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写真でたどる マリア・モンテッソーリの歴史|第5回|1930–1940年 ファシズムとの決別 -ヨーロッパを離れ、インドへ

1930年、マリア・モンテッソーリは60歳を迎える年に入りました。

ローマでは国際養成コースが開かれ、ヨーロッパ各地にはモンテッソーリ教育のために整えられた学校や環境が生まれていました。その活動は、すでに一つの国に収まるものではなくなっていました。

しかし、1930年代、ヨーロッパの情勢は大きく変わっていきます。

ドイツ、イタリア、スペイン。政治の動きは、マリア自身の生活と活動拠点にも直接影響を与えました。

教育運動が国際的に広がる一方で、学校や実践の場が政治によって脅かされる。その中で、マリアは「平和のための教育」を語り続けます。

そして1939年、69歳のマリアはヨーロッパを離れ、インドへ向かいました。

第5回は1930年から1940年まで。
各地の教師養成と子どものための環境、ファシスト政権との関係の変化、そしてインドへの旅を、当時の写真とともにたどります。

1930年|ローマで始まった新しい10年

1930年、ローマで国際モンテッソーリ養成コースが開かれました。

開会式の会場となったのはカピトリオ。マリアの隣には、当時のイタリア教育界・政治界の人物たちが並んでいます。

1930年、ローマの国際モンテッソーリ養成コースの開会式

1930年|ローマ・カピトリオで行われた国際モンテッソーリ養成コースの開会式。左からマリア・モンテッソーリ、Balbino Giuliano、ローマ総督Boncompagni Ludovisi、演説するGiovanni Gentile。出典:『Montessori』1931年1月15日号、p.26。掲載:Atlante Montessori。

1920年代から、マリアの教育はイタリア政府の支援を受けて広がってきました。この写真にも、教育の普及と政府との関わりが表れています。

ただし、その協力関係が、このまま続くわけではありませんでした。数年後、マリアと政権との関係は変わっていくことになります。

同じ頃、モンテッソーリ教育の広がりは、教具だけでなく「環境そのもの」にも表れていました。

こちらは、1930年のウィーン、Rudolfsplatzの「子どもの家」です。

1930年、ウィーンのRudolfsplatzにある「子どもの家」の活動室

1930年|ウィーン・Rudolfsplatzの「子どもの家」の活動室。子どもの身体の大きさに合わせた家具が用意されている。出典:T. Müller, R. Schneider, Lehrmaterialien 1913–1935, 2002, p.71。掲載:Atlante Montessori。

子どもの身体の大きさに合わせた家具を用意する。必要なものに自分で手が届き、自分の身体を使って活動できるようにする。

教具の使い方だけでなく、子どもが過ごす場所をどのように整えるかが、実践の中で考えられていました。

Goethehofの市立モンテッソーリ園には、洗う活動のための場所も設けられています。

1930年から1932年、ウィーンのGoethehofに設けられた洗う活動のための場所

1930–1932年|ウィーン・Goethehofの市立モンテッソーリ園に設けられた「Washing niche(洗うための場所)」。出典:T. Müller, R. Schneider, Lehrmaterialien 1913–1935, 2002, p.75。掲載:Atlante Montessori。

棚に教具を並べるだけではなく、生活の中の動作に取り組める場所をつくる。

活動室と洗うための場所を続けて見ると、子どもの環境が、家具から建築・設備にまで及んでいたことが分かります。

1931年|世界からローマへ集まった人々

翌1931年、ローマでは第16回国際モンテッソーリ養成コースが開かれました。1月から6月まで続いたコースです。

会場の一つ、Oratorio dei FilippiniのSala Borrominiには、受講生を前に講義をするマリアの姿が残されています。

1931年、ローマのSala Borrominiで講義するマリア・モンテッソーリ

1931年|ローマ。第16回国際モンテッソーリ養成コースで講義するマリア・モンテッソーリ。会場はOratorio dei FilippiniのSala Borromini。出典:『Montessori』1931年2月15日号、p.16。掲載:Atlante Montessori。

