東宮御所へ – 皇族の幼児教育に関わったモンテッソーリ教師・松本尚子の歩み

松本尚子(1930–2016)/当時の写真資料を参考にAIで制作したイラスト
戦後の日本に、モンテッソーリ教育をもう一度根づかせようとした人たちがいました。
その一人が、松本尚子(まつもと・なおこ/1930–2016)です。
イタリアでモンテッソーリ教育を学び、帰国後、東京・杉並に「善福寺子供の家」を創設。日本モンテッソーリ協会の設立や教師養成にも関わり、長年にわたって子どもと教師を育ててきました。
そして松本尚子の歩みを調べていくと、意外な記録に行き当たります。
東宮御所です。
RMC世界平和財団の沿革には、松本尚子が紀宮清子内親王(現在の黒田清子さん)の幼少時から「ご教育係」として、当時の皇太子・皇太子妃の依頼を受け、東宮御所で奉職したと記されています。
戦後日本にモンテッソーリ教育を伝えた一人の教師が、皇族の幼児期の教育にも直接関わっていた。
松本尚子とは、いったいどのような教育者だったのでしょうか。
もともとは「幼児教育に無関係」だった
興味深いことに、松本尚子は最初から幼児教育の道を歩んでいた人ではありません。本人は後に、当時の自分を「幼児教育に無関係な私」と振り返っています。
幼児期の教育について深く考えるようになったきっかけの一つに、聴覚に障がいをもつ親族の存在がありました。一人の人間の成長を見つめる中で、幼い時期にどのような教育を受けるかが、その後の人生に大きな意味を持つのではないか。そんな思いを抱いていた頃、松本はモンテッソーリ教育と出会います。
きっかけをつくったのは、家族ぐるみで親交のあった至光社の武市八十雄でした。武市に誘われ、カトリック教育協議会内の「モンテッソーリ研究会」に参加します。
ところが、最初からモンテッソーリ教育に魅了されたわけではありません。研究会で若い教師たちが楽しそうに教具を扱っている姿を見ながら、松本は後に「何が面白いのか不思議な気持ちだった」と振り返っています。
それでも研究会に通い、文献を読み続けるうちに、その教育の奥にあるものへ少しずつ惹かれていきました。
33歳でイタリアへ
1963年、松本尚子はイタリアへ渡ります。
当時の日本には、モンテッソーリ教育を本格的に学ぶ教師養成の場がまだありませんでした。松本はイタリア・ペルージャにあった3~6歳対象の国際モンテッソーリコースに、日本人として初めて入学します。
そこで指導を受けたのが、マリア・モンテッソーリと直接仕事をしてきたアントニエッタ・パオリーニでした。
3~6歳のコースを終えた松本には、もともと音楽をもっと学びたいという気持ちもあり、6~12歳の課程へ進む予定はなかったといいます。しかし、マリア・モンテッソーリの息子マリオ・モンテッソーリから、日本へ帰って「子どもの家」を始めれば、その先の年齢についてもさまざまな質問を受けるだろう、もう一度イタリアへ学びに来るのは難しいだろう、と助言されました。
その言葉を受け、松本はベルガモの6~12歳対象のコースにも進み、3~6歳と6~12歳、二つのモンテッソーリ教師国際ディプロマを取得しました。
同じ時代、海外へ向かった日本のモンテッソーリ教育者たち
ただし、松本尚子が日本人として最初に海外でモンテッソーリ教師の資格を取得したわけではありません。
松本より一足早くヨーロッパへ渡っていたのが、赤羽恵子でした。赤羽は1959年にヨーロッパへ渡り、ドイツ・ケルンで学び、1963年に日本人として初めてモンテッソーリ教師のディプロマを取得しています。
同じ1963年、松本尚子はイタリア・ペルージャへ。戦後日本のモンテッソーリ教育再導入の初期には、ドイツで学んだ赤羽恵子と、イタリアで学んだ松本尚子という、異なるルートを歩んだ教育者たちがいました。
そして松本尚子が切り開いたペルージャへの道には、その後、日本人の教師たちが続きます。1967年7月には松本静子がペルージャの国際コースへ入学。その後も、野村緑、福田真弓、高橋公子、野口君子、石井昭子、南郷治代らが同じコースで学びました。
今、日本のモンテッソーリ教育史を知る人がこの名前を眺めると、驚くほど多くの重要な教育者が並んでいます。
野村緑は、その後、聖アンナこどもの家で長年にわたって実践に携わり、『おかあさんのモンテッソーリ』などの著書も残しました。福田真弓も教師教育に関わり、石井昭子はのちに『モンテッソーリ教育―理論と実践』シリーズの『算数教育』を執筆。南郷治代も長年モンテッソーリ教育の実践に携わり、モンテッソーリ白金子どもの家の責任者を務めるなど、その経験を後進へ伝えてきました。
こうして見ると、1960年代のペルージャは、単に何人かの日本人が海外留学した場所ではありません。
