アントニエッタ・パオリーニ – 日本のモンテッソーリ教育、その源流にいた人

アントニエッタ・パオリーニ(1907–2000)/参考写真をもとにAIで生成したイラスト
日本でモンテッソーリ教育を広めた人たちの歩みをたどると、イタリアのペルージャという街に行き着きます。そこで長く教師を育てていたのが、アントニエッタ・パオリーニでした。
マリア・モンテッソーリから直接学び、子どものいる教室で働き、国際的な教師養成を支えた教育者です。戦後、日本からも多くの教師たちが海を渡り、パオリーニのもとで学びました。
パオリーニは、どのようにマリアと出会い、その教育を受け継いだのでしょうか。そして、彼女から受け取ったものは、どのように日本へ渡り、現在まで伝えられてきたのでしょうか。その歩みをたどります。
マリア・モンテッソーリの講義が、進む道を変えた
アントニエッタ・パオリーニは、1907年7月11日、イタリアのウルビーノに生まれました。正式名はマリア・アントニエッタ・パオリーニ。松本静子の回想によると、代々ウルビーノの城主だった名門の出身で、父親はイタリア最後の王ウンベルト2世の近衛師団長でした。貴族の家庭に育ったパオリーニは、若いころからローマで学んでいました。
その歩みを変えたのが、マリア・モンテッソーリとの出会いです。
1930年、ローマでマリアの講義を聴き、子どもを見る新しい考え方に心を動かされます。松本の回想には、パオリーニが友人と見学に出かけた際、線上歩行の練習を見ていたところ、マリアから一緒に歩くよう誘われたという話も残されています。講義の言葉だけでなく、自分も活動に加わる経験を通して、その教育に触れていったのです。
両親の反対を受けながらも学びを続け、やがてマリアの仕事を手伝うようになりました。1932年には「子どもの家」の一クラスを任され、翌1933年にはロンドンの国際コースで、教具の準備や受講生の実技練習を支えています。
出会いから数年のうちに、学ぶ側から、子どもと関わり、次の教師の学びを支える側へ。パオリーニは、講義と実践の両方を経験しながら、マリアの仕事に深く関わるようになりました。
子どものいる場所で、マリアと仕事をする
1930年代のバルセロナでは、マリアが自宅に設けた実験的な学校にも関わりました。AMIの歴史紹介には、マリアとマリオが教育活動を広げるなかで、この学校を協力者のパオリーニとともに進めたことが記されています。
マリアの教育は、すでに完成した説明を人々へ伝えるだけのものではありませんでした。子どもたちを観察し、活動や環境を考え、そこで分かったことを教育の仕事へ戻していく。パオリーニは、そうした仕事の現場にいた人です。
1936年にスペイン内戦が始まると、生活は一変します。パオリーニもスペインを離れ、やがてオランダで活動を続けました。

マリア・モンテッソーリとアントニエッタ・パオリーニ。オランダ・ラーレン、1936年。 写真:Archivio ONM/Atlante Montessori
公に学びにくい時代にも、教師養成をつなぐ
1939年、ローマのナザレの学校では、表立って開催できない形でモンテッソーリの講座が行われました。教育史の研究によると、約30人が参加し、8か月以上にわたって学んでいます。理論を担当したのはアデーレ・コスタ・ニョッキ、教具の使い方を担当したのがパオリーニでした。
この講座はAMIとの合意のもとで行われ、インドにいたマリアへ、バチカンを通じてディプロマが送られ、署名されたといいます。
国を離れたマリアと、イタリアに残った教育者たち。離れた場所で、それぞれが教師を育てる仕事を担っていました。パオリーニは、教具を実際にどう扱い、子どもへどう示すかを伝える役割を果たしたのです。
教具は、置いてあるだけで教育になるわけではありません。子どもの発達に合わせて用意し、必要なときに使い方を示せる大人がいて、初めて活動につながります。その大人を育てる仕事も、教育を存続させるために欠かせませんでした。
サヴォイア王家の子どもたちの教育へ