このコースには100人を超える人々が参加し、出身国は22か国に及びました。

写真には、マリアを囲む大勢の受講生が写っています。

1931年、第16回国際モンテッソーリ養成コースの受講生とマリア・モンテッソーリ

1931年|第16回国際モンテッソーリ養成コース。マリア・モンテッソーリを囲む受講生たち。出典:『Montessori』1931年5–6月号、p.71。掲載:Atlante Montessori。

その中には、インドから来た受講生たちもいました。

マリア自身がインドへ渡るのは、この8年後のことです。本人の訪問より前から、教育を学ぶ人々を通して、インドとのつながりが育まれていました。

1931年、第16回国際モンテッソーリ養成コースに参加したインド人受講生たち

1931年|第16回国際モンテッソーリ養成コースに参加したインド人受講生たち。このコースには22か国から100人を超える受講生が集まった。出典:『Montessori』1931年2月15日号、p.17。掲載:Atlante Montessori。

同じ1931年には、マハトマ・ガンディーもローマのモンテッソーリ学校を訪れています。

1930年代初頭、モンテッソーリ教育をめぐる人々の往来は、すでにヨーロッパを大きく越えていました。

1931年、ローマで撮影された、Giuliana Sorgeへの献辞入りのマリア・モンテッソーリの肖像

1931年|ローマで撮影されたマリア・モンテッソーリ。撮影:Eva Barrett。教え子で協力者のGiuliana Sorgeへの献辞が記されている。出典:F. Sorge「Giuliana Sorge: una vita con Maria Montessori. Memorie di famiglia」『Vita dell’infanzia』2021年5–8月号、p.37。掲載:Atlante Montessori。

この肖像には、教え子で協力者のGiuliana Sorgeに宛てた献辞が記されています。

大勢が集まる国際コースの写真と、一人の協力者に贈られた肖像。その両方が、マリアの仕事を支えていた人々とのつながりを伝えています。

オランダでも、学校の建築に目を向けた資料が残されています。

こちらは、1931年の雑誌で紹介されたアムステルダムのモンテッソーリ校。八角形の教室が設けられていました。

アムステルダムのモンテッソーリ校に設けられた八角形の教室

1931年掲載|アムステルダムのモンテッソーリ校に設けられた八角形の教室。撮影年不詳。出典:『Montessori』1931年2月15日号、p.27。掲載:Atlante Montessori。

教具や家具だけでなく、子どもたちが過ごす部屋そのものを見る。

ウィーンの活動室や洗うための場所とともに、学校の環境を考える手がかりになる写真です。

1932〜1933年|「平和」が教育の大きなテーマへ

1932年、フランスのニースで第2回国際モンテッソーリ大会が開かれました。

この年、マリアは「平和と教育」をテーマに講演しています。教育を通して人間の育ちを支えることが、平和とどのようにつながるのか。その問いが、1930年代の活動の中で大きな位置を占めるようになりました。

子どもの教育は、教室の中だけの問題ではない。人間がどのような社会をつくるのかという問題とも結びついている。

マリアは、子どもの発達を支える教育を、社会のあり方へとつながる仕事として語っていきます。

一方、ヨーロッパの政治状況は急速に変化していました。

AMIの年譜には、1933年、ナチ政権下のドイツでモンテッソーリ学校が閉鎖され、運動が弾圧されたことが記されています。

教育が国境を越えて広がっていても、それぞれの学校や教師の仕事が、政治の影響から自由でいられたわけではありませんでした。

同じ1933年にバルセロナ市が刊行した資料には、市立モンテッソーリ校の庭で活動する子どもたちの姿が残されています。

バルセロナのCòrsega校で庭の活動をする子どもたち

1933年刊行資料より|バルセロナ・Còrsega 268の市立モンテッソーリ校。庭で活動する子どもたち。撮影年不詳。出典:Ajuntament de Barcelona『L’escola pública de Barcelona i el mètode Montessori』、1933年。掲載:Atlante Montessori。

国際大会や政治の動きをたどる一方で、各地の学校では子どもたちの日々の活動が続いていました。

このシリーズで教室や庭の写真も見ていくのは、教育運動の歴史の中に、実際にそこで過ごした子どもたちの姿を重ねるためでもあります。

1934年|ローマで開かれた第4回国際大会

1934年、第4回国際モンテッソーリ大会がローマで開かれました。

ローマ近郊のFrascatiにあるVilla Falconieriで撮影された集合写真には、中央にマリア・モンテッソーリ、左から2人目にジャン・ピアジェの姿があります。

