の練習。出典:Maria Montessori『La scoperta del bambino』、1950年。掲載:Atlante Montessori。

身の回りのことに、自分の手で取り組む。

日常生活の練習に向かう子どもたちの姿は、このシリーズで見てきた初期の「子どもの家」の写真にもつながっています。

そして、こちらは1948年のベルリン・Tegelの初等クラスです。

1948年、ベルリン・Tegelのモンテッソーリ初等クラス

1948年|ベルリン・Tegelのモンテッソーリ初等クラス。「2年目の始まり」と紹介された写真。出典:T. Müller, R. Schneider, p.37。掲載:Atlante Montessori。

一つの教室の中で、子どもたちがそれぞれの活動に取り組んでいます。

翌1949年には、同じベルリン・Tegelで、数学の活動を写した写真も残されています。

1949年、ベルリン・Tegelで千の鎖を数える子どもたち

1949年|ベルリン・Tegel。8歳の子どもたちが「千の鎖」を数える活動に取り組んでいる。出典:T. Müller, R. Schneider, p.110。掲載:Atlante Montessori。

写真の説明によると、8歳の子どもたちが「千の鎖」を数えています。

戦争によって大きな影響を受けたヨーロッパでも、子どもが教具に触れ、自分で確かめながら学ぶための環境が、再び整えられていました。

1949年|パキスタンを経て、ヨーロッパへ

1949年、マリアはマリオ、Albert Joostenとともに、パキスタンで1か月の養成コースを行いました。

この年、マリアはインドでの長い活動を終え、再びヨーロッパへ戻ります。

1940年代後半、パキスタンからオランダへの帰途にローマへ立ち寄ったマリア・モンテッソーリとマリオ

1940年代後半|パキスタンからオランダへ戻る途中、ローマに立ち寄ったマリア・モンテッソーリと息子マリオ。所蔵:Archivio ONM。掲載:Atlante Montessori。

70代後半になっても、マリアの移動と講演、教師養成は続いていました。

そしてこの年の夏、イタリアのサンレモには、各地で教育を実践する人々が集まります。

1949年|サンレモ ― 「世界再建における人間形成」

1949年8月22日から29日まで、イタリア・サンレモで第8回国際モンテッソーリ大会が開かれました。

大会のテーマは、「La formazione dell’uomo nella ricostruzione mondiale」――「世界再建における人間形成」。

第二次世界大戦が終わって、わずか数年。問いかけられていたのは、壊れた社会をどう元に戻すかだけではありませんでした。

これからの世界をつくる人間の育ちを、どのように支えるのか。

マリアが1930年代から語り続けてきた「平和のための教育」が、戦後の現実の中で、改めて問われていました。

1949年、サンレモの第8回国際モンテッソーリ大会で子どもたちの活動を見るマリア・モンテッソーリと関係者

1949年|サンレモで開かれた第8回国際モンテッソーリ大会。中央にマリア・モンテッソーリ、左にMaria de Unterrichter Jervolino、右にマリオ・モンテッソーリと文相Guido Gonella。手前で子どもたちが活動している。所蔵:Archivio ONM。掲載:Atlante Montessori。

大会では、Villa Ormondにモデル教室も設けられました。教育について話し合うだけでなく、子どもが活動する環境を実際に見られる場も用意されていたのです。

また、大会に集まったマリアの教え子・協力者たちの写真も残されています。

1949年、サンレモの第8回国際モンテッソーリ大会に集まったマリア・モンテッソーリの教え子・協力者たち

1949年|サンレモの第8回国際モンテッソーリ大会に集まった、マリアの教え子・協力者たち。Atlante Montessoriの説明では、左から1人目がジャンナ・ゴッビ、3人目がマリア・テレーザ・マルケッティ、4人目がアントニエッタ・パオリーニとされている。所蔵:Archivio ONM。掲載:Atlante Montessori。

ジャンナ・ゴッビ、マリア・テレーザ・マルケッティ、アントニエッタ・パオリーニ。

こうした教え子や協力者たちも、マリアの周囲で教育の仕事を支えていました。国際大会の写真は、マリア一人の活動ではなく、ともに実践し、伝える人々のつながりも見せてくれます。

1949年、サンレモのマリア・モンテッソーリ、Maria de Unterrichter Jervolino、マリオ・モンテッソーリ

1949年|サンレモ、第8回国際モンテッソーリ大会。中央にマリア・モンテッソーリ、左にOpera Nazionale Montessori会長Maria de Unterrichter Jervolino、右にマリオ・モンテッソーリ。所蔵:Archivio ONM。掲載:Atlante Montessori。

