カテゴリ / コラム モンテッソーリ教育に影響を受けた著名人
一覧

「色と形に対する並外れた感覚」- フンデルトヴァッサーが覚えていた、7歳の時のモンテッソーリ

まっすぐではない線。
鮮やかな色。
渦巻くような形。
建物から伸びる木々。

一度見たら忘れられない作品を残した、オーストリアの芸術家フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー(Friedensreich Hundertwasser)。

そんな彼の幼少期について、興味深い記録が残っています。

まだ「フンデルトヴァッサー」という名前さえ使っていなかった、7歳の頃のことです。

彼が通っていたのは、ウィーンにできたばかりのモンテッソーリスクールでした。

そこで教師は、少年の中にあるものを見つけ、通知表にこう記しました。

「色と形に対する並外れた感覚」

後に世界的な芸術家となる少年に対する、7歳の時の評価です。

しかも、この話を後世に伝えたのは、学校関係者ではありません。

フンデルトヴァッサー本人でした。

7歳の頃、モンテッソーリスクールへ

フンデルトヴァッサーは1928年、ウィーンにフリードリヒ・ストヴァッサー(Friedrich Stowasser)として生まれました。

父親は彼が1歳のときに亡くなり、母エルザに育てられます。決して裕福な家庭ではありませんでした。

7歳の頃、彼はウィーンに設立されて間もないモンテッソーリスクールに入ります。

ずっと後になって自分の幼少期を振り返った文章の中で、フンデルトヴァッサー本人は、その学校を「自由な教育方法で知られていた」学校だったと記しています。

そして、そこでの自分についてこう振り返りました。

「私はすぐに絵を描き始めた。」

その姿を見ていた教師は、通知表に「色と形に対する並外れた感覚」があると記しました。

でも、「3+3」はできなかった

ここまでなら、「モンテッソーリで才能を伸ばした有名芸術家」というきれいな話に見えるかもしれません。

でも、本人の回想はそんな単純な成功談ではありません。

フンデルトヴァッサーは同じ文章の中で、1年間通ったあとも、「3+3」を計算することができなかったと率直に書いています。

そして、モンテッソーリスクールの学費が家庭にとって高かったこともあり、母親は彼を公立の小学校へ転校させました。

モンテッソーリスクールに在籍したのは、わずか1年間でした。

7歳の彼は、何でもできる「優秀な子ども」だったわけではありません。

算数はできなかった。

でも、その同じ子どもが絵を描いている姿を見て、教師は別のものを見つけていました。

「色と形に対する並外れた感覚」

できなかったことだけを見るのではなく、その子が何に惹かれ、何をしようとしているのかを見る。

このエピソードには、そんな大人のまなざしも見えてきます。

たった1年。それでも、本人は覚えていた

この話で興味深いのは、在籍期間の長さではありません。

たった1年間の経験を、本人がずっと後になっても具体的に覚えていたことです。

モンテッソーリスクールだったこと。
自由な教育方法だったこと。
そこで自分がすぐに絵を描き始めたこと。
そして教師から「色と形に対する並外れた感覚」があると評価されたこと。

本人によるこの回想は、1990年に刊行された『Mein Elternhaus』に収録された「Zwischen HJ und Judenstern(ヒトラー・ユーゲントとダビデの星の間で)」に残されています。現在はフンデルトヴァッサー公式サイトでも読むことができます。

フンデルトヴァッサー本人の回想「Between Hitler Youth and the Star of David」を読む(公式サイト・英語)

その後、少年の世界は大きく変わります

モンテッソーリスクールを離れて数年後、少年を取り巻く世界は大きく変わります。

1938年、オーストリアはナチス・ドイツに併合されました。

フンデルトヴァッサーの母親はユダヤ系でした。公式年譜によると、1943年には母方の親族約69人が強制移送され、殺害されています。そこには彼の叔母や祖母も含まれていました。