のちの日本のモンテッソーリ教育を支える教師たちが集中的に学んだ、一つの源流だったともいえます。
なお、松本尚子と松本静子は同じ「松本」姓ですが、血縁関係はありません。
松本尚子は、子どもの家という実践の現場を持ちながら、子どもの観察と教師養成に関わっていきました。一方の松本静子は、その後さらに0~3歳、6~12歳のディプロマも取得し、教師養成者として研修を重ね、1975年には日本人初のAMI認定モンテッソーリ教師トレーナーとなります。
同じ時代にイタリアで学びながら、二人はそれぞれ異なる形で、その後の日本のモンテッソーリ教育を支えていくことになります。
資格を取っても、すぐには帰らなかった
松本尚子の学びは、国際コースを修了したところで終わりませんでした。
モンテッソーリ教育に特徴のある施設を探し、3歳未満児教育、宗教教育、アトリエ、障がい児施設、小児病院、乳児院などを訪ね歩き、ときには聴講生として学びました。さらにフランス、アメリカの施設も見学しています。
1967年3月、日本へ帰国。その際には、7~8歳頃までの子どもが使えるモンテッソーリ教具を2セット購入し、船便で日本へ送りました。
しかし松本は、モンテッソーリ教育を日本へそのまま持ち込めばよいとは考えていませんでした。表面的に方法だけを取り入れれば、「冷たい知性教育」になってしまうのではないか。帰国した時点から、すでにそんな慎重な姿勢を持っていたことが本人の文章からわかります。
八畳間から始まった「子供の家」
帰国後、松本は日本の幼稚園や保育園を見学しながら、各地の研究会や講習会でモンテッソーリ教育を紹介していました。ところが、自分自身に日本での実践経験がないまま講習をしていても、教具の使い方を説明するだけの「教具の説明の切り売り」になってしまうことを痛感します。
そこで1967年10月、自宅で小さな「子供の家」を始めました。
最初の子どもは4人。5歳、4歳、3歳半、2歳半の子どもたちが、週2日、午前9時30分から12時まで通いました。
場所は、自宅の八畳の日本間と六畳の板の間の一部、廊下、そしてポーチ。子どもの来る日には教具を並べ、帰れば片づける。煉瓦と板を組み合わせて三段の棚をつくり、感覚、言語、数、手を使う教材を並べました。廊下にはイーゼルや生活活動の道具、ポーチには清水用と汚水用のバケツ。
現在の整ったモンテッソーリ園を想像すると、驚くほど小さな始まりです。
けれど松本は、子どもにふさわしく整えられた環境の中で、自分で仕事を選べることが、子どもの心のよりどころになることを、実際の子どもの姿から感じ取っていきました。
善福寺子供の家へ
翌1968年9月、自宅近くに本格的な「善福寺子供の家」が開設されました。東京都杉並区善福寺、500平方メートル余りの敷地に約105平方メートルの園舎が建てられました。
保育室には、将来台所コーナーとして使える流し場。アイロンのコーナー、感覚教具の棚、手を使う教材の棚。外のポーチには洗濯場も設けられ、見学者が子どもの活動を妨げず観察できるようにマジックミラーまで用意されていました。
すべては、子どもが充分に活動するために考えられた環境でした。
1970年に善福寺子供の家を訪れた人たちの感想の中に、印象的な言葉があります。
「先生がかすんでみえる」
教師が前に立ってクラス全体を動かしているのではない。それぞれの子どもが、自分で選んだ活動に取り組んでいる。モンテッソーリの教室を表す言葉として、これほど象徴的な感想はないかもしれません。
松本尚子が大切にした「待つ」ということ
松本尚子が繰り返し大切にした言葉があります。
「待つ」ことです。
子どもの状態が一時的に後戻りしたように見えても、すぐに大人が動かそうとしない。よく観察し、環境を整え、その子の中から再び何かが動き始めるのを待つ。
その原点には、イタリアで学んでいた頃の経験がありました。モンテッソーリ教育を求めながら焦りを感じていた松本に、恩師アントニエッタ・パオリーニがかけた言葉が「待っていますよ」でした。
その一言から、松本は期待されていること、信頼されていることを感じたと振り返っています。
後に善福寺子供の家の保護者会や家庭訪問、個人面談でも、子育てに悩む保護者に「待ちましょう」と語りかけたといいます。
「子どもから始める」教育
松本が子供の家で大切にしていたことは、とてもシンプルでした。
子どもをよく観察すること。
その子に合わせて環境をつくること。
自由に選択できるようにすること。
子どもの自発性と意欲を尊重すること。
そして、子どもが主人公であり、すべてのことは子どもから始まると考えていました。