マリア、マリオ、そしてOpera Nazionale Montessoriの関係者たち。

戦後の再建を担う人々が集まり、子どもの教育を、これからの社会につながる仕事として考えていました。

1949年|『吸収する心』とノーベル平和賞への推薦

同じ1949年、インドでは『The Absorbent Mind(吸収する心)』が出版されます。

幼い子どもは、大人と同じように意識して覚えようとしなくても、生活する環境から言葉や動作、文化を取り入れ、自分自身を形づくっていく。

マリアは、その働きを「吸収する心」として捉えました。長年の観察を通して考えてきた、人間の初期発達についての重要な考えの一つです。

また1949年、マリアは初めてノーベル平和賞の候補に推薦されました。その後、1950年、1951年にも推薦され、3年連続で候補に挙げられています。

教育と平和を結びつけてきた仕事が、平和への貢献としても評価されていたことを伝える記録です。

1950年|80歳を迎える年も、子どものいる場所へ

1950年、マリアは80歳を迎えます。

この年も活動は続いていました。ノルウェー、スウェーデンで講演し、フィレンツェで開かれたUNESCO総会でも講演しています。

イタリア・トリノでは、「子どもの家」を訪れました。

1950年、トリノの「子どもの家」を訪問するマリア・モンテッソーリ

1950年|トリノのCasa dei Bambiniを訪問するマリア・モンテッソーリ。子どもたちに囲まれ、花を受け取る様子。所蔵:Archivio ONM。掲載:Atlante Montessori。

80歳を迎えるこの年も、マリアが足を運んだ先には、子どもたちがいました。

国際的な場で教育について語る姿と、子どもたちのいる教室を訪ねる姿。その両方が、この時期の写真と記録に残されています。

1950年|アムステルダム、Bach Auditorium

同じ年の3月1日、マリアはアムステルダムのBach Auditoriumで講演を行いました。

テーマは「early years」――人生の最初の時期について。

この日の様子は、オランダのアマチュア映像作家Wim Eijgensteijnによって撮影されました。

会場へ到着するマリア。
彼女を待つ子どもたち。
講演を終え、会場を後にする姿。

このとき、マリアは79歳。80歳の誕生日を迎えるのは、同じ年の8月31日です。

晩年にも各地を訪れ続けたマリアの姿を、動く映像で見ることができます。

1950年3月1日、アムステルダムのBach Auditoriumでの講演当日に撮影されたマリア・モンテッソーリ。到着や退場の様子を記録した映像。撮影:Wim Eijgensteijn。紹介:AMI Montessori Archives/Montessori 150。

戦争の時代を越えて、次の仕事へ

1940年、70歳を迎える年に、マリアは戦争によってインドから自由に出国できなくなりました。

けれども、その後の時間は、教育の仕事が止まった時間ではありませんでした。

インドで教師を養成する。
子どもたちと自然を観察する。
以前からのコズミック教育の研究を深める。
そして帰欧後には、乳幼児を支える人の養成や、戦後の教育の再建に取り組む。

1940年代は、長引いたインド滞在での研究と、戦後のヨーロッパでの活動がつながる10年間でした。

その間、以前から取り組んできた初等教育や乳幼児期の研究がさらに深まり、人間の発達を支える仕事が、平和と世界再建をめぐる問いにも結びついていきます。

写真に残されているのは、講義をするマリアだけではありません。子どもたちの活動、再び整えられた教室、そしてともに仕事をするマリオや協力者たちの姿です。

次回は、1950年以降。
晩年の講演と最後の養成コース、1952年の死去、そしてマリオや協力者たちによって受け継がれた教育を、写真とともにたどります。

「写真でたどる マリア・モンテッソーリの歴史」

第1回|1870–1900年 医師から教育者へ – マリア・モンテッソーリの出発点
第2回|1900–1910年「子どもの家」の誕生 – モンテッソーリ教育が形になった10年
第3回|1910–1920年 ローマから世界へ – 広がり始めたモンテッソーリ教育
第4回|1920–1930年 国際運動へ – 世界への広がりとAMIの誕生
第5回|1930–1940年 ファシズムとの決別 – ヨーロッパを離れ、インドへ 
第6回|1940–1950年 インドで深まった「宇宙教育」と平和への思想 
第7回|1950年以降 晩年、そして世界に受け継がれた教育 

主な参考資料

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