1934年、第4回国際モンテッソーリ大会の参加者たち。中央にマリア・モンテッソーリ、左から2人目にジャン・ピアジェ

1934年|第4回国際モンテッソーリ大会。ローマ近郊FrascatiのVilla Falconieriに集まった参加者たち。中央がマリア・モンテッソーリ、左から2人目がジャン・ピアジェ。出典:『Opera Montessori. Bollettino bimestrale』1934年3–6月号、p.78。所蔵:Biblioteca ONM。掲載:Atlante Montessori。

教育をめぐる国際的な交流が続く一方で、イタリアでは、ファシスト政権とマリアとの関係が変化していました。

1920年代には、政府の支援を受けて学校や教師養成を広げてきました。しかし、教育機関の運営への介入などをめぐって、次第に対立が深まっていきます。

Atlante Montessoriの歴史解説によると、1933年、マリアとマリオはOpera Nazionale Montessori(ONM)を辞任しました。マリアは同年2月、王立モンテッソーリ方法学校(Regia Scuola di Metodo Montessori)の職からも退いています。

政府の支援のもとで教育を広げてきた時期を経て、その協力関係が崩れていったのです。

そして1934年、ローマでの国際大会を経て、二人はイタリアを離れます。マリアは、それまで生活と活動の拠点としてきたバルセロナで、仕事を続けることになりました。

こちらは、同じ時期のウィーンの「子どもの家」です。

大人用のドアハンドルとは別に、子ども自身が使える高さにもハンドルが設けられています。

1934年頃、ウィーンの「子どもの家」に設けられた大人用と子ども用のドアハンドル

1934年頃|ウィーン・Rudolfsplatzの「子どもの家」。教師が通常の高さのドアハンドルを示し、右側には子どもが自分で練習できる低いハンドルが設置されている。出典:T. Müller, R. Schneider, Lehrmaterialien 1913–1935, 2002, p.81。掲載:Atlante Montessori。

大人には簡単に開けられるドアでも、子どもには手が届かないことがあります。

そこで、大人が毎回代わりに開けるのではなく、子どもが自分で扱える高さにハンドルを設ける。

子どもに合わせて環境を変えることで、自分でできることを増やしていく。

この小さな工夫にも、子どもの自立を環境から支える考え方が表れています。

1936年|バルセロナを離れ、オランダへ

1936年、イギリス・オックスフォードで第5回国際モンテッソーリ大会が開かれました。

その年、スペイン内戦が始まります。マリアは、長く生活と活動の拠点としてきたバルセロナを離れることになりました。

イギリスを経て、マリアとマリオはオランダへ。

オランダは、彼女の新しい生活と活動の拠点になりました。

マリア・モンテッソーリと息子マリオ・モンテッソーリ

マリア・モンテッソーリと息子マリオ。出典:Montessori 150。

この時期のマリア本人の声が残っています。

1936年10月31日、オランダのラジオでGustav Czoppのインタビューを受けたマリアは、オランダを新しい住まい、そして可能であれば自分の活動の中心にしたいと語りました。

さらに、教育とは人間形成を助けるものであること、子どもの権利が社会によって認められる必要があることを語っています。

移住という出来事だけでなく、そのとき本人がどのような仕事を続けようとしていたのか。写真に加えて、言葉からもたどることのできる記録です。

▶ 1936年 マリア・モンテッソーリのラジオインタビューを聴く

1936年10月31日、Gustav Czoppによるマリア・モンテッソーリへのラジオインタビュー。フランス語音声。紹介・英語の文字起こし:Montessori 150。