1940年代初頭には、当時のイタリアの王家であるサヴォイア家で、子どもの教育を担いました。
ペルージャ大学が公開する研究紹介によると、最初に担当したのは長女マリア・ピア。その後、マリア・ガブリエッラ、マリア・ベアトリーチェ、ヴィットリオ・エマヌエーレの教育にも関わっています。
王家の教育係という経歴は目を引きますが、その前には、すでに「子どもの家」での実践や、国際コースで教師を育てる経験がありました。パオリーニは、そうした経験を持つ教育者として、この仕事に招かれたのです。
そして戦後、彼女が長く力を注ぐ場所となったのが、イタリア中部のペルージャでした。

サヴォイア王家の家族。1945年。パオリーニは1940年代、マリア・ピアをはじめ王家の子どもたちの教育を担当しました。 写真:Wikimedia Commons/Public Domain
ペルージャに、教室と教師養成が結びつく場所を
1950年、ペルージャではマリアを中心とする教育研究と教師養成の拠点が生まれました。国際コースとともに、サンタ・クローチェの施設に実験的な「子どもの家」が設けられ、翌年には小学校のクラスも始まります。
教師を目指す人たちが学ぶ場所の近くに、実際に子どもたちが生活する教室がある。講義で聞いたことを、目の前の子どもの姿に照らして考えられる環境でした。
1952年にマリアが亡くなった後も、パオリーニはペルージャで教師養成を続けました。この街での活動は40年以上に及びます。協会の沿革は、彼女が教えの内容とともに、その精神を伝えることを大切にしていたと記しています。
2000年に発表されたセンターの50周年の報告によると、1950年以降、34回の国際コースが開かれ、イタリアに加えて五つの大陸から受講生が集まりました。センター全体で育てた教師は3,676人と報告されています。これはパオリーニ一人の指導人数を示す数字ではありませんが、彼女が長く支えた学びの場の広がりを伝えています。

1949年、サンレモで開かれた第8回国際モンテッソーリ会議。左から1人目がジャンナ・ゴッビ、3人目がマリア・テレーザ・マルケッティ、4人目がアントニエッタ・パオリーニ。 写真:Archivio ONM/Atlante Montessori

1949年、サンレモ国際モンテッソーリ会議に設けられたモデル教室。会場はヴィラ・オルモンド。 写真:Archivio ONM/Atlante Montessori
日本から、パオリーニのもとへ向かった教師たち
このペルージャの国際コースへ、日本から学びに行く人たちも現れます。
竹田恵の研究によると、1963年に入学したのが松本尚子でした。続いて1967年7月に松本静子が入学し、その後も、野村緑、福田真弓、高橋公子、野口君子、石井昭子、南郷治代らが同コースで学んでいます。
さらに時代が下り、1991年には高根文雄・高根澄子夫妻も、パオリーニのもとで学びました。二人はすでに1975年、東京国際モンテッソーリ教師養成トレーニングセンターで3〜6歳の教師ディプロマを取得し、日本で保育の仕事を重ねていました。それでも、マリア・モンテッソーリの直弟子であるパオリーニから直接教えを受けたいと、夫妻そろってペルージャで学び、同じ3〜6歳の教師ディプロマを再取得したのです。
マリアとともに子どもを観察し、教室で働いてきた人から、その言葉と実践を直接受け取る。パオリーニのもとには、初めて学ぶ人だけでなく、すでに教師として歩んできた人たちも集まりました。
異なる時期にペルージャで学んだ日本の教育者たちは、それぞれの教室や教師養成の場へ、その経験を持ち帰っていきました。
横浜で、その意志を形にする
横浜・モンテッソーリ幼稚園の高根夫妻とパオリーニの関係は、ディプロマを取得したところで終わりませんでした。『いのちのちから』には、パオリーニの意志を受け、神奈川県横浜市青葉区に「モンテッソーリ教育研究所・付属子どもの家」を設立したことが記されています。