本人の回想には、母親がユダヤ人である一方、自分は身を守るためにヒトラー・ユーゲントに所属したという、複雑で過酷な少年時代も記されています。

フンデルトヴァッサー公式年譜を見る

画家になりたいと思ったきっかけ

本人が「画家になりたい」と思ったきっかけとして振り返っているものがあります。

カトリック教会で見た聖母マリアの絵。

そして、ウィーンの森で摘んだ花でした。

摘んだ花を本の間に挟んで保存すると、やがて色が褪せてしまう。

そこで少年は、考えます。

花を押して保存するのではなく、描けば色を残せるのではないか。

切手に描かれた小さな絵にも魅了され、自分もこんな絵を描きたいと思ったと本人は振り返っています。

やがて世界が知ることになる「色と形」

戦後、フンデルトヴァッサーはウィーン美術アカデミーに入りますが、在籍はわずか3か月。その後ヨーロッパ各地を旅し、自分自身の表現を追究していきます。

1949年には「Hundertwasser」という名前を使い始め、1953年には、後の作品を象徴する「螺旋(スパイラル)」が作品に現れます。

フンデルトヴァッサーの作品を見る(公式サイト)

やがてその表現はキャンバスだけにとどまらず、建築、環境活動、都市のあり方へと広がっていきました。

鮮やかな色。
不規則な窓。
曲線。
植物と建物が一体になった空間。

7歳の通知表に書かれた「色と形」という言葉を知ったあとで彼の作品を見ると、少し違った見え方がするかもしれません。

絵画から、建物そのものへ

フンデルトヴァッサーは建築家の資格を持っていたわけではありません。

それでも、絵画の中で追究してきた色や形、そして人間と自然の関係についての考えは、やがて実際の建物へと広がっていきます。

同じ大きさの窓を規則正しく並べない。
完全な直線だけで建物をつくらない。
屋根に土を置き、植物を育てる。
建物から木が伸びる。

その考えが最もよく知られる形になったのが、1980年代にウィーンにつくられたHundertwasserhaus(フンデルトヴァッサーハウス)です。

ウィーンのHundertwasserhaus。色の異なる壁、不規則な窓、建物から伸びる植物など、フンデルトヴァッサーの建築思想が形になった代表作。Photo: Bwag / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

フンデルトヴァッサーの建築作品を見る(公式サイト)

建物の上に、森を戻す

フンデルトヴァッサーにとって、植物は建物を飾るためだけのものではありませんでした。

建物を建てれば、その場所にあった土や植物は失われます。

ならば、屋根の上に土を戻し、そこに草や木を育てればいい。

彼は屋上緑化を提唱し、窓から木が伸びる「Tree Tenant(樹木の住人)」という考えも発表しました。

ドイツ・ダルムシュタットに建てられた集合住宅Waldspirale(森の螺旋)を見ると、その発想が建物そのものになっていることがよく分かります。

ドイツ・ダルムシュタットのWaldspirale(森の螺旋)。曲線を描く建物と豊かな植栽が重なり、建築と自然が一体となったフンデルトヴァッサーの世界が広がる。Photo: Alexandre Prévot / Wikimedia Commons / CC BY-SA 2.0

「すべての人は創造的でなければならない」

1948年、まだ20歳になる前のフンデルトヴァッサーは、ザルツブルクで講演を行っています。

そのタイトルは、

「Everybody must be creative(すべての人は創造的でなければならない)」

でした。

その後も彼は、直線に支配された建築への批判、人と自然の関係、都市の緑化などについて、多くの文章やマニフェストを残しています。

フンデルトヴァッサー本人の文章・マニフェストを見る(公式サイト)

駅も、公衆トイレも、彼の作品になった

フンデルトヴァッサーの仕事は、美術館や住宅だけにとどまりませんでした。

人々が毎日使う公共の場所にも、彼の考えは広がっていきます。

その一つが、ドイツ北部の街ユルツェンにある鉄道駅です。

既存の駅舎は、フンデルトヴァッサーの構想をもとに改修され、曲線や色彩、植物を取り入れたHundertwasser Bahnhof Uelzenとして生まれ変わりました。

ドイツ・ユルツェンのHundertwasser Bahnhof。色彩や曲線、植物を取り入れ、フンデルトヴァッサーの構想によって生まれ変わった駅。Photo: W. Bulach / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

ニュージーランドで暮らした晩年

1970年代以降、フンデルトヴァッサーはニュージーランドにも拠点を持つようになります。

自然に囲まれた土地で暮らしながら、植林や水の循環、屋上緑化などにも取り組みました。

このニュージーランドにも、彼の仕事が残されています。

北島の小さな町カワカワにあるHundertwasser Toiletsです。

名前のとおり、公衆トイレです。

曲線、色鮮やかなタイル、植物、再利用された素材。

日常の中にある小さな公共施設まで、フンデルトヴァッサーの世界になりました。

ニュージーランド・カワカワのHundertwasser Toilets。公共トイレにも、曲線や色彩、再利用素材などフンデルトヴァッサーらしい表現が広がっている。Photo: Phil Whitehouse / Wikimedia Commons / CC BY 2.0