1937〜1938年|「平和のための教育」へ

1937年、第6回国際モンテッソーリ大会がコペンハーゲンで開かれました。大会のテーマは、「Educate for Peace ― 平和のための教育」でした。

1938年にはエディンバラで第7回国際モンテッソーリ大会が開かれ、パリのソルボンヌでも平和を訴える講演を行っています。

教育によって、子どもの中にある人間の可能性を守ること。それが、将来の平和につながっていく。

1930年代後半、マリアの言葉の中で、「子ども」と「平和」はますます強く結びついていきました。

新しい活動拠点となったオランダのLaren。

1938年8月31日、マリアはここで68歳の誕生日を迎えました。

1938年、Larenで68歳の誕生日を迎えたマリア・モンテッソーリ

1938年8月31日|オランダ・Laren。68歳の誕生日を迎えたマリア・モンテッソーリ。出典:AMI Montessori Archives。

同じ1938年、マリアはアムステルダムのWilhelmina-Catharinaschoolを訪問しています。

子どもたちが旗を持って迎える様子が、アムステルダム市公文書館の写真に残されています。

1938年、アムステルダムのWilhelmina-Catharinaschoolを訪問するマリア・モンテッソーリ

1938年|アムステルダムのWilhelmina-Catharinaschoolを訪問したマリア・モンテッソーリ。出典:Stadsarchief Amsterdam。

国際大会で平和について語ることと、子どものいる学校へ足を運ぶこと。その両方が、この時期のマリアの活動にありました。

1938年9月21日には、Larenに新設された養成センターで新しいコースが始まります。

ヨーロッパの情勢が不安定になっていく中でも、教師を育てる仕事は続いていました。

1939年|ヨーロッパを離れ、インドへ

Larenで1938年に始まった養成コースは、1939年に最終講義を迎えます。

写真にはマリアと、通訳を務めたオランダのモンテッソーリ教師・トレーナーCaroline Trompが写っています。

1939年、Larenの養成コースの最終講義でのマリア・モンテッソーリと通訳Caroline Tromp

1939年|オランダ・Laren。1938年9月21日に始まった養成コースの最終講義。マリア・モンテッソーリと通訳Caroline Tromp。出典:Association Montessori Internationale。

そして1939年、マリアとマリオはインドへ向かいます。

もともとは、神智学協会の招きを受け、約3か月の養成コースを行うための旅でした。

1931年のローマでは、インドから来た受講生たちがマリアのもとで学んでいました。今度はマリア自身が、その国で教師を育てるために旅立ったのです。

1939年11月4日、二人はインドのAdyarに到着しました。

沿道には学校の子どもたちが並び、マリアたちを迎えました。

1939年11月4日、インドのAdyarに到着したマリア・モンテッソーリとマリオ・モンテッソーリ

1939年11月4日|インド・Adyarに到着したマリア・モンテッソーリとマリオ・モンテッソーリ。出典:Montessori 150。

このとき、マリアは69歳。

しかし、その旅は、予定していた3か月では終わりませんでした。すでにヨーロッパでは第二次世界大戦が始まっていたのです。

翌1940年、イタリアが参戦すると、マリアとマリオはインドから自由に出国できなくなります。結果として、二人がヨーロッパへ戻るのは1946年になりました。

1930年のローマで、政府関係者と並んでいたマリア。

その後、ファシスト政権との関係が崩れ、スペイン内戦によってバルセロナも離れ、オランダを新しい拠点にしました。

生活の場所が変わっても、各地の学校を訪れ、教育と平和について語り、教師を育てる仕事は続いていました。

そして、思いがけず長くなったインド滞在の中で、マリアとマリオは、さらに教育思想を発展させていきます。

次回は1940–1950年。
戦争の時代にインドで過ごした日々と、その後のヨーロッパへの帰還を、写真と映像でたどります。

「写真でたどる マリア・モンテッソーリの歴史」

第1回|1870–1900年 医師から教育者へ – マリア・モンテッソーリの出発点
第2回|1900–1910年「子どもの家」の誕生 – モンテッソーリ教育が形になった10年
第3回|1910–1920年 ローマから世界へ – 広がり始めたモンテッソーリ教育
第4回|1920–1930年 国際運動へ – 世界への広がりとAMIの誕生
第5回|1930–1940年 ファシズムとの決別 – ヨーロッパを離れ、インドへ 
第6回|1940–1950年 インドで深まった「宇宙教育」と平和への思想 
第7回|1950年以降 晩年、そして世界に受け継がれた教育 

主な参考資料

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