パオリーニは、その後も何度か横浜の園を訪ねました。初めて訪問したときには、子どもの人数、クラス数、教師の人数を尋ねたといいます。何気ない質問のようですが、高根文雄は後になって、歩き方や身振り、話し方、頭の先から足元まで、パオリーニは園と人の姿をよく見ていたのだと気づきました。
教えを受けた夫妻が日本で子どものための場所をつくり、恩師がそこを訪れて確かめる。パオリーニから受け取ったものは、資格や教具の扱い方だけではありませんでした。子どもをよく見ることを中心に据えた教育の場を、日本に根づかせていく仕事へとつながったのです。
大切にしたのは、子どもが自分から取り組めること
東京国際モンテッソーリセンター長の松本静子の記録には、パオリーニが特に重視していた二つの観点が出てきます。「興味の中心点」と「間違いの自己訂正」です。
興味の中心点とは、子どもがその活動に心をひかれ、もう一度やってみたくなるところ。自己訂正とは、大人に正解を教えられるだけでなく、子ども自身が結果を確かめ、間違いや違いに気づけることです。
この二つに目を向けると、実技の指導で大切にしていたことも見えてきます。子どもは何に関心を持つのか。自分で気づき、試し直せるようになっているか。手順を学ぶ受講生には、子どもが自分から活動を続けるための仕組みを理解することも求められていました。
マリアから受け継いだ教育を伝えるとは、動作を正確に再現することに加え、その動作が子どもの何を助けるのかを伝えることでもあったのでしょう。
日本の暮らしのなかにある力も、見逃さなかった
パオリーニは、受講生がすでに身につけている力にも目を向けていました。
『よろこびの中に生きるモンテッソーリ教育』には、日本の生活習慣に関心を寄せる姿が記されています。床に座る暮らしで培われた身のこなしや、ひもを結ぶ、編むといった手の動き。松本が実技をすると、そのよさを認め、ほかの受講生の前でも示すよう促したといいます。
言葉に苦労している留学生にも、それまでの暮らしのなかで身につけたものがある。パオリーニは、そうした手や体の働きにも気づく教師でした。
一方で、教師になるために必要な学びは丁寧に確かめています。松本にイタリア語の勉強を勧め、出席や実技練習の時間が不足していた分は、ナポリのコースで補うことになりました。受講生を励ますことと、必要な準備を求めること。その両方が、回想には残されています。
日本へ届き続けた、パオリーニの教え
ペルージャへ渡った日本人教師たちが、パオリーニの教えを日本へ持ち帰った。それだけではありませんでした。パオリーニ自身も、日本のモンテッソーリ教育に直接関わっていました。
1985年のイタリアのモンテッソーリ教育誌『Vita dell’infanzia』には、高根文雄がパオリーニへの感謝を述べた記録が残されています。そこには、パオリーニが日本でも行われた数多くの専門コースに直接携わっていたことが記されています。日本の仲間たちに、マリア・モンテッソーリの思想を伝える人であってほしいと励まし続けたことも伝えられています。
日本とのつながりは、日本人がペルージャへ学びに行く一方向のものではありませんでした。パオリーニ自身も日本の教師養成に関わり、教えを受け継ぐ人たちを支えていたのです。
その言葉は、日本語でも伝えられていきました。
日本モンテッソーリ協会の学会誌『モンテッソーリ教育』第11号(1978年)には、パオリーニの講演「モンテッソーリの心理的教育法の不変性を探る」が、松本静子の翻訳で掲載されています。さらに、第17号(1984年)にも、「21世紀の人間・現代の幼児」と題したパオリーニの講演が掲載されています。
ペルージャまで行くことのできない教師にも、日本語でその言葉に触れる道がありました。直接学んだ人の経験と、翻訳された講演の言葉。その両方が、日本で学び、実践する教師たちのもとへ届いていたのです。
ペルージャで直接学ぶ。
日本で専門コースを受ける。
講演を日本語で読む。
そして、学んだ教師が次の教師を育てる。