2000年2月19日、フンデルトヴァッサーはニュージーランドからヨーロッパへ向かう客船「クイーン・エリザベス2」の船上で亡くなりました。71歳でした。

遺体は本人の希望に従ってニュージーランドの土地に埋葬され、その墓には木が植えられています。

60年近くたっても残っていた言葉

フンデルトヴァッサーがモンテッソーリスクールで過ごしたのは、わずか1年間でした。

7歳のフリードリヒ・ストヴァッサーは、学校に入るとすぐに絵を描き始めました。

1年後にも「3+3」はできなかった。

でも、その子が絵を描いている姿を見ていた教師は、別のものを見つけていました。

「色と形に対する並外れた感覚」

その少年が、後に世界的な芸術家フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサーになることを、もちろん当時の先生は知りません。

ただ、目の前にいる7歳の子どもを見ていた。

そして、そこにあるものを言葉にして残しました。

何十年も後になって自分の幼少期を振り返ったとき、フンデルトヴァッサーはそのことを覚えていました。

モンテッソーリスクールだったこと。
自由な教育方法だったこと。
そこで自分がすぐに絵を描き始めたこと。

そして、先生が自分について書いてくれた言葉を。

「色と形に対する並外れた感覚」

フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサーとは

ニュージーランドで暮らしていた晩年のフリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー(1998年)。Photo: Hannes Grobe / Wikimedia Commons / CC BY-SA 2.5

Friedensreich Hundertwasser(1928–2000)
オーストリア・ウィーン生まれの芸術家、建築デザイナー、環境活動家。

本名フリードリヒ・ストヴァッサー。絵画だけでなく、建築や都市計画、環境保護など幅広い領域で活動しました。鮮やかな色彩、螺旋、不規則な線、植物と建築を融合させた独特の表現で知られています。

フンデルトヴァッサー公式サイト

参考資料・出典

Hundertwasser Foundation
「Between Hitler Youth and the Star of David」
フンデルトヴァッサー本人による幼少期の回想。モンテッソーリスクールでの経験、「色と形に対する並外れた感覚」という通知表の記述、「3+3」ができなかったことなどが語られています。

Hundertwasser Foundation
Biography
1928年の誕生から2000年までの公式年譜。モンテッソーリスクールへの入学、ナチス時代、芸術活動、建築、環境活動などを確認できます。

Hundertwasser Foundation
Art
フンデルトヴァッサーの絵画・グラフィック作品を紹介する公式アーカイブ。

Hundertwasser Foundation
Architecture
フンデルトヴァッサーが関わった建築作品の公式アーカイブ。

Hundertwasser Foundation
Original Texts and Manifestos
直線、建築、自然、環境、創造性などについて本人が残した文章・マニフェスト。

RECENT ENTRY 一覧

2026.10.02カテゴリ / コラム ダウンロード教材 ぬいさしデータ

バスに乗ってどこへ行こう?「ぬいさし(バスの旅)シート」

2026.10.01カテゴリ / コラム モンテッソーリ教育に影響を受けた著名人

「色と形に対する並外れた感覚」- フンデルトヴァッサーが覚えていた、7歳の時のモンテッソーリ

2026.09.30カテゴリ / 世界のモンテッソーリ研究

学問の世界から、なぜ子どもの声は消えるのか ― 神学がモンテッソーリに見つけたもの

2026.09.29カテゴリ / コラム モンテッソーリ教育に影響を受けた著名人

「教える」より大切なこととは? ピーター・ドラッカーがモンテッソーリに見いだした「学ぶ力」

2026.09.28カテゴリ / コラム AMI公式 モンテッソーリQ&A

AMI Q&A|「これ、あそこに置いておいて」は子どもには曖昧? モンテッソーリで考える6歳までの言葉の環境

2026.09.27カテゴリ / コラム モンテッソーリを伝えた人たち

東宮御所へ – 皇族の幼児教育に関わったモンテッソーリ教師・松本尚子の歩み