松本は、モンテッソーリ教育を早期英才教育として捉えていたわけではありません。五感を使い、身体を使って経験すること。知的な発達と精神の発達のバランスを大切にすること。大人が子どもを自分の枠にはめるのではなく、子どもの心の動きを見つめること。
教具そのものよりも、その向こう側にいる子どもを見ていた教育者でした。
実践を、次の教師へ
松本尚子の仕事は、善福寺子供の家だけにはとどまりませんでした。日本モンテッソーリ協会の設立準備に関わり、教師養成にも長く携わります。善福寺子供の家は、多くの実習生や見学者を受け入れる実践の場となり、松本自身も他の保育園や幼児施設がモンテッソーリ教育を導入するときには、現場へ出向いて環境設定や実践を手伝っています。
また、1969年から1974年にかけて、至光社の季刊『ひろば』にモンテッソーリ教育について24回の連載を執筆しました。
「モンテッソーリ教育と家庭」「幼児期の感受性」「子どもの中にある自発性」「泣き声の意味」「満一歳のころ」「歩きはじめる子ども」――。現在の子育ての中でも、そのまま問い直せそうなテーマが並んでいます。
東宮御所へ – 皇族の教育係として、モンテッソーリ教師がいた

東宮御所が置かれた赤坂御用地の鮫が橋門(2012年3月31日撮影)。写真:Harani0403/Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0
そして松本尚子の歩みには、もう一つ、非常に興味深い記録があります。
RMC世界平和財団の沿革には、松本尚子について、紀宮清子内親王の「幼少時からのご教育係」として、当時の皇太子・皇太子妃からの依頼を受け、東宮御所で奉職したと記されています。
紀宮清子内親王、現在の黒田清子さんが誕生したのは1969年4月18日。松本がイタリアから帰国し、小さな子供の家を始め、本格的な善福寺子供の家を開設した、まさにその直後です。
どのような教具が東宮御所に置かれたのか。どのような活動が行われたのか。どのくらいの頻度で松本が御所を訪れていたのか。そうした具体的な内容を示す公開資料は、現在のところ確認できていません。
そのため、紀宮さまが善福寺子供の家と同じ環境でモンテッソーリ教育を受けていた、と断定することはできません。
しかし、幼児教育者がたまたまモンテッソーリ教育も知っていた、という話ではありません。当時の松本尚子は、すでにイタリアで二つの国際ディプロマを取得し、自ら子供の家を開き、モンテッソーリ教育の実践そのものを始めていた教育者でした。
その松本が幼少期の教育係として東宮御所に入っていたのであれば、彼女が大切にしていた子どもの自発性、観察、環境、そして「待つ」姿勢が、そこでの子どもとの関わりにも何らかの形で生かされていたのではないか。
これは公開資料から一歩進めた推察ではありますが、そう考えることは決して不自然ではありません。
少なくとも、戦後日本でモンテッソーリ教育を専門的に学んだ教育者が、皇族の幼児期の教育に直接携わったことを示す、非常に興味深い記録です。
自宅の八畳間から、東宮御所まで
松本尚子の歩みをたどると、不思議な広がりがあります。
最初は、自宅の八畳間。
子どもはわずか4人。
煉瓦と板でつくった棚に、イタリアから持ち帰った教具を並べるところから始まりました。
そこから善福寺子供の家へ。
教師養成へ。
日本各地の実践へ。
そして、その歩みの先には、東宮御所で皇族の幼児教育に携わったという記録まで残されています。
けれど、場所が変わっても、松本尚子が見ていたものは同じだったのではないでしょうか。
目の前にいる、一人の子ども。
その子が自分の力で育っていくために、大人は何を準備するのか。いつ手を出さずにいるのか。どれだけ信じて待つことができるのか。
戦後の日本にモンテッソーリ教育を伝えた松本尚子が残したものは、教具や方法だけではありません。
「子どもから始める」という、大人の姿勢そのものだったのかもしれません。
参考資料
- 竹田恵「戦後日本におけるモンテッソーリ教育再導入―『善福寺子供の家』を事例として―」(PDF)
- 日本モンテッソーリ協会『50年のあゆみ』(PDF)
- 日本モンテッソーリ協会『モンテッソーリ教育』各号(バックナンバー・索引)
- RMC世界平和財団「沿革」
なお、RMC世界平和財団の沿革に記された「子どもの家」の創立・閉園年には、日本モンテッソーリ協会および研究論文に記された善福寺子供の家の沿革との間に相違があります。そのため本記事では、善福寺子供の家の園史については日本モンテッソーリ協会および研究論文を基準とし、東宮御所での奉職についてはRMC世界平和財団が公開している記録として紹介しています。
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