こうして見ると、パオリーニの教えが日本へ伝わった道は、一本ではありませんでした。留学先で受け取った言葉や実技が、日本の教室へ持ち帰られる。日本の専門コースで学んだことが、日々の保育や教育に生かされる。講演を読み、自分の実践に照らして考える。そして、そこで学びを重ねた教師が、次に学ぶ人を支えていく。
教えは、一度聞いて終わるものではなく、子どもと関わる仕事のなかで確かめられ、人から人へと受け継がれていきました。
しかも、その関係は一時的なものでもありませんでした。前に見たように、高根文雄・澄子夫妻が横浜に「モンテッソーリ教育研究所・付属子どもの家」を設立した後も、パオリーニはその園を訪ねています。ペルージャで始まった恩師と教え子の関係は、日本に新しい教育の場が生まれてからも続いていました。
学んだ教師が日本で子どものための環境をつくり、恩師がその場所を訪れ、子どもや教師の姿に目を向ける。そこには、教えを伝えることと、実際の教室を見つめることを結びつけてきた、パオリーニの仕事のあり方が表れています。
日本からパオリーニのもとへ学びに行った教師たちがいた。そして、パオリーニ自身も日本の教師たちに教えを伝え、その後の実践との関わりを持ち続けた。
日本のモンテッソーリ教育とパオリーニとの関係は、海外の恩師から学んだというだけでは語りきれない、直接的で、長く続いたものでした。
その教えは、国を越え、言葉を越え、さらに教師の世代を越えて、日本の子どもたちが過ごす教室へとつながっていったのです。
日本に根づいたモンテッソーリ教育、その源流にいた人
パオリーニは2000年に亡くなりました。
モンテッソーリ教育の歴史を学べば、私たちが最初に出会うのは、もちろんマリア・モンテッソーリです。子どもを観察し、その内側にある発達の力を見いだし、新しい教育のあり方を示した人でした。
けれども、マリアが見いだしたものが今日まで残っているのは、それを受け取り、子どものいる教室で確かめ、次の教師へと手渡してきた人たちがいたからです。その重要な一人が、アントニエッタ・パオリーニでした。
戦後、日本にモンテッソーリ教育を根づかせていった教師たちの歩みをたどると、その先にパオリーニの姿が繰り返し現れます。
松本尚子、松本静子、野村緑、福田真弓、高橋公子、野口君子、石井昭子、南郷治代。そして、後には高根文雄・澄子夫妻もペルージャへ向かいました。学んだ時期は異なりますが、いずれもマリアから直接教えを受けたパオリーニのもとで、モンテッソーリ教育を学んだ人たちです。
ここに挙げたのは、今回の資料で名前を確認できた日本人受講者の一部です。その他にも、綿貫真理をはじめ、日本からペルージャへ渡り、パオリーニ本人の指導を受けた人たちがいました。
日本とのつながりは、一度の留学や一世代だけで終わったものではありません。
パオリーニが教師養成を続けるあいだ、日本からも学ぶ人が後に続き、その教えを持ち帰っていきました。
帰国した教師たちは、日本で子どもの家をつくり、子どもと関わり、教師を育て、書籍や翻訳を通して学んだことを伝えていきました。パオリーニ自身が日本のすべての教室をつくったわけではありません。しかし、日本でその土台を築いた教師たちを育てたのが、パオリーニでした。
ここに、パオリーニという教育者の大きさがあります。
彼女が伝えたのは、教具の扱い方や一つひとつの動作だけではありませんでした。子どもをよく見ること。環境を整えること。子どもの興味が動き出すところを捉えること。自分で誤りに気づき、自分の力で進んでいけるよう援助すること。そして、教師自身も学び続けること。
マリア・モンテッソーリが子どものなかに見いだしたものを、教師が理解し、教室で生かせる形にして、次の教師へ手渡していく。
パオリーニは、その仕事を何十年にもわたって続けました。
だから現在、日本で行われているモンテッソーリ教育のなかにも、私たちが意識している以上に、パオリーニから受け継がれたものが流れているのではないでしょうか。
マリアが始めたモンテッソーリ教育を、次の時代の教師たちへ。そして世界から集まった教師たちを通して、日本へ。
私たちが今、日本で学び、実践しているモンテッソーリ教育。その大きな流れの源流に、パオリーニという人がいました。
その名前は、今もペルージャの教師養成の場に残っています。「マリア・アントニエッタ・パオリーニ・ペルージャ・モンテッソーリ協会」は、モンテッソーリの思想を学び、実践する人たちのために、教師養成の活動を続けています。
パオリーニが長年にわたって担った、子どものために教師を育てる仕事。その歩みは、彼女の名を冠した協会へと受け継がれています。
この記事で紹介した書籍
パオリーニについて記された、日本の教育者による3冊をご紹介します。恩師との交流や、教えを受けた教育者たちが日本で育んだ実践を、日本語でたどることができます。
著:松本静子
出版社:学苑社
刊行年:1995年
第1章「私の恩師、マリア・アントニエッタ・パオリーニ先生」に、留学中の苦労や実技の学び、恩師との交流が記されています。パオリーニを、学んだ人の目から知ることのできる一冊です。
著:松本静子
出版社:学苑社
刊行年:2013年
第10章「モンテッソーリ教育との出会い」などに、ペルージャでの学びやパオリーニとの思い出が記されています。日本の暮らしに根ざした手や体の動きを、恩師がどのように見ていたかも紹介されています。
著:高根文雄・高根澄子
発行:ゆいぽおと/発売:KTC中央出版
刊行年:2023年
長年の保育・教育の経験から、子どもの育ちと大人の援助を考える本です。高根文雄が遺したコラムも収録されています。夫妻の学びと実践を通して、モンテッソーリ教育が日本でどう受け継がれてきたかを考えられます。
参考資料
- Martine Gilsoul「La Maestra delle maestre: Maria Antonietta Paolini 1907–2000」『momo』第7号(2016年)。人物紹介・PDF
- Daniel Cañigueral Viñals/AMI「Barcelona and Montessori」。バルセロナでの活動・PDF
- Alessandra Boscoloほか「Sulla genesi e lo sviluppo del pensiero matematico di Maria Montessori」。1939年の講座に関する研究・PDF
- Giovanna Farinelli・Daniela Roscini「Maria Antonietta Paolini: istitutrice di Casa Savoia」(2020年)。ペルージャ大学の研究概要
- Associazione Montessori Maria Antonietta Paolini Perugia。協会の沿革
- Sara Concas Spoleti「Centro Internazionale Maria Montessori, Perugia, Italy Celebrates Its 50th Anniversary」AMI Journal 2000/2–3。50周年の報告
- 竹田恵「戦後日本におけるモンテッソーリ教育再導入―『善福寺子供の家』を事例として―」。研究論文・PDF
- AMI「Vale Maria Shizuko Matsumoto」。松本静子の教師養成への貢献
- 松本静子『モンテッソーリアンと生きる』第1章。pp.6–23を中心に参照。あわせてpp.58–59。
- 高根文雄・高根澄子『いのちのちから』著者紹介。提供書籍写真で夫妻それぞれの1975年取得・1991年再取得を確認。出版社提供の書籍紹介
- 日本モンテッソーリ協会『モンテッソーリ教育』第11号(1978年)。第11〜20号の目次・PDF
- 松本静子『よろこびの中に生きるモンテッソーリ教育』(学苑社、2013年)第10章、特にpp.186–195。書誌情報
- 松本静子「私とモンテッソーリ教育の出会いを語る」『モンテッソーリ教育』第44号(2011年)、p.16
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